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フェオンの巫子  作者: ミナト碧依
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01

切り立った崖に、黒毛の馬が現れる。

馬は騎手に忠実に従い、進みを緩めることはない。騎手が手綱を引くとひとついなないて崖の際で停止した。

騎手は目を凝らし耳を澄ませた。遠くの山から懐かしい狼の声を聞いた気がしたが、今は聞こえない。

春の気配を含んだ風が高く結った癖のない銀髪を舞い上げる。纏う男物の胡服は黒地で、騎手の長い銀髪と白い肌がよく映えた。歳は二十三だが、三十過ぎの女性のようにも十代の少年のようにも見える神秘的な美貌を持つ。銀光石の額飾りが陽光を反射して煌めいた。

「ひぃさまあー!」

 幼子の呼び声に騎手は――サラは振り返る。朝焼けの光を写し取ったような金の瞳が森の中から追いついてくる馬の一団を捉えた。一団は木々が途切れたところで歩を緩め、何人かは早速馬を下りた。ここいらで昼食を取る予定なのだ。

 その中から男女二騎がサラへ近づいてくる。女性は娘を前に乗せている。馬上ともなればそれなりの高さになるのだが、幼子は恐れることなく、むしろ楽しそうだ。

「サクロ、ケイナ。追いついたか」

 言いながらサラは危なげなく馬首を返す。それを後方から見ていた女たちがほうっとため息をついた。

腰まで伸ばした銀髪に、髪と同じく銀色の睫毛に縁取られた瞳は黄金色。サラは乗馬の際は弟の少年時代の衣を好んで着る。女性にしては上背があることや中性的な顔立ちも相まって、サラは男装していると美男子そのものだ。密かに「銀の君」と呼ばれ女性たちの人気を集めているが、本人は無自覚である。

そんな崇拝者ではないサクロは、目じりを吊り上げてびしっとサラを指さした。

「『追いついたか』じゃないわよサラ! アンタ無理は禁物って言ったでしょ!」

口調に似合わず声は低い。サクロはまごうことなき男性だ。隣にいたケイナはあきれ顔で、その娘のレイファが「でしょー」とサクロの真似をした。

フェオンの男性は短髪が多いが、サクロは背中まで伸ばした栗毛を三つ編みにして肩に流すのを好む。十代の頃のサクロは線が細く、背は高いが髪型もあって美少女かと見紛うほどの美少年だった。それがここ数年で一気に胸板が厚くなり、逞しさと男らしさが増した。サラより三つ年上だが、筋肉のせいか貫禄が出て、実年齢の二十六よりも年かさに見える。

「いきなり隊列飛び出して崖まで一直線ってどーゆーつもりよ⁉ 落っこちるかと冷や冷やしたわよ!」

「サクロじゃないんだから、そんな失敗はしない」

「まっ、この子ったら、心配してあげてるのに! アタシは落ちないわよ。アンタみたいな無茶しないもの」

「できないからしないだけだろう」

「自分から危険な橋は渡らないわよ。それが普通なの」

「私もそうだが?」

「アンタ玉依姫(たまよりひめ)で次期大長の自覚ある? 人一倍自分の安全には気を使いなさいって言ってんの! 見てるこっちの心臓がもたないわ」

「まあまあ。サラの無茶っぷりもサクロの世話焼きも今に始まったことじゃないんだから」

 ケイナがとりなすが、その言葉は火に油を注ぐ結果となった。

「アタシはともかく、サラの無茶っぷりは『いつものこと』じゃダメでしょ!」

「それにしても過保護じゃないか? セイヤといい勝負だぞ」

 サラの従者兼護衛であるセイヤは、役目を差し引いても過保護なところがある。今日は別行動だが、出発時もずいぶん世話を焼かれた。今夜合流予定だ。

「お言葉ですけど玉依姫サマ? アンタが無茶ばっかりするからでしょ! ホント、今まで何度心臓が止まるかと思ったか。アタシが死んだらアンタのせいだからね!」

「サクロの心臓はそれくらいじゃ止まらないだろう」

「はいはい二人とも、お昼にするわよ! 日暮れまでにシィザに着かないといけないんだから、休息はちゃんと取らなきゃ。お腹空いたわよねー、レイファ?」

「すいたー」

 ケイナが娘を引き合いに仲裁に入る。赤みがかった栗毛に、少女の面影を残す愛嬌のある面立ち。黙っていれば深層の令嬢なのだが、実は三人の中で一番気が強い。母となってから更に強くなった気がする。

ケイナと同乗する娘のレイファは黒髪だが、陽に透かすと明るく、どちらかというと金に近い色に見える。レイファの父親は黒髪だから、きっと両親の特徴をそれぞれ受け継いだのだろう。

 ケイナの言葉にサラとサクロはおとなしく従った。どこか危機感の薄いサラとお節介を焼くサクロがこうした言い争いをすることはよくあることで、それをケイナが止める、というのもいつもの流れだ。

三人は二十年以上の仲になる幼馴染だ。二つ下のケイナはサラの侍女に、サクロは主治医となった。成長して明確な主従関係ができてしまったが、それでも昔と変わらず接してくれるのがサラにはありがたい。

 大陸の北に位置するフィルガ山に、サラたちフェオンの民が生きる土地がある。

フェオンの始祖は不思議な力を操る人物で、精霊と交わった。その子孫がフェオンの民だといわれている。民は尊敬を込めて始祖を「大巫子(おおみこ)」と呼んでいる。フェオンは三十の里にそれぞれ長が存在するが、それらを統括しているのが大巫子の直系の子孫である大長だ。サラの父親である。

 フェオンの民は他を侵略することなく、同胞と家畜とともに質素で平穏な生活を送っていた。けれどひとたび攻撃される側となればその侵略を許さない、優れた戦士として知られていた。大巫子の血を受け継ぐ彼らは精霊に愛されているためだと噂する者もあった。

 だがもとは狩猟民族でもあり、厳しい自然とともに生きる彼らが屈強な戦士となることは必然であった。特に馬の扱いはどの国の戦士も及ばないという。

 そのフェオンには代々、大巫子の化身である「玉依姫」がいた。大巫子の魂を宿す依り代となることで精霊の力を借り、民に精霊の加護を授け導く存在である。

 栗毛の民が多い中、サラは唯一白銀の髪を持つ。大巫子は白銀の狼に象徴される。民はサラを大巫子の再来と呼び、一層尊敬を集めている。

「じゃあ、わたしはみんなと昼食の支度をするわね。サラはどうする?」

「サクロや男たちと馬を洗ってくるよ。レイファも連れていくか?」

「そうね。最近なんでも触りたがって、火の側はちょっと怖いから」

「わかった」

「おねが……っと」

 言いかけたケイナが欠伸を嚙み殺した。サラは頭一つ分ほど背の低い親友の顔を覗き込んだ。

「疲れたか?」

「ううん。最近暖かくなってきたからだと思うわ。レイファを乗せてると、余計に眠くなっちゃうみたいで」

 子供の体温は高い。気持ちはわかるが、乗馬中のそれは危険だ。

「そういえば、最近眠そうにしていることが多くないか? やはり屋敷の人手を増やそうか」

 サラは歴代の玉依姫のために建造された屋敷に住んでいるが、その管理を取り仕切っているのがケイナだ。使っている部屋くらいしか手入れをしていないので、ケイナやサクロを含めても使用人は片手で足りるほどしか置いていない。とはいえそもそもが広い屋敷なので、ケイナにかかる負担が大きい。

「やぁねえ、サラったら野暮なんだから」

「野暮?」

「もう五年もこうしてきたんだからケイナだって慣れてるわよ。眠い理由は……アレでしょ?」

「あれ?」

「サラは野暮かもしれないけど、サクロは下世話ね」

 頬を染めて睨んだケイナをものともせず、サクロは「あ~ら失礼」と含み笑いをする。意味がわかっていないサラはサクロに

「人手を増やすのは賛成よ。いずれケイナが働けなくなるかもしれないし」

と言われてますます意味がわからなかった。

 ケイナや女たちと別れ、小川に向かう。流れの緩やかな小川に馬を入れ、麻縄を束ねたもので体をこすってやる。馬に水も飲ませてやれるので一石二鳥だ。

「姫様ー」

 馬を洗い終えて休憩していると、十歳程度の少年たちが五、六名駆け寄ってきた。

「俺たちと度胸試ししようぜ! さっきの格好よかった!」

 フェオンの子は十歳ともなれば十分一人で馬を操る。今回の旅でも少年たちは一人で馬を駆っていた。頼もしいことだ。

 サラが何かを言う前に、隣で聞いていたサクロが声を上げる。

「ちょっとクソガキども! 玉依姫になんて口の利き方なの!」

「えー、サクロのおっちゃんだってそんな変な口調じゃーん」

「姐さんとお呼び!」

 変な口調と言われたのはいいのかと思いながら、サラは少年たちを諭した。

「さっきの崖は駄目だな。高すぎる」

「えー、いーじゃーん」

「駄目だ。万一落ちたら助からない。無事だったとしても上がってこられない。それは許可できるものではないな」

「ちぇっ」

 つまらなさそうだが納得はしたようだ。やんちゃに見えても大人の言葉を素直に聞くことができる。

自然は恵みをもたらしてくれるが、同時に恐ろしいものでもある。自らの力を過信しては厳しい自然とともに生きていくことはできない。それをわきまえることが、フェオンの民として大人になることの第一歩だ。

子らの成長を感じ取り、サラは笑みを零した。

「ホラ、アンタがあんなことするから悪ガキどもが真似したがるんじゃない。これに懲りたら自重し」

「その代わり」

 サクロのお小言が聞こえないふりをして、少し離れた大岩の上を指さした。

「あちらの上ならいいぞ。あの高低差なら、落ちても骨も折らないだろう」

 小川の上に突き出すその大岩は、高台のようになっている。少年たちの顔がぱあっと輝いた。

「やりぃ! って、落ちねーし!」

 乗りツッコミを入れた少年に、仲間たちがげらげらと笑う。

「言ったな。お手並み拝見と――」

「お待ち」

 立ち上がろうとすると、野太い声とともにがしっと大きな手に頭を掴まれた。太い指が頭蓋に食い込む。

「いいい痛い、サクロ痛い!」

「痛くしてんのよ。もう二度とそのおバカな企みを思いつかないように!」

 少年たちが本気で引いているが、サラは負けじと言い返した。

「フェオンの山々は険しい崖も多いんだ。咄嗟のときのためにできたほうがいいだろう!」

「ナニもっともらしいこと言ってんのよ! 一理あるけど、アンタが直に教える必要ないでしょ!」

「嫌だ! 普段屋敷に閉じ込められて馬なんて久しぶりなんだから、私も色々やりたい!」

「アンタそれが本音でしょ‼」

 大人らしからぬ様子でぎゃあぎゃあとやり合うサラとサクロを見て、少年たちや見物していた男たちが大口を開けて笑う。レイファもなぜか嬉しそうだ。

「サラー、サクロー。そろそろ昼食ができるわよー。レイファ連れてきてー」

 ケイナののんびりとした声がして、ようやくサクロの手が緩んだ。少年たちがすぐさま男たちに「ご飯だって!」と声をかけに行く。サラは水遊びをしていたレイファを小川から上がらせ、足を拭いた。サクロもそれを手伝う。

「ああしていると、親子のようだなぁ」

 小声だが、そんな言葉が耳に飛び込んできた。

「大巫子の直系ともあろうお方が二十歳を超えて未婚とは……ほんに、あのことさえなければ」

 残念そうな民の声音。案じられているからこその言葉だと知っている。

 聞こえなかったふりをして立ち上がると、視界が不自然にサクロの体に遮られた。見上げると気遣うような視線とぶつかる。サラはサクロに微笑みかけると、レイファを抱き上げた。幼子特有の温かさと柔らかさが、作りものの笑みを自然に緩ませてくれる。

 ケイナは丁度五年前の春、十六で結婚し、その年の冬にレイファが産まれた。里の女たちは、早い者で十二~三、多くは十五から十九の間に結婚する。

 だがサラがこの先、結婚することも子を持つこともないだろう。夫とともに幸せな家庭を築くことを夢見なかったわけではない。けれどサラにはもう叶わない。民が憂うのも無理からぬことだ。

「なあサクロ」

「なあに?」

「美しいな、フェオンは」

 小川の水も、せせらぎも、森の緑も、樹々のざわめきも、切り立った気高い崖も。そこに生きるフェオンの民も、そのすべてが美しい。

「そうね」

「私は幸せだよ」

「知ってる」

「フェオンのすべての民が、私の愛しい子どもたちだ」

「アタシ、アンタより年上なんだけど?」

「大巫子の子らは等しく私の子だよ。私はフェオンの玉依だからな」

「その理屈じゃ大長もアンタの息子ってことになっちゃうわよ」

「おっと、それはちょっと……嫌かもしれない」

「大長も嫌だと思うわよ」

「レイファもやー!」

「レイファまで……⁉ そんな悲しいことを言われては、私は泣いてしまうぞ? めそめそめそめそ鬱陶しくなるぞ⁉」

「やめて。その態度がすでに鬱陶しいわ」

 ウソ泣きの表情を作っていると、サクロに鼻をつままれた。案外手加減のない力に、本当に泣きそうになる。

「大丈夫よ、レイファは意味なんてわからず真似してるだけなんだから」

 思いのほか優しい声音に虚を突かれる。憎まれ口を叩きながら、昔から誰よりサラを案じているのはサクロだ。そして理解しているのも。

「わかっている。ついこの間生まれたばかりだと思っていたのに、もうこんなに上手に話すんだものな。子の成長とは早いものだ」

 レイファを抱き直し、サラは歩き出す。腕にかかる重みは日に日に増していく。こうして抱き上げてやれるのはあとどのくらいだろう。

「レイファはどんな大人になるだろうな。どんな恋をするだろう。レイファだけじゃない。里の子らも、この先産まれてくるかもしれないケイナたちの子も」

 大丈夫だ、とサラは実感した。

サラはフェオンが愛おしい。愛おしいものたちに囲まれているから、この先も生きていける。里の民が望んだ生き方はもうできないけれど、サラは幸せだ。

「あ!」

「なによ」

「野暮って、下世話って……そういう意味か⁉」

 ケイナは結婚して五年。レイファもこうして健やかに育っているし、夫婦はまだ若い。眠そうにしていたのは単純に寝不足で、つまり二人目作りに励んでいるのではという意味だ。

 先ほどのケイナ同様に赤面したサラに、サクロが呆れたようにため息をつく。

「アンタ今頃気づいたの。遅いわよ」

「むしろ気づきたくなかった! 身内のそういうのは想像したくない!」

「気持ちはわかるけど。サラって男女のことだけなーんかちょっと鈍いのよねぇ。アタシ心配になっちゃうわ」

「うう」

 ぐうの音も出ず、サラは呻いた。年上で賢いサクロには、昔から口で勝てたためしがない。


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