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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

異世界病み記 ~そのヒロイン、好意が行き過ぎに付き~

作者: 白い彗星



 ----------



 ……どうして、こんなことになったのだろう。

 異世界召喚、それに導かれた男は、魔王を倒すために勇者として、この世界での役割を与えられた。


 異世界に転移した男は、元の世界ではあり得なかった身体能力を得て、聖剣に選ばれしまさに『勇者』となった。

 加えて、仲間たちもいる。頼もしい彼らと一緒ならば、魔王だろうとなんだろうと怖くはない……


 ……そう、思っていた。


「はぁ、はぁ……」


 その光景は、彼はただ息を荒くして、見ていた……否、見ることしかできなかった。

 なぜなら、目の前で起こった出来事に、頭がついていかないからだ。

 だから正確には、見ていた……というよりも、眺めていた、と表現した方が、いいのかもしれない。


 とても、自分の身に起こったことだと……思いたく、なかったから。

 現実感なんて、まるでないのだから。


「な、んで……」


 目の前に広がるのは……赤。赤が周囲の景色を一変させていた。

 それは、ゆらゆらと揺らめく夕焼けの赤で……ごうごうと燃え上がる炎の赤で……


 ……地面を、木々を、剣を、人を……無惨にも染め上げた、赤であった。


「なんで、こんな、こと……!」


 男は、必死に声を絞り出した。かつては人々に持ち上げられ、揚々と魔王退治に乗り出した勇者。

 その姿は、自信に満ち溢れていた。

 その面影は、もはやどこにもない。


 なにも知らない人がその姿を見れば、腹を抱えて笑うだろう。

 あの自信満々だった顔が今や涙と鼻水に塗れ、腰を抜かし地に尻を乗せ、あまつさえズボンの一部は濡れていた。

 血に濡れているわけではない、股間部が……つまりは失禁しているのだ。


 しかして、その姿を笑う者はこの場にはいない。

 すでに残っていない……と言うべきだろうか。


「なんでこんな、ことを、したんだ……!」


 三度目となる、その言葉は彼の正面に立つ人物に、向けられている。

 その人物の周りには、三人の人……いや、人だったものが、転がっている。


 その屍を踏みつけ、ゆらりと振り向き勇者に向き直るのは……その姿は、果たして少女であった。

 少女の姿を、していた。


 その手に握られるは、本来であれば美しく銀色に輝くであろう刀身を持つ、一振りの剣。

 それはしかし、真っ赤な液体により本来の美しさは失われていた。

 もしかしたら、その姿はある種、美しく映るのかもしれない。


「……」


 少女は、にやりと笑った。

 その剣で、人を……同じ勇者パーティーの仲間を斬り殺し、それでいて、笑顔を浮かべていた。


 その表情は、顔に返り血が飛び散っていてなお、美しかった。

 まだ、十六になったばかりの少女……花が咲くようなその笑顔は、この状況にあって美しかった。


 目を引くほどに美しい金髪も、清楚な彼女を表す白き衣も、透き通るような肌も……その全てに、血が付着していた。

 そのどれもが、彼女自身の血ではなく。

 この場に倒れている、仲間の……


「答えろって、言って、るんだ!

 カリィ!!」


 怯える勇者は、だが勇気を奮い立たせた。

 勇気ある者、すなわち勇者……この世界で、勇者と呼ばれた時から……そうありたいと、願っていた。


 だから、怖くて逃げだしたい気持ちを、必死に押し殺して。

 共に旅をしてきた少女が、なぜ仲間を殺すという凶行に走ったのか。


 場合に、よっては彼は、彼女を……


「くっ、ふふ……あはははは!」


 彼女は……カリィと呼ばれた少女は、高らかに笑った。

 先ほどの笑顔とは違う。まるで、狂気に染まった……そういった表現をするほど、その場には不釣り合いで。


 しかし、笑っている本人は、それが当たり前であるかのように、高らかに笑っていた。


 そして……ゆっくりと、視線を彼に、向けた。


「なんで、って? そんなの決まってるじゃん……こいつらが、あなたに色目を使ってたから」


「……は?」


 途端、少女の目は細められ……物言わぬ屍を、足で蹴る。

 そこに、仲間であった者への、情などない。


 いや、もはや人としての情すら……


「お前、なに言って……」


「でも、これで安心!

 これで、あなたにまとわりつく虫は、いなくなったから!」


 話が通じない……そう、思うしかなかった。

 なんでと問うても、その答えは意味のわからないものだ。


 色目? 倒れているのは、仲間だった女性……仮に、彼女らがそうだったとして。

 それだけで、殺す理由に、なるのか?


 言いようもない恐怖が、彼を襲う。


「だから、これからは……もう、私だけのものだよ。

 エイジ♪」


 ほんの数時間前ならば、見惚れるほどにかわいらしい笑顔だと感じたに、違いない。


 けれど、今はただ……恐怖でしか、なかった。




 ----------




 ……園原(そのはら) 英治(えいじ)。彼が異世界であるカサドランラに召喚されたのは、時を遡る。

 それは、突然のことだった。


 高校二年生、そんなごく平凡な学生だった彼が、下校中に地面からの謎の光に包まれ、気がついたらまったく違う世界にいた。

 まあよくある、話だ。少なくともフィクションの、中ならば。


「はじめまして、勇者様」


 混乱する彼にかけられたのは、鈴のように透き通る美しい声。聞く者すべての注意を、一挙に惹きつけるだろう声。

 英治もその例に漏れず、声の主を追い……目を、疑った。


 桃色のドレスに包まれた、麗しき少女。

 肩まで伸ばされた銀色の髪は、なにがなくとも輝いており、思わず触れてしまいたくなる。

 同時に、触れてしまうのはためらわれるほど。

 同じく銀色の瞳は、まるで見る者すべての心を見通すかのような、危うさを秘めていた。


 およそ、この世のものとは思えない人物に、英治は言葉を失った。

 が、彼女は英治のことを、こう言った。


「ゆ、うしゃ……?」


「はい」


「えっと……きみ、は?」


「これは、申し遅れました。

 私、このトロダンタ王国の王女である、リエーラ・フェル・トロダンタと申します」


 にっこりと、少女は……リエーラ・フェル・トロダンタは微笑みを浮かべた。

 心の臓が、高鳴るのを感じた。


 彼女の話は、どこかで聞いたことのある物語のようだった。

 世界を滅ぼす魔王が現れ、それを阻止するために異世界から勇者を召喚した……と。


「この世界では、数百年に一度、世界を滅ぼそうとする魔王が、現れるのです。

 その度、我ら一族は、異世界より勇者様を、召喚してきました」


「はぁ……」


 いきなりそんな話をされても、現実感がない。

 そもそも、どうして俺なのだ。


 飛び抜けて頭がいいわけでもない、運動神経がいいわけでもない、趣味といえばネットサーフィン……そんな、平凡な男だ。


 勇者に選ばれる理由など、見当たらない。


「俺なんかが……」


「なんか、ではありません。貴方だから、です」


 不思議と、その言葉には説得力があった。

 なんでもできるような、そんな気持ちにさせられる。


 なるほど、これが王女の器という、やつなのだろうか。


「けど、俺一人で?」


「無論、勇者様とてそのような無茶は言いません。

 現在、各地より魔王軍に対抗する人材を、集めているところです」


 リエーラが言うには、魔王を討伐するための勇者パーティーなるメンバーを、各地から集めているらしい。

 もちろん、リーダーは勇者である英治。


 彼と同行を共にする者として、それぞれの分野のエキスパートを集めている。

 剣士、魔法使い、神官……そういった、各面を極めた者たち。


 ----------


 ……そして、その数日後。


 勇者パーティーのメンバー選別は以前から行われていたのだろう、英治が思っていた以上に早く、メンバーは集められた。


「それではエイジ様、紹介します」


 召喚した頃は英治のことを勇者様、と呼んでいたリエーラだったが、本人の希望もあり今ではエイジ、と名前で呼ぶようになった。

 英治の前に立ち並ぶのは、四人の男女。


「私は、カリィ・ドラヴェール。よろしく」


 まず目を引いたのは、腰まで伸びた美しい金髪だ。

 剣士としての実力は折り紙付き。


「……リヤ・コネラ。よろしく」


 彼女は魔法術師。小柄ではあるが、身長ほどもある杖を握りしめ、無口な様子だ。

 黒いトンガリ帽子を目深に被り、黒いマントを羽織っている英治のイメージする魔法使いそのものといえる。


 魔法を使い、その道のエキスパートだという。


「俺は、ダニー・レオンハット。よろしくな」


 ガタイのいい、日焼けした肌が眩しいこの男は、気さくに笑いかけてくる。丸太のような腕は、抱きしめられれば骨が粉砕してしまうだろう。


「は、はじめまして。ぴ、ピアミア、です。よ、よろしくお願いします!」


 どこかおどおどした様子の彼女は、その実高位の神官だ。

 彼女には、家名がない。つまりは、平民だ。本来神官には貴族しかなれないらしいが、彼女の場合特例として、神官になることが認められた。


 おどおどした性格は、元からか、それとも周りが貴族ばかりだから萎縮してしまったのか。実際、平民である彼女を快く思わない者は多い。


「カリィ、リヤ、ダニー、ピアミア、ね。

 俺は園原 英治。よろしく!」


 ともあれ、彼女たちが、共に旅をする……勇者パーティーメンバー。

 今日ここに、勇者パーティーが結成された。



 ----------



 仲間が集まり、これで戦力の強化は整った。

 だが、戦力だけ整えれば勝てるというものでもない。

 一番大事なのは……


「チームワーク?」


「はい。皆さん、まだ会って間もありません。

 そのような状態での旅は、危険です。

 なので、お互いのことを深く知っていただきたいのです」


 勇者パーティーとなったメンバーは、各々友好を深めることになった。


 いかに戦力が整っても、一番重要なのはチームワークと言える。

 危険な戦いの中で、互いによく知らない相手に背中を預けるなんて、無理な話だ。


 よって、英治は戦い方の基礎を教わりつつ、メンバーとの友好を深めていくことになった。

 もちろん、他のメンバーも、初対面同士。


 ----------


「よぅエイジ、調子はどうだ」


「わ、れ、レオンハットさん」


「だはは! ダニーでいいさ!」


 まず、英治を一番に気にかけてくれたのが、ダニー・レオンハットだった。

 見た目はいかついおじさんを思わせるが、その実気さくであり、この世界に馴染めない英治を気にかけてくれた。


 同じ男同士ということ以上に、パーティーの中では最年長であるため、英治にとっても頼れる存在だ。

 どうやら、彼には妻子がいて、故郷に残してきたようだ。

 よく、身の上話を聞かせてくれた。


「娘はちょうど、エイジくらいの年でなぁ」


「へぇ、そうなんですか」


 ……ただ、異様に距離が近いのが、気にはなったが。


 ダニーが男女ともにイケる性格だと聞いたのは、知り合ってからしばらく経ってからだ。


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「…………」


「……あの、なにか?」


「別に……」


 対して、一番接するのに困ったのは、リヤ・コネラ。

 英治のイメージする魔法使いそのものではあったが、いかんせん無口……その上、ちょくちょく英治のことを見てくるのだ。


 美少女に見つめられて悪い気はしないが、さすがに無言で見つめ続けられるのも、居心地が悪いものだ。

 ただ、嫌われているわけでは……ないのだろう。


 こちらから質問をすれば答えてくれるし、特に魔法に関することは口数が多くなった。

 単に口下手だけなのだろうと、だんだんとわかってきた。


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「へぇ、神官……うわぁ、すげぇ」


「あ、あの、恥ずかしいです……」


 高位の神官だというピアミアは、どうにもおどおどしている。

 英治を苦手としているわけではなく、誰に対してもこうなのだ。

 本人は、平民であることを強く気にしている。


 とはいえ、英治は貴族だの平民だの、気にしない。

 元々そんなものが存在しない世界で、生きてきたのだ。


「俺にはそんなにおどおどしなくてもいいのに、ピアミア」


「い、いえそんな!

 勇者様に、お目通し願うことすら本来、恐れ多いことなのです!」


「うぅん……」


 自身が平民という立場に加えて、神官としての立場もあるのだろう。

 見ている分には面白いが、あまりそうとばかりも言っていられない状態だ。

 まあ、あまり急かすこともできないので、ゆっくりでも少しずつ改善していけばいいだろう。


 ----------


「えっと、エイジ……だったわよね。

 隣、いいかしら?」


「カリィ。もちろんだよ」


 王宮の食堂でご飯をいただくことが多い英治だが、そこに示し合わせたようにカリィ・ドラヴェールは現れる。

 美しい彼女は、城内でなおも人目を惹く。

 そんな人物が隣に座るというのは、英治にとって嬉しくもあり恥ずかしくもあった。


 異世界からの人間が珍しいのだろう、彼女は英治によく話しかけてきてくれた。

 その社交性が、英治には眩しかったが、同時にありがたかったものだ。


「エイジのいた世界は、どんなだったの?」


「興味あるの?」


「あるわよ!」


 カリィは、自分の話をするよりもどちらかというと英治の話をよく聞いた。

 面白味のない話ではあるが、英治にとっても知っていることを話すのは、気が楽だった。


 彼女には様々なことを話した。

 一人暮らしをしていること、学校に通っていること、幼馴染の女の子がいること……それを、カリィは興味深そうに聞いていたものだ。


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 こうして、英治は仲間たちと友好を深め。

 同時に、訓練も行っていった。


 そもそも武器を持つ、というのが初めてだ。

 勇者として召喚された英治の身体能力は大幅に上昇しており、あらゆる武器を使いこなせるようになっている。

 魔法だって、多少ならば使うことができる。


 それでも、その道を極めた者には敵わない。

 剣を使っても、騎士であるカリィには及ばないように。魔法を使っても、エキスパートであるリヤには及ばないように。


 よく言えばオールラウンダー。悪く言えば器用貧乏というやつである。


「こう、剣はこう握るのよ」


「魔法は、タイミングが重要」


 それに、使い方がわかっても、やはり経験の差というのは大きい。

 ただ剣を振るうにしても、持ち方から動き方。

 それを変えるだけで、だいぶ違うのだ。


 訓練には、剣はカリィ、魔法はリヤ、武術にはダニーに教わることになった。

 そしてピアニアは、神官として日々祈りを捧げている。


 曰く、この世界には精霊というものがいて、精霊と通じる力を持つ者を神官と言う。

 神官は精霊の力を借り、魔法とは違った精霊術を使うことができる。


「魔法と精霊術の違い、ですか?」


 いつか、ピアニアに聞いたことだ。

 彼女が言うには、魔法は自らの体内にある力魔力を使用する。

 一方で、精霊術は精霊の力を借りるため、消費する力も使える術の規模も違う。


 英治は、残念ながら精霊術は使えないようだった。


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 ……訓練の日々は、実に半年にも及んだ。

 英治の戦いの筋はよく、本来想定されていた時間を大幅に短縮した形だ。


 ついに英治は、勇者パーティーを率いて、魔王を退治するための旅に出ることになった。



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「エイジ、そっちに行ったぞ!」


「はい!」


 勇者パーティーが国を出て、数日が経った。

 その間にも、英治たちは着実と歩みを進めていった。


 訓練した英治を始め、勇者パーティーのメンバーは優秀な者ばかりだった。

 さすがは、各地から集められたという、優秀な人材たちだ。


「もうすっかり、戦士の顔ね、エイジ」


「いやぁ、まだまだだよ」


 実際、エイジがこうして戦えているのは、仲間たちのおかげだ。

 彼女たちのサポートがなければ、今頃は魔物の餌になっていても、おかしくはない。


 カリィ、リヤ、ダニー、ピアミア……そして、英治。

 この五人であれば、魔王だってなんだって倒せるだろう。

 確信にも似た、気持ち。


 そして、こうして旅を続けていくうちにも、仲間たちの絆にも、変化はあって……


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「ピアミア、こんな遅くまで祈ってるの?」


「あ、エイジ様」


「様はやめてくれよ」


 ある夜、野宿をしていた一行。寝付けず、起きて散歩していた英治。

 そこで、神官の衣に身を包み、祈りを捧げているピアミアの姿があった。


 曰く、神官とは神への、そして精霊への祈りをおろそかにしてはいけないらしい。


「隣、いい?」


「もちろんです」


 二人は、夜空を見上げ、夜風に当たる。

 隣に座る英治をチラチラ見るピアミアは、「あの」と声を出して。


「ありがとう、ございます」


「ん?」


 これまで、神官として過ごしてきて……平民でありながら神官を務める彼女に、良い顔をする者は少なかった。

 だが、平民だからと関係なく接してくれたのが、英治だ。


 それに、精霊術を使う際に無防備になってしまう自分を、いつも守ってくれる。


「そんなん気にしなくていいって。

 仲間なんだから」


「……あ、あの、私、エイジ様のこと……」


 いつしか、頼もしい彼に惹かれていった。

 この気持ちを、抱えたままはつらい……吐き出せば、楽になるのだろうか。


 後少しというところで、しかし彼女は口を閉じる。


「いえ。この旅が無事に、終わるといいですね」


「あぁ。そうだな」


「そうしたら……」


 今度こそ、この言葉の続きを……

 少女は、己の小さな胸に手を当て、この気持ちをしまい込んだ。


 この旅が終わったら、きっと伝えよう……そう、胸に誓って。



「………………」


 ----------


「……なにしてるの?」


「いや、魔法がもっと上達しないかなーと」


 ある昼。食料調達のため、英治とリヤは一組になり、行動していた。

 しかし、英治の不審な行動に、リヤは呆れたようにため息。


「いくらあなたが勇者でも、そんなポンポン成長されたら、私の立つ瀬がない」


「あはは」


 普段無言なリヤも、魔法の話題の時はある程度饒舌になる。

 少し、かわいらしい面でもある。


「サボってないで、手を動かす」


「へーい」


 相変わらず、厳しいことに変わりはないが。

 とはいえ、リヤと二人の時間が英治にとって苦痛であるかと言われると、そうではない。


 なんだかんだ、優しい子なのだ。


「というか、あなたは……いろいろ、できることが、あるでしょ」


「んー、まあ、な。けど、どれも中途半端だから」


 勇者の力として、あらゆる武器も、魔法も、ある程度は使える。

 だが、あくまである程度、だ。


 一つの分野を極めているわけでは、ないのだ。


「……そんなに、魔法が上手になりたいの?」


「おう! だって、かっこいいじゃん!」


「……はぁ」


 実用的とかではなく、かっこいいから。

 その答えに、リヤは再びため息。


 だが、うっすらと口元には笑みを浮かべていた。


「そんなに魔法が上達したいなら……ひ、暇なとき、教えてあげる」


「え、ホントか!?

 そりゃ嬉しいな!」


「! ひ、暇な時だけだから!

 は、早く、手、動かして!」


 リヤは魔法のエキスパートだ……だが、それだけ。

 他にとりえがあるかと聞かれれば、困ってしまう。

 言ってしまえば、魔法が自分の存在意義だ。


 それを、必要としてくれる人がいる。

 それは、リヤにとって飛び上がりたいほど、嬉しいことだった。


「暇なとき、暇なときね」


「はは、わかったって」


 リヤにとっても、英治と二人きりの時間は、嫌ではなかった。



「………………」


 ----------


「かぁーっ、いい湯だな!」


「ダニー、なんかおっさんくさいぞ」


「おっさんだもんよ、仕方ねえだろ」


 根無し草の勇者パーティーにとって、身を休めることができる場所は貴重だ。

 訪れた村や国、それに……温泉。

 たまに、温泉を見つけることができた。


 今は、英治とダニー、男二人で湯に浸かっている。

 多少なり鍛えたとはいえ、ダニーに比べると自分の体が恥ずかしく感じてしまう英治。


「すごいよなダニーは」


「あん? なにが」


「いや、その筋肉と言うか……なんしたらそうなるの」


「かっはっは! そこはお前、人生の経験値が違うからな!」


 裸と裸の付き合い。勇者パーティーには異性の比率が多いため、こうして恥ずかしげもなく話せる空間は貴重だ。

 英治の悩みを、しかしダニーは笑い飛ばす。


「お前くらいの年なら、まだこれからだ!

 それに、この二の腕とか腹筋とか、なかなか筋肉ついてんじゃねえか!」


「わっ、ちょっ、いきなりさわっ……あ、ははは!」


 英治にとって、お兄さんというかお父さんとも言える相手。

 パーティーの最年長なだけあって、頼りがいがある。


 そんな彼とのスキンシップは、気恥ずかしいが楽しくもあった。

 とはいえ、以前耳にした、ダニーは男女イケる、という話を思い出すと妙に警戒してしまう。


「だいたい、いちいちそんなことで悩んでんじゃいぞ! 勇者のくせに玉のちいせえこと考えやがって」


「なっ、結構真剣な悩みなんだが!?」


「かっははは! ちいせえちいせえ!

 どれ、あっちの方もちいせえのか、確認してやろう!」


「わっ、や、やめろ!」


 騒がしい、日常。

 だが、このひびが、英治は嫌いではなかった。



「…………あ、鼻血が」




 ----------






 …………………………すべては、順調だったはずだ。

 仲間たちと協力し合い、敵を倒し、ピンチに陥ってもやっぱり協力すれば、なんだって乗り越えられた。


 それは真実で、誰もがそれぞれのことを、信頼していたはずだ。

 背を預け、命を預けられるほどに。


 現に、そのおかげでここまで来れた……

 魔王が住むという魔王城にもう少しでたどり着くというところだった。

 明日にも、突入しよう……今日は、ゆっくり休もう。


 そう言って、みんな、いつもより早く眠りについた…………………………






 ----------




 ……どうして、あんなことになったのだろうか。

 ……どうして、あんな未来にしかたどりつけなかったのだろうか。


 どうして……どこで、間違えたのだろうか。




 ----------



「だから、これからは……もう、私だけのものだよ。

 エイジ♪」


 起きた先に広がっていたのは……まさに、地獄だ。

 その地獄の中で、仲間である少女は……いや、仲間だった少女は、笑っていた。


 その足元に、屍を置いて。

 その光景は……到底、信じられるものでは……


「ずぅっと、一緒にいようね♪」


「うわぁあああ!」


「!」


 英治は、飛び起きた。そう、起きたのだ。

 ここは……ベッドの上だ。


 荒い息を整え、周囲を見る。

 すぐ近くに、見知った人間が、驚いた表情で座っていた。


「……リ、エーラ?」


「あ、そ、の……お、はよう、ございます」


 眠っていた英治を見て……いや、看病していた、王女リエーラ。

 彼女は、英治をこの世界に召喚した張本人だ。


 彼女は、気を失ってしまった英治をずっと、心配していた。

 そこで突然、寝ていたはずの人間が叫んで起き上がっては、驚いても無理はない。


 まだ混乱の中に居るが、それでも英治は、とりあえず謝罪する。


「いえ、問題ありません。それよりも、なにがあったのですか?」


「……その前に、確認させて」


 英治の記憶は、仲間たちが全滅したあの瞬間から止まっている。

 ……正確には、仲間を皆殺しにされて、だ。


 自分と、もう一人を除いて。


 仲間を殺したのは……カリィだ。信じたくはないが。

 あんな悪夢のような光景、いっそ夢だったならどれほどよかっただろう。


 だが、あの胸を掻きむしりたくなる嫌な気持ちは、冷たくなった仲間たちの体は、色っぽく囁くリエーラの吐息は、べったりと血の付いた手で撫でられた頬は……

 嘘では、ないのだ。


「確認、ですか?」


 きょとんとした様子のリエーラ。

 そう、確認しなければならない……仲間たちが、どうなったと認識しているのかを。


 リエーラによると……ダニーもリヤもピアミアも、旅の途中で命を落としたと報告を受けたらしい。

 それは、悲しい話だ……それが、魔王討伐の過程で、魔族との戦いの末にという事実の下であれば、そんな感想も持てただろう。


 だが、この報告をしたカリィが……他ならぬ、カリィが、仲間たちの命を……


「俺はなんで、ここに?」


 その後、あくまでカリィからの報告の話だが……


 仲間を失い、それでも英治とカリィは進んだ。

 そして、命の危機に遭いながらも魔王を討伐し、なんとかこのトロダンタ国まで戻ってきたのだと。


 なんとも、めちゃくちゃだ。

 本来五人で協力して倒すはずの魔王を、二人だけで……

 いや、すでに戦力外となっていた英治を除けば、カリィ一人で魔王を倒したことになる。


 なんとも、馬鹿げた話だが……

 英治は事実として、ここにいる。


 カリィが魔王を倒したのであれば、世はまさに平穏を取り戻したと言える。

 英治の心は、まったく穏やかになどならないが。


「それで、エイジ様……なにが、あったのですか?」


「……実は」


 言うべきか、迷う。

 しかし、仲間の無念を晴らすため……英治は、話すことを決めた。


 あの、恐るべき女の、恐るべき正体を……


「…………そんな……」


 話を終え、リエーラは驚愕に表情を染めている。

 当然だろう、この目で見た英治だって、まだ信じられないのだから。


 勇者パーティーの一人、信頼できるはずの仲間が、裏切り、他の仲間を殺した……

 そんな事実、聞いた話で誰が信じられるだろう。


 リエーラから、そんなの嘘だと糾弾されても、おかしくないだろう。

 だが……


「カリィ、様が……仲間を……」


「……信じてくれるのか?」


「これでも、一国の王女です。相手が嘘をついているかは、わかります。

 それに、エイジ様がカリィ様を貶める理由も、ありませんから」


 こんなバカげた話を、信じてくれた。

 それだけでも、英治にはいくらか救われた気分になる。


 が……問題は、カリィがどうしてそんなことをしたのかだ。


「わからないんだ、なんであいつが、あんなことをしたのか」


「……エイジ様からの話を聞いた限りでは、カリィ様はエイジ様をお慕いしていたように思います」


「……は?」


 その言葉に、英治はあっけにとられた。

 だってそうだろう。自分を好いてくれるのは嬉しいが、それが本当だとして、なんでみんなが殺されなければならない。


 それに、それが本当なら……


「……確かに、虫がどうとか、色目とか、意味わかんないこと言ってたけど……」


 リエーラの推測が当たっていたら……

 みんなが死んでしまったのは、英治の……


「ですが、エイジ様のせいではありません。

 いくら相手のことを恋焦がれていたとしても、それを理由に殺人など行っていいわけがありません」


 英治の中に浮かんだいやな気持ちを、リエーラは真っ向から否定する。

 誰かを好くのは当然のこと……しかし、それを理由に恋敵を殺してしまおうなど、言語道断だ。


 そこまで考えたところで、英治は……


「ところで……あいつは……?」


 思い出したかのように……いや、本当は意識しないようにしていた……この場に居ないカリィの所在を聞く。

 リエーラも話に参加している以上、カリィが隠れてこっそり話を聞いている心配は、ないと思うが。


「カリィ様は、お父様に呼ばれています。

 エイジ様が眠っている以上、詳しい話は彼女からしか聞けませんから」


「そうか」


 もし、カリィが仲間を殺すほどに英治のことを好いていたとしたら……

 この場に居ないのは、本人の意思ではありえない。

 誰かにこの場から離された、と考えるのが自然だ。


 しかし、用事が終わればすぐに、この場に戻ってくることだろう。

 そうなれば……今度こそ、英治は逃げることはできなくなる。


 そう……

 この場にカリィがいないのは、英治にとって逃げられる、最初にして最後のチャンスかもしれないのだ。


「……」


 その可能性に、リエーラも思い至ったのだろう。


 それから、無言の時間がしばらく続いたかと思えば……

 リエーラは、口を開いた。


「エイジ様、今すぐに元の世界に、お帰りになるべきです」


 英治の目を見て、はっきりとそう告げたのだ。


 以前、リエーラは言っていた。

 魔王を討伐する役割を終えた勇者は、元の世界へと帰還する……本人がここでの生活を続けたいなど、一部の例外こそあるが、過去の勇者たちは役割を終えると帰還していった。


 英治も、魔王を倒したあとのことを聞くと、元の世界へ帰ることを選んでいた。

 なので、リエーラも英治たちが帰ってくる頃には、元の世界へと帰れるよう、準備を整えておく手はずだった。


「元の……世界に」


「はい。エイジ様が戻ってきたら、落ち着いたところでお話するつもりでした。

 まさか、こんなことになるとは思いませんでしたが」


 それはそうだろう。

 勇者パーティーの一人が乱心し、仲間を殺して帰ってくるなんて、想像しようがない。


「信じてなかったわけじゃないけど……

 帰れる、のか?」


「はい、すぐに準備はできております。

 本来でしたら、もっと魔王討伐の式典など、開きたかったのですが」


 せっかく世界を救ってくれた英雄を、なんの労いもなしに帰すのは忍びない。

 しかし、状況はそうもいっていられないのだ。


 それに、英治としても式典などは、どうでもいい。

 せいぜい、共に旅をした仲間との別れを惜しむくらいだと思っていた……


 もう、別れを惜しむような仲間は残っていないが。


「最後に、リエーラと話せたしな……

 俺は、思い残すことはないよ」


 そして、決める……

 元の世界への、帰還を。



 ……元の世界に、帰る。

 それは、魔王を倒せば元の世界に帰ると、そもそもの約束ではあった。

 だから、状況だけを見るなら、魔王を倒した今、それは自然なこととも言える。


 だが……


「その、大丈夫なのか?」


 心配事は、残る。


「はい。元々、魔王を倒したらエイジ様は元の世界にお帰しする約束でしたから」


「そうじゃなくて……」


 このままでは、英治の命が危うい。

 そう判断したリエーラは、英治の即時帰還を決めた。


 本来なら、魔王討伐の勇者を国を挙げて祝うべきだが、そんな余裕すらない状況なのは、すでに周知だ。

 そこだけは心苦しいが、致し方あるまい。


「皆さんには、私から言っておきます。

 お別れの時間を作れないのは歯痒いですが……」


「……悪い。けど、そうじゃなくて。

 ……リエーラは大丈夫なのか? 勝手にこんなことして……」


 英治の心配事は、みんなとお別れの時間を作れないことではない。

 もちろん、それもあるが……


 心配なのは、リエーラの身だ。

 今回、英治が帰還することになったのは、カリィの凶行が原因だ。それは、カリィが英治のことを異常なまでに好いているから……という結論だ。


 ならば、英治を自分の元に置いておきたいはず。

 元の世界……この世界の何処かならばともかく、違う世界に送り返すなんて、もってのほかだ。


 英治が元の世界に帰ったとして、その事実を知ったカリィが取る行動は……

 そして、英治を元の世界に帰した、リエーラの身の安全は……


「皆さん残念がるでしょうし、カリィさんには怒られるでしょうね」


 困ったように笑うリエーラ。

 しかし、そこに後悔の念は見られない。


 英治の心配事にも、胸を張って答える。


「私はこの国の王女ですよ?

 いくらカリィ様でも、危害を加えることはできませんよ」


「……」


 確かに、リエーラの立場をこそ考えれば、いくらカリィといえど簡単に手は出せないはず……


 ……本当に、そうだろうか。

 あの狂気の表情は、今もまぶたの裏に焼き付いている。

 現に、カリィは命を預けあった仲間をも、その手にかけている。


 ……それでも、もはや帰還の中断はできない。

 リエーラの身は心配だが、それ以上に英治がこの場に残り続けてどうなるか……と考えたとき、メリットが見当たらないのだ。


「……わかった。

 けど、リエーラはなにも知らぬ存ぜぬを通してほしい」


「それは……」


 元の世界への帰還に、リエーラが関わってはいない……

 そうすることが、英治にできるせめてもの、リエーラを守る方法だ。


「ですが、世界を移動する魔術は、王家の者しか知り得なくて……」


「俺は、勇者だ。

 その特権で、特別にその方法を教えてもらってたとか、独自に調べたとか、いろいろ言い訳は立つよ」


 勇者であるというのは、それだけで特別な存在であるということだ。

 現に、なんの変哲もなかった高校生が、こうして世界を救う使命を任されたのだから。


 結局、魔王を倒したのはカリィらしかったが。


「……わかりました」


「うん」


「では、さっそく……」


 と、リエーラは帰還魔術の準備にかかる。

 召喚したときこそ、大掛かりな準備が必要だったが、実は帰還に関してはそうでもないのだ。


 テキパキと作業が進んでいく。

 なかなかに手慣れているのは……


「練習、してましたから」


 そう話すリエーラは、英治が帰ってきたときのため、日々練習を重ねていたのだという。

 今は、その手早さがありがたい。

 リエーラも、その手早さがこんな形で役に立つとは思わなかったろうが。


「できました。

 エイジさま、そのサークルの中に立ってください」


「わかった」


 これは魔法陣、のようなものだろうか。

 言われた通りに英治は、サークルの中へと足を踏み入れて……


 直後、サークルが光り、光が英治を包み込む。

 この光には、覚えがある。

 この世界に召喚されたときの、あの……


 これで、元の世界に……帰れる。

 不安は、まだある。それでも、今はただ、無事に物事が進んでくれることを祈るばかりだ。


「……っ、気を付けて」


「はい、エイジ様もお元気で」


 魔王の討伐……それを果たした、異世界から召喚された勇者は。

 たった一人に見送られ、元の世界へと帰還した。



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 ……目覚めた英治の視線の先には、見知らぬ天井があった。

 いや、見知った天井だ。

 なぜならここは……自分の、部屋なのだから。

 毎朝目覚めるたびに見てきた光景だ、間違えるはずもない。


 戻ってきた……異世界から、元いた世界へ。

 実感が無いのは、あまりにあっさりしていたからだろうか?


 あれは、夢ではないのかという気分にさえなってくる。もしくは、これが夢か。

 けれど……


「あー、やっと起きた!」


 耳をつくほどの声が、英治の耳に届いた。

 これもまた、聞き覚えのある声だ。


 その方向へと、視線を向けると……


「……花奈(かな)?」


「そうだよ!」


 幼馴染の、夏川 花奈が、そこに座っていた。

 ベッドに眠る英治を、覗き込むように見つめて……次第に目に涙を溜めて、抱きついた。

 幼馴染とはいえ年頃の異性に抱きつかれているが、正直慌てるどころではなかった。


 この体温……夢では、あり得ないだろう。

 あぁ帰ってきたのだ、と、英治はようやく実感したのだ。


 その後、軽く事実確認。どうやら、英治はこの三日、消息を絶っていたらしい。

 それが、おそらくは異世界に召喚されたことと、関係はあるのだろうが……


「……たった、三日?」


 三日という単語に、英治は困惑した。


 それは、あり得ない。だって、異世界には三日どころか、一年以上いたのだ。

 こちらでも同じだけ時間が経ってないと、おかしい。


 花奈が嘘をついている可能性も考えたが、そんなことをする理由がない。それに、カレンダーを確認すると、今日は英治が異世界召喚されてから確かに三日目だった。

 あの朝、スマホで寝起きに日付を確認していたから、間違いない。


 ということは……異世界とこの世界とでは、時間の流れが違うのか。


「まったく、どこ行ってたのよ」


「いや、それは……

 か、花奈こそどうして、俺の部屋に?」


「なによ、心配してあげてたのよ。英治がいなくなって、おばさんたちに連絡することも考えたけど、あんまり心配させてもなって。

 ま、今日も帰ってこなかったら、連絡するつもりだったけど」


 どうやら花奈は、英治がいなくなってからも、英治が帰ってきていないか、部屋に来て確かめてくれていたようだ。

 毎日会っていた幼馴染が消息を絶ち、それはそれは不安だっただろう。

 そして、今日来てみたら、英治がのんきに寝ていた、と。


 心配をかけてしまったようだ。彼女には、本当のことを話したほうがいいだろうか。

 とはいえ、異世界に行っていたなんて話、信じてもらえるかどうか。


 ともあれ、両親に心配されたり警察沙汰になっていないのは英治にとっては助かった。


「ま、でもよかったわ。あの子だって心配してたんだから」


「そっか、心配かけて悪かった……って、あの子?」


 ふと、花奈の言葉が気になった。

 あの子、と、特定の人物を指す言葉だ。


 英治にもそれなりに友達は多いが、花菜とも知り合いで、且つあの子と呼ぶほど互いにとって親密な子。

 ……いただろうか。


「聞きたいことはたくさんあるけど、とりあえず安心させてあげなきゃ。立てる?」


「あ、あぁ」


 帰ってきたばかり、とはいえ、動けないわけではない。

 寝起きの気だるさのようなものはあるが、それだけだ。

 誰であろうが、心配させてしまったならば顔くらい、見せてやらないといけないだろう。


 花奈の手を取り起こされ、そのまま花奈が先導し、英治はついていく……

 部屋を出て、外へ。どこかへと向かう。


「なぁ、どこに……」


「ほら、あの子も待ってるよ!」


「あの子?」


 手を引っ張られ、花奈は嬉しそうに走っていく。

 その嬉しそうな表情に、つい気が緩んでしまいそうになるが……


「って、誰のことだ?」


 まったく心当たりがない相手のところに向かっているのだ、若干の不安はある。


「もー、忘れちゃったの? もしかして頭打ってたり?」


「いや、そうじゃないんだが……」


 頭打って記憶が飛んだのではないか、と花奈は冗談交じりに言う。

 それでも、英治が心当たりがなさそうな表情を続けていると……


「もー、昔からよく遊んだじゃない……幼馴染"三人で"」


「……!?」


 呆れたような表情で、唇を動かした。


 その言葉に、英治は絶句した。

 だって、そうだろう……おかしいではないか。


「ねえ、ほんとに大丈夫?」


 今度は花奈は、心配そうに首を傾げる。

 それだけ英治が、心配するような顔をしているのだろうが……

 それどころでは、なかった。


 花奈は言った。幼馴染"三人で"と。

 でも、それはおかしいのだ。


 幼馴染……それは、自分と、この女の子花奈の"二人だけ"、だ。三人目の幼馴染を忘れている……そんなことは、おそらくありえないはずだ。自分は、そんな薄情な人間ではない。

 嘘を言っているようでもない。冗談を言っているようでもない。


 本当に、幼馴染が三人いると、そう信じている。

 もしかして、異世界召喚の弊害で記憶の一部が、失われていたりするのだろうか。

 もしそうなら、その幼馴染には申し訳ないことをしたが……そうで、ないならば……


 ならば……


「あ、いたいた!」


 と、花奈は手を上げる。

 視線の先に、見つけた"幼馴染"に向かって、親しげに。


 それに伴い、英治も視線を向けて……


「……うそ、だろ……?」


 その姿を認めた瞬間、声が漏れてしまったのを誰も責められまい。

 だって、だって……


 いるはずのない人間が、そこにいたのだから。


 美しい金色の長髪、透き通るような肌、誰もが見惚れる美貌……そして、英治の知っている"彼女"よりも背が高く、顔つきも凛々しくなり、胸も膨らんでいる。

 だが、そこにいるのは間違いなく"彼女"だ。


 間違えるはずもない。そこに、いるのは……


「や、英治♪」


「…………カリィ……」


 異世界にいるはずの、少女だったのだから。


 ……なんで、どうして……

 次々湧き出る疑問は、尽きない。

 それも、当然のことだろう。


 目の前で、ニコニコと笑顔を浮かべて、手を振っているのは……

 異世界にいるはずの、カリィなのだから。


「お前、どうして……」


 足が、震える。声が、震える。

 英治は覚えている……忘れるはずが、ない。


 目の前で、まるで踊るように次々と仲間を殺していった姿を……

 仲間を殺しているというのに、笑みさえ浮かべていた姿を……


「あー、エイジったら、やっと起きたんだね。

 もうっ、心配したんだから」


「……っ」


 それは、誰もが見惚れる笑顔……

 男であれば、こんな笑顔を向けられれば一発で、落ちてしまうだろう。 


 しかし、英治の抱いている感情は、そんな甘ったるいものではない。

 疑問が、恐れが、絶望が、英治をかき乱す。


 カリィがいるのも、もちろんおかしい。が、さらにおかしいのはその姿だ。

 今の彼女は、背も伸び胸も膨らみ……全体的に、大人びている。


 彼女は……初めて会ったとき、多分高校生くらいだったと思う。

 だが、今目の前にいる彼女は、英治と同じ……大学生ほどの容姿になっている。


 そんな混乱の中、カリィは気にもした様子はなく……そっと、英治に近づいて……

 耳元に、唇を寄せる。


「また会えて、嬉しいよエイジ♪

 でも、勝手に居なくなっちゃうなんて、悲しかったよ?」


「!」


 ゾワッ……と、背筋が震える。

 それは、間違いなく……カリィは、あの異世界のカリィと同一人物であることを、決定づけていた。


 他人の空似でも、まして幻想でもない。

 しかも、それだけではない……


「お、まえ……どう、して……」


「なあに? 私がここにいる理由? 私がこの世界に来れた理由?

 それとも……私が、エイジの幼馴染になってる、理由?」


 まるで英治の心を見透かしたかのような、言葉。

 どうしようもなく、震えが……止まらない。


 今、まさにカリィが挙げたこと。

 それらすべてが、英治にとって理解不能なことで、そして最悪だ。


「ふふ、さあ、どうしてでしょう。

 あ、でも……あの王女様には、ちょっとお仕置きしちゃったかな? だって、勝手にエイジを帰しちゃうんだもん」


「っ、お前……!」


 くすくす、と喉を鳴らして笑うカリィの言葉に、英治は一瞬あっけにとられ……次に湧いてくるのは、怒りだ。

 思わず、目の前の女の胸ぐらを、掴み上げたくなる。

 だが……


「しーっ?

 あんまり変なことすると、カナちゃんに不審がられちゃうよ?」


「!」


 指摘するのは、もう一人の……本来、英治にとって一人だけの幼馴染、花奈の存在。

 今は小声で話しているが、もしなにか行動を起こそうものなら、花奈にも気づかれてしまう。


 現に、今だってすでに、なにを話しているのだろうと気になっている様子。


「カナちゃんは、私にとっても大事な……大事な、幼馴染だから。ね?」


 その笑顔は……英治を恐怖に陥れるには、充分だった。

 カリィには、大切な仲間を殺したという、前科がある。


 世界が違う……とはいえ、カリィがなにかの間違いで、花奈を手に掛ける理由だってあるのだ。

 そう……これではまるで……


 花奈を、人質にされたようなものだ。


「ねえ、二人してなに話してるの?」


「んー? なんでもないよ。

 エイジが無事で、よかったなって」


 なんの不信も抱かずに、花奈はカリィと会話をしている。

 長年連れ添った……幼馴染として。


 あぁ、なんたる悪夢だろう……

 花奈の中では……いや、きっとこの世界では。

 カリィは、英治や花奈と共に育ち、年を重ねてきた……幼馴染なのだ。


 どういう手段を用いてか、この世界にやってきた。

 どういう理由があってか、その容姿は英治と同年代へと成長した。


 どういう理屈が通用したのか、彼女は英治と花奈の幼馴染として……ずっと、この世界で生きてきた。

 記憶が、記録が……英治の知っているものと、変わってしまった。


「そういうカナちゃんこそ、エイジとずいぶん仲がいいじゃない?」


「え、そ、そんなことは、ないよー?」


「そんなことあるよー、幼馴染でも差があるって感じ?

 本当……羨ましいよ」


「……!」


 もはや、気を緩めることなどできないのかもしれない……

 カリィの言動すべてが、英治を刺激する。


 かつて仲間にやったように。

 英治を手に入れるために、花奈にまで手を掛けることが……ないとは、言えない。

 今の言葉に、そういう意図がなかったのだとしても……そう、考えてしまう。


 どうして、こうなってしまったのか。

 どこから、なにを間違ってしまったのか。


 勇者として、あの世界に召喚されてから……もう、逃げられないと、決まっていたのだろうか。

 たとえ世界を渡っても、彼女からは……カリィからは、逃げられない。


「英治? どうかした?

 なんか、顔色悪いけど」


「え、そ、そんなことは……」


「まだつらいなら、私が付きっきりで看病してあげよっか?

 エ、イ、ジ♪」


「!」


 ……平和な日常に。勇者になる前のいつもの日常に。

 帰ってきた……はずだった。


 だが日常は、英治の知っているものと姿を変えていた……

 もう、逃げられない……それが、わかってしまった。


 この先、一生……


「これからも、ずぅっと一緒だからね?

 エイジ♪」


 カリィからは……逃れることは、できない。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 序盤の衝撃的な展開と、仲間の絆を培う回想シーンが読み易く光景が想像出来て良かったです。 恐怖と狂気が感じられる展開も素晴らしいですね。
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