最終話 二人は今日も地の底で
今更ながら、この地下迷宮について話をしようと思う。
最初に言った通り、この地下迷宮には墓守と(主にマイアからそのように)呼ばれる魔物(と言うとマイアは怒るが魔物は魔物である)がひしめき合って存在している。広大な階層は縦に幾重にも続き、次の階層へと繋がる場所には何らかしらの罠が仕掛けられていることが多い。
例えば、強大なエリアボスが配置されているだとか。
例えば、無限増殖する食虫植物のような墓守が通路を埋め尽くしているだとか。
例えば、石像の向きを正しく合わせないと現れない階段があるだとか。
ここまでもそんな具合だった。俺たちは二人三脚そんな階層を何層もすり抜けてきたのだから、共通認識で此処にも罠がある──そう認識していたはずなのだが……。
岩場をすり抜けた先の空間は、集会所の如くぽっかりと開けていた。乱雑なようで規則性のある岩が積み上がって出来たその広場は、端から端まで約五十メートルの円形で、松明がいくつか壁際に掲げてあった。入口の反対側に見える階段は苔むしており、途中で崩れている。それ以外の出口を探すが、今入ってきた道以外には道はなく、天井に大きく穴が開いているだけだった。
「出口の階段、使えねえな……」
「お前のスキマで見た感じ、ここが最後の行き止まりなのか?」
マイアが辺りを見渡しながら聞いてくる。
「……スキマって、技能・地図作成のことじゃねぇよな?」
「それだ、それそれ」
「変な略称付けんなよ──まあ、アンタの言う通りここがこの階層の端っこだな。……階段が潰れてるってことは、この階の出口はまさか天井なのか?」
「あれ、お前天井に登るの初めてか」
「言われなくても初めてだよ。ずっと階段とか横穴みたいなスロープとかなんだかんだ人間に優しい道があったじゃん」
「お前と歩いてからはそうか」
「そうだよ」
「じゃ、僕が登り方を教えてやるからさ。墓守もいなみたいだしな、さっさと登っちまおう」
「そうだな」
俺たちは荷物を背負い直すと、それぞれの武器に手をかけながら広場に足を踏み入れた。
墓守たちの姿はどこにもない。
ただ、その中央──本当にど真ん中に、わざとらしいスイッチのような岩が置かれているのが目に入ってきた。ご丁寧に極彩色に塗られたそれは、「さあ押して! 早く押して!」と言っているようであるが……ここの仕掛けを使った奴はアホなのではないだろうか。
こんなあからさまな罠、引っかかるとするとボケ担当の人か、或いは純粋無垢で無知な地底人くらいのものだろう。
……と、想像したのがいけなかったのかなんなのか。俺は見事にフラグを立てたらしい。
「あん? なんだこれ」
お約束、前を歩いていたマイアは真っ直ぐに中央へ進むと、微塵の迷いなくそれを押し込んだのである。
カチッと軽快な音が鳴った。
それはもう軽快な音だった。
軽快すぎて警戒心が薄れるような軽やかな音。
続くのは石の転がるような音で、何処からか水のような湿った音も聞こえる。ああ、マジで毒ガスとか爆発とかじゃなくてよかった! このあと噴霧や爆発されないとも限らんが、とりあえず。
「こらバカあんぽんたんアホマイアーーーーッ!」
マイアに怒っておいた。
「な、なななんだよ⁈ いきなり怒鳴るな!」
マイアは驚いて狼狽えるが、狼狽えたいのは俺の方だ。
「ばかばかばーか! お前なんでアレを押すんだよ⁈」
「スイッチは押すためにあるんだろうが!」
「アレは押しちゃダメなやつだろう!」
「そんなものがあるのか⁈ わかんねえよ! お前に会うまでの階層でも見つけたら全部押してきたもん」
「もんじゃねえよ! 下の階層どうなってんの今! 今後は押す前に聞いてくれよ、頼むから!」
「ああ、わかった!」
言い争う俺らを笑うかのように、地下迷宮が揺れ始めた。苔むした階段が轟々と崩れて、煙立つ──その向こうから蟻の姿をした墓守たちがそぞろ出てきた。
階層の終端を守護する墓守たちのお出ましである。
お出ましというかマイアが呼んだのだが、俺は寛容に出来た勇者なんだ。頭の中に溜め込んでおいた必殺技──命名は無論俺で、暇潰しに転移後から考えていたもの──をお披露目する機会だと思えば悪くもない。
早速、俺は走り出した。
「いくぞ! 光ノ救済!」
「ええ……」
墓守の頭上から光線が降り注ぐ。触れた墓守たちは光に溶けるように蒸発した。
「次! 破滅誘斬!」
「……なるほど。独特な感性だな……」
「爆焔撃! 業火ノ帷!」
「うーん、僕の出る幕がない」
マイアが何かをぼやくが、出し惜しみはしない。
マイアには爆発魔法に火魔法を織り交ぜてると言ってあるので、(というか既に何度もその言い訳で戦闘を見せ続け、最早突っ込まれることもなく、今更感もあるので、)遠慮はしない。
延々と湧いて出てくる墓守たちを、貫いて、斬り捨てて、叩いて、燃やし尽くす。元々ふんだんに技能だのなんだのを盛り付けられた勇者は苦戦するはずもない。
あらかた小物たちを斬り捨てたところで、粘りのある水のような巨大な半液状の墓守──つまりはホウ砂と洗濯糊で作る小学生の大定番のアレの形をした墓守が壁から滲み出て来た。覿面、マイアは顔を歪めてそれを触りにいく。なんでだよ。
「うお、こいつなんかねばねばする」
「そりゃそういう存在だもん」
「早く倒してくれよ」
「え、アンタは?」
──っていうかマイア全く戦ってなくねえか?
ここで俺は気づいてはいけないことに気づいてしまった。コイツ、がっつり休んでやがる。暇そうに天井の穴なんぞを眺めて……こちらを見てすらいねえ。
「マイアも働けよ!」
「いや、どう考えてもお前だけで余裕だし、僕のやることないじゃん。よくわからん絶叫タイムを邪魔しては、お前のストレスも溜まってしまうだろう」
そう言ってスイッチのある台座に座り込んでいるのだ。押されたスイッチをさらに押し込んでみたり──なんとまあ薄情な男だろう!
しかし、これはある意味では好都合だった。もう一つだけ、試したい技があるのだ。
駆け抜けて、墓守を広場の端に誘導する。マイアとの距離は十分、小声で言えば並の人間には聞こえまい。試すのは新しい技である。
大剣を振り回し、勢いよく地に突き立てた。この前、経験値上昇で思いついた必殺技である。
「彼方の眠りより目醒め、万物を焼き尽くせ──聖剣ッ!」
声に合わせ、白い光が四方に走る。光は四方から墓守に降り注ぎ、地から貫き、燃え上がる。墓守が断末魔をあげ──爆発した。
爆風が辺りの小岩を吹き飛ばす。
敵を倒した勇者の背後で爆発──絵面はよかったのだが、地下迷宮揺るがす大爆発である。幸い地盤が大変強靭なのかなんなのか、地崩れなどはしなかったが、流石にこれはいただけない。
「あー……」
どうにか技能で爆風を躱すが、これはいただけない。自分で防御していたらしいマイアも半目でこちらを見ていた。
「ユイシス、流石に地下空間で爆発させるのはないんじゃねえの。崩れたらここが僕らの墓場になるんだぞ」
「俺も思った」
「やる前に思いいたって欲しかったな」
「迷いなくスイッチを押した人に言われたくはないけどな」
「アレ結局なんも起きなかったじゃん」
「墓守たち出てきたの見てたか⁈」
倒したの全部俺なんだけど、というのは言わないでおく。世間知らずのこの男だ。爆発魔法と火魔法と剣技の応用と思っているだろう。それがうっかり火力を間違えただけ、くらいにしか思っていまい。
マイアには光の魔法を使えることは言っていないし、必殺技も小声で言ったしなんの問題も──
「ところで聖剣の贋作なのに名前はまんまマルグリットなんだな。マルグリット・ニセーとかマルガリットあたりだと思ってたけど」
どっこい聞こえていたらしい。俺は派手に咳き込んだ。マイアはじっと俺の剣を見つめていた。
「なんで名前がモロ被りしてんの」
「あー、いや、マルゲリータ! マルゲリータ、マルガリータ、そういう名前なんだ!」
「あれ、お前そんな呼び方してたか?」
耳が悪くなったかなあ、と渋い顔をするマイアに、またしてもなんとか誤魔化せたと胸を撫で下ろす。そのついでに、ふと気になったことを口走った。
「てかさ、俺も不思議だったんだけど。マイアはなんで聖剣の名前を知ってんだ? そんな知れ渡ってそうでもねえけど」
今度はマイアが咳き込んだ。勢いよく剣から目を逸らす。な、なんだ、コイツ……。
「そ、そりゃあ……有名だからだよ。ほら、人間の、その、ゴシップ誌とかで見かけたと言うか」
「は?」
何故ゴシップネタにされているのだろうか。
地下迷宮にもゴシップ誌を発行する誰かがいて、購読する誰かもいるってことか? それはそれで、読んでみたいのだが……。っていうか、地下迷宮の最下層で人間のゴシップ誌なんぞをわざわざ読むとは。もっと入手すべきものがあるだろう。というか、ゴシップ誌を売りにこれるんだから出られるはずだろう。
意味がわからん、地底人文明。
しかし意味がわからんからと言って邪険にして良い理由にはならなず、俺は地底人の言葉を尊重するのだ。
「なるほどな」
マイアはあからさまにホッとしていた。
さて、俺が墓守も倒したことで再び地下迷宮は静かになった。
「じゃあさっさと登ろうぜ。どうやって登る?」
そう聞いた時である。
「待て」
マイアが珍しく俺を制止した。表情は普段と変わらないが、その視線は真っ直ぐに崩れた階段をとらえていた。すぐに俺にもその気配は伝わった。
先程の階段の周りの岩が更に崩れた。壁の奥──そこにゆらりと巨影が見えたのである。
息を吐けば空気が震えた。
一歩踏み出せば地響きがした。
マイアが魔杖を構え、俺は大剣に手をかけた。地を踏み締め、空気を揺らし、鼻息荒くそいつはやってきた。俺たち二人の敵ではない──にしろ、やはり普通の墓守よりは厄介なわけで。
「で、スイッチ押しても何にもなかったじゃん、だっけ?」
「……うーん、これはすまん」
素直にマイアは謝った。あのスイッチ、ボス専用の目覚ましボタンとかだったらしい。寝起きの不機嫌そうな墓守──形容するならトラックのようなサイズの大猪──が鼻息荒く出てきたのである。
図体ばかりでかい墓守を見て、隣でごくりと唾を飲み込む音がした。俺はそれから腹の虫が元気よく鳴いたのを聞き逃さなかった。
マイアはすまんと言ったばかりの口で囁く。
「しかしだな、喜べよユイシス。こいつ一体でしばらく満腹だぞ」
本当に、つくづくこう言う男なのだ。
+++
僕たちの前に現れたのは一匹のやたらとデカい猪だった。猪肉は地下迷宮に来てから何度も食ってるし、適切に処理を行えれば美味いし、滋養もある。これは当たりを引いたな──そう確信した。
「ユイシス、こいつは僕に任せておけ」
「お前一人で?」
「お前の技だと、変に骨まで焼かれそうだからな」
一介の料理人として、そこには拘りがあるのだ。先程の戦闘もそうだが、この迷子、どんどん火力調整を面倒がっているきらいが強まってきたのである。強火にすればいいってものじゃないのだが……
僕は魔杖を構えると自分の影に突き刺した。瞬間、影は裂けて無数の槍を形作る。ユイシスには召喚術と説明しているので、これが一番安全な戦い方だろう。
僕の影から造られた槍は、真一文字に空間を疾った。図体ばかり大きな猪は不機嫌に鼻を鳴らすと、最初の踏み込みで幾本かを押さえつけて、残りは跳躍で躱す。一足跳びに飛んできたのは畏れ多くも僕の頭上──頭が高い!
僕の周りに大きな影が落ちる。そう、あのまま押しつぶすつもりだろうが──
「巨大猪よ、残念だったな」
僕自身の影だけだと、どうしても使える量が少なくなる。しかし、これだけの大猪だ。奴の影をも利用すれば、魔杖を突き刺し、視界を覆って黒く塗りつぶすほどの腕を大量に作れるのだ。あとはいつも通り──縊り殺すのみである。
パチン、と指を弾けば地下迷宮に咆哮が轟いた。痛みは一瞬だ、耳をつんざくそれも長くは続かない。貪るように影の腕たちが血を抜きとっていくのを横目に、僕はユイシスの側に戻った。
相変わらず、戦闘後にはすごく邪道なものを見る目を向けてくる。
「相変わらずえぐいよな、お前の戦い方」
「そうか? そんなことはない──血抜きも完璧にしてるから肉は美味いぞ」
「えぐいって言ってんのはそう言うところだよ!」
「お前が気にしすぎなんだよ。戴くのなら一番美味しく戴くのが礼儀だろう」
「だったら普通に斬るのでいいと思う」
「善処する」
普通……確かに、それは気をつけていきたいところである。
僕の常識は復活前、数百年ほど前の常識によって作られている。迷子はご存知世間知らずだからまだいいのだが、この先他の人に遭っても、誤魔化せるとは限らない。
そういえばとユイシスが首を傾げた。また普通に関して忠告があるのかと思いきや。
「あんたはさ、なんで技名とか言わないの?」
なんで……?
なんで、と来たかこの愉快な男は。何故いちいち攻撃を決める度に技名を叫ぶのが当たり前のような顔をしているのか、俺の方が尋ねたい。なんで?
「技名って、お前がいつも叫んでるよくわからない単語のことか?」
「あんた召喚術使うだろ。サモンとか言うだけでカッコよく決まるぜ」
それはお前だけだろう、と思いながらも少しは検討してみる。相棒の話は聞いてやる、出来た魔王なのだ、僕は。
「サーモン……まあ響きは嫌いじゃないな」
「鮭じゃなくて召喚な」
「サモンサーモン?」
「鮭を召喚んでどうすんだよばか!」
「お前は人のことをばかばか言い過ぎだ!」
こうしてはしゃぐ様は愉快なのだが、やはり時々難しいことを言う男だ。お前別世界から来たのか? そう聞きたくなることもしばしばだ。
まあ、物は試しだ。
「サモンサーモン!」
僕は影に魔杖を突き立てた。すぐに影が歪み、揺らめき、水面のように足元に広がっていく──そこから飛び上がってくるのは、大きな魚影である。よく肥えた可愛い魚……よく下の階層で見たような気がする。塩で焼くと美味い魚だ。
「ほらやっぱり鮭じゃん!」
ユイシスも楽しそうである。だが、悲しいかな、これはただの影絵なのだ。食べられないので、仕方なく歩いてきた方へ向けて放流する。きっとこの階層で狩り損ねた墓守たちを食って大きく育ってくれることだろう。
ドサリと大きな音がして、程よく血を抜き取られた猪が落ちてきた。影が全て僕の足元に戻る。ユイシスの無限収納に猪を丸ごと仕舞えば、つまり。
「今度こそ、この階層も終わりだな」
「そうなるな」
見上げれば天井に空いた穴から、光が溢れ落ちている。後は登ればこの階層とはおさらばだ。
無論、ユイシス一人でも時間をかければ登れないこともないが、僕が手を貸した方が早いのは明らかだった。僕一人ならば跳べばいいのだが、人間だもの。そういうことはしない。
足元の影が無数に裂けて、壁を伝って天井に貼り付く。やがて重力に従うようにスルスルと垂れて来た影の腕に掴まった。ユイシスは不気味なものを見るような目つきで掴む。僕の身体を。
「腕の方掴んだほうが楽じゃねえか?」
「そんな得体の知れないモノを触れるか!」
「俺の影──召喚獣なんだけど」
「さっきの戦闘もそうだけど、それめちゃくちゃ不気味なんだよ……」
「見た目によらず怖がりな奴だな……」
「いや、普通だろ」
「仕方ない。しっかり掴まっとけよ」
ため息混じりにそのまま上に登ることにした。影の腕は安定して、僕たち二人を上の階層に運んでいく。
適当なところで影を仕舞って、崖のように迫り出した箇所に手をかける。そのままユイシスごと次の階層に転がり込んだ。
穴を覗けば、眼下には先程の岩場だ。けれど、戻りたいとは思うはずもない。
次の階層は湖や川のある涼しい階層だった。やはり無駄に広く、草木も自生しており、その奥は見通せない。
「さ、旅を続けようぜ、我が友よ」
「そうだな、親友」
まだまだ地上は遠い。
僕らの旅はまだまだ続きそうだ。
二人旅にお付き合いいただきありがとうございました!