2. 魔王の場合
僕はふたたびこの世界に生まれた瞬間から地下迷宮、万物之墓場で生きてきた。
隠すまでもないから言うが、転生──一度死んだ魂が、また命を得るあの現象──それを僕は経験した。かつて魔王として世界を股にかけていた僕は、一度勇者に殺された記憶がある。一度死に、それから数百年の時を経て転生したのだ。
再び魔王として。
それだけならば、まだ良かった。
また一から頑張ろうと思えたし、今度は人間との和平の道も悪くないかもなんて阿呆な考えもできたくらいなのだ。
しかし、転生した場所が悪すぎた。
何故魔界でもなく、人間界ですらないのか。
ここは世界の片隅、更にその地中深くに位置する地下迷宮、その最下層の神殿で僕は生まれたのである。
僕が転生する前ですら混沌として、無駄に縦にも横にも広大だと言われていたこの神殿、かつての僕は早々に管理に飽きて放棄した。今や一体どうなっているのかは考えたくもない。それでも、かつてを知るからこそ、日々膨張していることだけはわかる。
僕を産んだ両親は一体どこから来てどこに消えたのか……それはあまり考えたくないが、幸い、物好きな墓守が戯れに育ててくれた。お陰でこんな悲惨な土地で生まれて、死ぬことなくどうにか成長できたのである。
この空間には墓守と呼ばれる存在が数多蠢いていた。
動物、虫、植物、或いは人間の形を模した彼らは、魔族で言う魔物のように、或いは生真面目な人間の兵隊のように、この地下迷宮を守っている。勿論のこと、彼らと僕の守るべき魔族は全く別物なのだが──それはそれとして、一体なぜ僕はこんな場所に転生したのだろう。悪神の悪戯にしたって酷すぎる。
とんだ災難である。
これではこの地下迷宮を抜け出す頃には勇者によって魔族が淘汰されていてもなんら不思議はないのだ。
「……とりあえず、上を目指すか」
魔王の責務を全うするにしろ、手遅れで出来ないにしろ、まずは地上に出なければ話にならない。
そんなわけで、僕は育ての親元を離れ、一人旅を始めたのである。育ての親は「可愛い玩具だったのに……たまには帰ってらっしゃいよ」ととんでもない見送り文句を言って、これまたどこから取り出したか年季の入った魔杖を与えて送り出してくれた。
幸いにして、魔力や闇の魔法は生前と同じく使えたおかげで道中食い殺されるような心配はない。ただただのんびりと気ままな旅をするだけだった。
食べられるもの、保存の効くもの、調味料になりそうなもの、そんなものを集めることを趣味にして、上の階層へと登ってきた。歩めど歩めど(育ての親以外の)全てが命を狙ってくる墓守たちの巣窟探検──気ままといえば聞こえのいい一人旅にそろそろ飽きてきた頃。
旅の仲間に僕は出会った。
彼は面白い男だ。多様な技能を扱い、身の丈ほどもある大剣を楽々と振り回し、よくわからない単語を連発する愉快な奴。
ある日階層を上がった時、目の前に阿呆面で突っ立っているので、てっきり小人族かなんかの妖精かがいるのかと思ったくらいだ。よくよく話を聞けば、記憶喪失の遭難者だとかで──それはそれでどうなのか、なんの因果でこんな地下深くで記憶喪失になっているんだと思わなくもないが──とにかく、すぐに打ち解けて彼は良き旅の仲間となった。
「ユイシス」
これがこの男の名だ(……と言うが、彼はなぜ名前だけは覚えていたのだろうか)。
ユイシスは丁度狩ったばかりの鶏形の墓守と、野菜に見えなくもない蔓植物形の墓守とを技能・保管庫で亜空間に放り込んでいるところだった。なんとこの珍妙な技、大物から小物まで保存ができる上に、投げ込んだものの時間経過を止めることができる。素晴らしく便利な男だ! 彼に出会うまではいちいち塩漬けにしたり燻したりしていたというのに!
僕もあの魔法を使いたいが、生憎と亜空間に敵を永久に閉じ込めるような魔法は使えても、投げ込んだものを自在に入れたり取り出したりするような魔法は使えなかった。
驚くべきことに(そして便利なことに)彼には地図を投影するような技能もあるので、彼と合流してからの旅は格段に楽になった。頼ってばかり、借りを作ってばかり。ならばせめてと僕は料理当番になったのだが……
「どうしたんだ?」
ユイシスがこちらを伺い見ていた。僕は頷いて、すっと洞窟の端を指差した。
「いやな、折角だからいくつか草を摘んでおこうと思ってさ。人間たちは草もたくさん食べなければならんのだろう……無論、僕もだけど」
「草ァ?」
「ほら、アレ。向こうで眠ってる墓守の背後にあるだろう」
指差す先には黒い影──意識のない墓守は形を持たないので全てああいった影になる──が渦巻いている。その背後に群生する、色鮮やかで食欲を唆る植物。
「アレって……目が六つある……ウツボカズラ……?」
「残念ながら奴はウツボナンタラじゃないが……消化液を良い感じに処理できたら美味いんだ」
また変な単語が出てきたが、既に慣れてきていた。この間なんて、「セイクリッド・ホーリークラッシュ!」などと意味不明の文字の羅列を叫びながら攻撃をしていたくらいだ。記憶もないのに変な言葉は忘れない──生来とことん愉快な奴なのだろう。
僕たちは常に交代で戦闘を行うことにしていた。というのも、ある程度の墓守の群れであれば一人いれば十分だからだ。魔王の自分と、記憶喪失の愉快な男が同じ実力というのも少々納得し難いものがあるが、休めることには変わりがない。交互にそれを享受しあっていたのだが、例外として、今のような事態がある。
本来であれば前回戦ってもらった分、今回は僕が一人で片付けるのが筋なのだが、
「もし草を摘んでる時に墓守が起きたら、お前の方に行くかも知れんな……しかし、倒してからだとせっかくのご馳走に傷がつくか、巻き込んでしまうかもしれん……」
そんなわけである。
「まあ……来るだろうし、巻き込むだろうな」
「すまんな。結局お前に退治を頼んでしまう」
「ああー、ま、別にいいぜ、美味いやつ食わせてくれたらそれでトントンにしようや」
ユイシスは歯を見せて笑った。ううむ、つくづく人のいい男だ。
僕は闇の魔法を己の足にかけて、音もなく歩き始めた。通称影歩き──ユイシスが特段愉快なだけで、通常魔法の発動に詠唱は必要ない。故にいちいち叫びはしないが、これも立派な魔法である。
音も風も立てずに墓守の横をすり抜ける。茂みに蹲み込んでいくつかもぎ取っては手元の袋に詰め込み、またもぎ取った────その際に、なんとしたことか。うっかり、一つばかりひっくり返してしまった。
地面に消化液が飛び散って、ジュッと何かを焼く。白い煙が立つ。
──ま、こういうのってお約束だよな。
他人事の様に見つめる僕の側で、眠っていた墓守が目を開けた。
ぐるりと影がとぐろを巻いて、立ち上がり、やがて一つの形を成す。鈍く光る赤い目、顎まで伸びる鋭い牙、細かい牙の隙間から覗く長い舌、三つ頭が連なる地底の門の番犬。
嗚呼、畜生、僕は犬が好きなのである。
「クソ! 愛くるしい姿で出てくる作戦か!」
思わず吐き捨てていた。嗚呼、今すぐに駆け寄って撫で回したい。
「……あ、愛くるしいのか? あれが」
よだれまで垂らして、なんとも愛くるしいというのに、ユイシスは何処かズレた感性をしているようだ。
「愛くるしい以外に何がある」
「純粋に怖いだろ!」
「ユイシスは動物が苦手なのか? 意外だな」
まあ、そんな人間も珍しくはない。
墓守は低く唸り声を上げると、地面を勢いよく蹴った。すぐ側の僕──ではなく、やはりユイシスの方へ。こんな時は必ずユイシスが狙われるのだから、とんだ不憫な男だ。
今回は全面的に僕のせいなので、
「ユイシス、跳べ!」
声を張り上げた。
手を叩いて、墓守の影を踏む。そのまま地面に魔杖を突き立てた。瞬く間に墓守の影が無数に裂け、人間の腕のような形を成した。腕が墓守に絡みつき、捻り潰し、その体を地に磔る──転生前からの得意技。そのまま影で包み込んで仕舞えば、影が墓守の身体をじわじわ溶かすので、後始末のいらない便利な魔法なのだ。食材としては使えないが、愛くるしいものは食べられない。
便利な……転生前から使っているくらい古い魔法だから、これくらいならセーフだと思ったのだが。ふと見遣れば、ユイシスが微妙な表情でこちらを見ていた。
「マイア、あんた……」
「な、なんだ」
まさか、人間の間ではコレは普遍的ではないのだろうか。お掃除の時に使ったりはしないのだろうか。埃が気になった時にとか、要らない家具がある時にとか。
ちなみに僕は己の正体をユイシスにも秘密にしていた。魔王なんて、聞いて喜ぶ人間もいまい。
とは言え、普段は誤魔化し切れているのだが。
「今のは禁呪の黄泉起こし……じゃ……」
ユイシスは僕を見てギョッとしていた。お前本当に変なところに詳しいな⁈――そういや人間はそう呼んでた気もするが――僕は呆れながら必死に思考を練った。
「まさか、いやいや、こいつは僕の故郷じゃありふれた生活魔法でな……見間違いだろ」
「今のは絶対闇の魔法だろ! 変な手が生えて来たの見えたし!」
「しょ、召喚術だ! そう、咄嗟に嘘をついてすまんな! それなら人間も使うだろう! あの腕が僕の召喚獣たちだよ! 可愛いだろ!」
「腕だけの召喚獣⁈」
「そうそうそうそう、いやー、めちゃくちゃ恥ずかしがり屋なんだよなあ」
「そ、そういうもんなの……?」
ユイシスは半ば不服そうに、それでも納得してくれた。流石記憶喪失、都合よくゴリ押しで言いくるめられる。
今後もユイシスに僕の正体は明かすつもりはない。こんな悲壮な土地で得た、苦楽を共有する大切な友人に──過ごした時間はまだ僅かだが、それでも親友だからこそ、彼には絶対にバレたくない。
魔王だと知れば、きっとこの男も態度を変えるだろうから。
――そんなことは決して許さない。