立ち上がれ
――――終わった。
俺は大抵の事では絶望はしない。
しかし、一瞬だけ脳裏に絶望の言葉が過る。
「アレンにゃ!直ぐに移動しないとまずいにゃ!」
タマの声に我に返り、直ぐに冷静になれる。
「待て。こいつを一瞬で倒して母さんの出産を」
……いや、ケロべロスがどれだけの強さがあるのかは分からないが本当に一瞬で倒せるのか?
もしも、倒せないで長引いて母さんが危険な状況になるのだけは駄目だ。
優先順位はケロべロスを倒すことではない。
母を助けることが第一だ。
「ううう!!」
母がケロべロスを見ても怯えることも無く恐怖することも出来ないぐらいにお腹を抑えている。
「ママ!?しっかりして!」
「大丈夫だよ!」
母の呻き声にミリアとサーニャも正気を取り戻したように背中を擦っているが…どうしたらいいんだ。
これ以上の負担は駄目だ。
「ファイン!」
「は、はい!」
「直ぐに水を用意してくれ!ファインなら匂いで戻ってこれるよな!?」
「大丈夫です!だけど…け、ケロべロスが」
俺達の前で涎を垂らし、飢えた獣が今にも襲いかかりそうな凶暴な面構えで待ち構えているが、俺が十秒以内に倒せば可能性は有る。
「安心してくれ。俺が何とかする。ファインはまずは自分の役割をお願いしたい」
「…はい!直ぐにご主人様の元に戻ってきます!」
ファインが全速力で駆け抜ける姿を見て――――俺も剣を抜く。
◇
サーニャside
私は何が出来るのだろうか。
大抵の事は何でも出来ると考えていたのに…。
どんな時も、どんな状況下でも私は大丈夫だと――信じて疑わなかった。
『――――大天魔導士だ』
開眼の儀で行われた言葉にも動じず…私はこれから先も何が起きても完璧に対処すると当たり前のように思っていた。
何が大天魔導士だ。
何が世界で最も強い魔導士だ。
大切な人が、私の親が一番困っている時に――――私は何も出来ない。
ママが今まで見たことも無いぐらいに辛い顔をしながらお腹を抑え、苦痛に耐える姿に私の方が涙が出そうになるのを必死に堪える。
「サーニャ…ちゃん。だ、大丈夫…よ」
「――――ッ!!」
ママが私の頬に手を伸ばし、微笑を浮かべて私を慰めようとする姿に一粒の涙が溢れ出た。
ママは敏い。
私が嬉しい時に抱きつき、悲しい時には頭を撫で、迷っている時に手を伸ばしてくれる。
そんなママが辛いのに私が…落ち込んでいる場合じゃない。
「ママは大丈夫よ。私が守るんだから」
何時も助けられてきた。
その笑顔に、その温かさに私は何度も救われた。
頭は動かない。
体は震えている。
だけど――――それでも守りたいものが私にはある。
「アレンはママを助けて」
剣を抜き、立ち向かおうとするアレンの元に駆け寄り一歩前に出る。
「な、何言ってんだ!?」
アレンが切羽詰まった声を上げるが、私は直接ママを助けることは出来ない。
現状で頭も働いていない。
意味も分からない現状でも冷静に対処できるのは私の大切な――――アレンしかいない。
「私じゃママを助けることが出来ない。だから、アレンが助けて」
「駄目に決まってんだろ!何とか直ぐに片付けるから」
「私も手伝うよ!アレン、剣を貸して!」
アレンから剣を奪い取り、私の横にミリアが立つがその顔に笑顔はない。
真剣な表情で剣を構える。
「お前ら……」
「「ママを助けて」」
私達が同時に放つ言葉にアレンは一瞬目を見開き、直ぐに顔を俯かせ首肯する。
「……無茶だけはするなよ」
アレンがママの元に駆け足で歩いて行く姿を見て、私は前を向く。
今まで魔物とまともに対峙したことはない。
常に茂みに隠れて魔法を当てるだけだったからこそ…殺気を向けられる恐怖が私の身を竦ませる。
「サーニャちゃん」
「何よ」
「サーニャちゃんが魔物に立ち向かう姿を見て私も頑張ろうって思ったんだ。ありがとね」
……本当にこの子は。
きっと分かっていない。
常に何を考えているのか分からないし、私の従者に直ぐに抱きつくのに…悪い奴じゃないから憎めないのよ。
その笑顔に私の恐怖が少しでも拭えてしまう。
「あんたと共闘するとは思わなかったけど私の足を引っ張るんじゃないわよ。剣聖と大天魔導士が共闘して負けるなんて笑えないんだから」
「うん!助けようね!」
二mを超える巨体に立ち向かうのは確かに怖いが…ママを失う恐怖に比べれば屁でもないわ。
「ミリアが囮になりながら私が魔法を当てる。良いわね?」
「うん!」
ミリアが頷き、前に出て剣を抜いて突撃する。
加速した勢いで跳躍し、ケロべロスの胴体へと剣を上段から振り下ろすが、ケロべロスの一つ目の頭の口から牙を剥き出しにして重なり合う。
「ッ!?」
ミリアと互角!?
間違いなく勝てると踏んでいたが、ミリアとケロべロスは互いに引かず両者ともに弾き飛ばされる。
「あああああああ!!」
「ママ?」
ママの呻き声に慌てて背後を振り返るとアレンが真剣な表情で作業をしている。
「こっちは大丈夫だ!ミリアは目の前に集中してくれ!無理だと判断したら退いて良いからな」
「無理じゃないわ」
ママが今まで聞いたことも無い程に苦しそうな声を上げながらも頑張っているのに、私が頑張らなくてどうするのか。
「ロックブラスト!ウォーターボール!」
同時展開で二つの魔法を同時に使用してケロべロス頭に土魔法と水魔法が当たるが…ピクリともしない。
やっぱり効かないわね。
「ワオオオオ!!」
攻撃が効いている様子はないが、私の態度が気に食わないのか前へ進み私の方に襲い掛かってくる。
三つの頭の口から涎を垂れ流しながら獰猛な牙が私を捉え――――るよりも先に復活したミリアの蹴りがケロべロスに当たり、大きな図体が横に吹き飛ばされる。
「サーニャちゃん!大丈夫!?」
「寧ろあんたが無事なのに驚きよ」
「私は大丈夫だけど馬鹿だから作戦とか思いつかないの!サーニャちゃんの頭が必要だよ」
作戦が必要だとミリアが喋るが、ケロべロスが直ぐに起き上がり再度襲い掛かってくるので、作戦を考える暇もない。
「ミリア、あんたの攻撃であの犬っころを殺すことは出来る?」
「ちゃんと攻撃を入れれば何とか出来ると思う」
「なら、私が誘導している間に斬って!」
「う、うん!」
「私から離れて。合図を送るわ」
迫るケロべロスからミリアと別れ距離を離れて一度大きく深呼吸をする。
「ウインドカッター!ウインドカッター!」
二本の刃をケロべロスに向けて注意を惹きつける。
私の攻撃が効かなくても、ミリアがその間に斬れば私達の勝ち。
これ以上、この犬っころに暴れられてママやアレンを巻き込むのは私の敗北を意味する。
ママに負担を掛けるわけにはいかない。
「こっちに来なさい!」
なるべくママから離れた場所で何度もウインドカッターを撃ち続けて注意を惹きつける。
ケロべロスは攻撃を意に介してないが、私の方を向き徐々に速度を速め近づいて来るのを見て、
「今よミリア!」
離れた場所から私の合図とともにミリアが突撃して死角からケロべロスを捉えている。
全力で跳躍したミリアがケロべロスの首を斬り落とさんと振り抜かれた。
――――入った。
間違いなく断言出来た攻撃を、三つの頭の内の一つがミリアを捉え牙で攻撃を受け止め、デカい図体の爪で先程のお返しだと言わんばかりの攻撃がミリアを襲った。
「ミリア!!」
空中でミリアが目を見開き驚いたのを見たのは一瞬で、一秒後にミリアが剣を横にするも数メートル離れた木まで吹き飛ばされた。
「あんたなにして…」
頭の中の何かが切れ、頭の中が激情で溢れケロべロスを見た瞬間、既に私の思考を他所にケロべロスは私の眼前まで歩き、腕を振り上げていた。
「――――ッ!!」
瞬間的にもう回避するのは不可能だと悟り、腕を前に出し防御するが爪ではなく、払いのけるかのように凶暴な前足で吹き飛ばされる。
対抗することも、踏み止まることも出来ずに身体が浮き上がり木に叩きつけられる。
「…ガッ!?」
体全身が軋む音が聞こえて私はそのまま木にもたれ掛かり身体を動かすことが出来ない。
視界が朧気で肺から息を吸い込んでいるのかも分からない。
……私では無理なのか。
「ワオオ!!」
雄たけびを上げたケロべロスはもう私に興味が失せたかのように、視点を変えアレンたちの方を見つめている。
「ああああ!!」
「母さん、もう少しだ!」
心臓がドクンと一度大きく高鳴る。
視界の隅でママが悶え、アレンが必死にママを宥めて赤ちゃんを産もうと必死になっている。
既に私達の方を見ていない。
「……いや」
自然と涙が一粒だけ溢れ出てしまう。
アレンはもう私達を信じている。
本当は気がかりな筈なのに、自分の役目を全うしようと後ろを振り返らずにずっとママの為に動いている。
「……嫌だ」
軋む音が骨が折れていると分かっている。
立ち上がるのもきつく、膝に手を当て自分の身体を無理やり起こす。
「……誰かを失うなんて絶対にいや!!」
私は今の環境が心地よくて――――大好きだ。
――――ママと一緒に朝ご飯を作るのが朝からの楽しみだ。
――――アレンやミリア、ファインと一緒に魔物を狩って始まる日常が穏やかで充実している。
――――四人でお昼から一緒にアレンの家の中庭で修業をして、お昼にはママと一緒にご飯を作って皆で食べる日常が堪らなく愛おしいんだ。
私が大切で最も大好きな日常を失うなんて絶対に嫌なんだ。
一歩、一歩と足を踏み出し再び戦場へ足を踏み入れる。
「あんたの相手は私よ!ウォーターボール!!」
アレンとママの方に足を踏み出していたケロべロスに向けて水の球体を当て、視線をこちらに向けさせる。
腕を上げるのも億劫で、息を一苦労だがこのままケロべロスを二人の元に連れて行くわけにはいかない。
「ワオオオオ!!」
今まで何度も魔法を当てたことでケロべロスの琴線に触れたのか、今までよりも一際高い雄たけびを上げて私の方へ走ってくる。
私にもうケロべロスの攻撃を避けるほどの俊敏な動きは出来ない。
一人では到底勝てない魔物に立ち向かうには…もう一人が必要不可欠だ。
「――――あんたの取り柄は馬鹿みたいな力と体力でしょ!!いつまで寝てんのよ馬鹿ミリア!」
「おりゃああああああああ!!」
右方向から私の声に呼応するようにミリアが再度現れ、今度は脚を狙い一撃が入り、再びケロべロスが吹き飛ばされる。
「それっを待ってたのよ!!」
ゆっくりと加速し、徐々に速度を速める。
立ち上がるまで待つわけにもいかない。
これ以上時間を掛ける訳にも行かない。
最短で最速で魔法を放つには――――並行詠唱しかない。
体内の魔力を歩きながら手に意識し、二つの魔法を編み出す。
一撃、一撃は弱くても二つを合わせれば間違いなくケロべロスとだって戦える。
「――――ッ!!」
全身に襲い掛かる激痛を歯を食いしばりながら走り抜け、初めて歩きながらも魔法を手に集中する並行詠唱が出来たことに対する喜びに浸っている場合ではない。
今も起き上がろうとしているケロべロスの一つの頭に二つの手を重ねる。
「光栄に思いなさい。貴方が私の最初の全属性魔法の完成を見せる一体目よ。ファイアーボール!!」
両手を重なり合わせ、零距離からケロべロスの眼に目掛けて真っ赤に燃え盛る炎を叩きつける。
「ワオオオオオ!?」
一体目の頭が燃えて痛みに堪えるように起き上がり、暴れ回るがもう既に遅い。
「…馬鹿ね。もう――終わりよ」
三つの頭は死角を補完し確かに強いが…全く隙の無かった頭に一つの隙が出来ればもう完全ではない。
ケロべロスが激情したように前足を私に叩きつけようとしたがその場から動かない。
そもそも、動くこと自体がもう出来そうにないが焦りはない。
目に大火傷を負ったケロべロスの死角から、猛獣にも負けない殺気を放った――ミリアが現れ、剣を大きく振りかぶる。
「斬撃!!」
銀色に染まる大きな刃がケロべロスの三つの頭を――――横から切り裂いた。
三つの頭が地面に落ちるのと灰と化して消えるのは同時で、私は全身の悲鳴に耐え切れず、うつ伏せに倒れる。
全身が軋み、激痛が駆け巡るがそれでも自分の大切な物を守れたことに笑みを浮かべてしまう。
「……私の大切な物に手を出した報いよ」




