サーニャとファイン
……今まで俺は生半可な気持ちでファインの更生に取り組んでいた。
駄目だったらヴォルさんの所に返すと投げやりな気持ちが何処かにあったが、俺は第二段階の修業に入ると同時に覚悟を決めた。
何があってもファインを変えてみせると。
「お、おはようございます」
「…お、おう」
覚悟を決めて真剣な顔で部屋を出ると、母と共に皿洗いをするファインの姿があった。
…また泣きそう。
「あ、あの大丈夫ですか?ミリアさんもお腹が痛いって言ってましたけど」
「大丈夫だ」
「…フフ。本当に大丈夫なのかしらね」
一人、事実を知る母だけがクスクスと独り言のように呟いているが、
「母さん、家事は駄目だって何十回も言っているんだけど」
「もう動かない方が体に悪い気がするのよね」
「そんな訳が無いでしょ」
母が目を逸らして喋っているが…この人は大人しくすると言う事を知らない。
きっと、俺が生まれる前も父が苦労している姿が容易に想像できる。
「アレン」
びくりと身体が震えてしまう。
背後を振り返ると椅子に座ってジト目で見つめるミリアが俺を射抜いている。
「…何だよ」
ミリアに近づきファインに聞こえないように耳打ちするが、ミリアに耳を引っ張られる。
「ファインちゃんを褒めてあげて。朝早くから起きて皿洗いも手伝ってるんだよ!?」
「…いや、もう良いかなって」
「駄目に決まってるでしょうが」
ゴゴゴと擬音が背景に現れんと言わんばかりに燃え盛るミリアに苦笑いも浮かばない。
ファインが部屋に入ってくれただけでもう感極まって全てがどうでもよくなってしまったが、ミリアがそれを許す訳もない。
「ファイン、朝早くから母さんの手伝いをしてくれて助かる」
「はい!!あ、ありがとうございます」
軽く頭を撫でて、喜色の笑みを浮かべるファインの姿を見て席に着く。
「それで、昨日私達泣いて相談できなかったけどファインちゃんの件は」
「もう大丈夫だ。次の段階だ」
俺が最もファインにとって懸念していた材料は家に入らない事だった。
トラウマの部分もありまだファインにとって次の段階に踏めないと思い込んでいたのに…昨日、初めてファインがトラウマを一歩超えた。
今なら次の段階にいける。
朝ご飯を食べ終えるまでに頭の中で大体のシュミレーションは終えたので後は実行するだけだ。
「ファイン、今日は走り込みはしない。中庭にいくぞ」
「わ、分かりました」
ファインを連れて中庭に行けば後ろからミリアもついて来る。
二人で中庭に行けば既にサーニャが真剣な瞳で的当てをしている姿が見受けられた。
「もう終わったの?」
汗を拭いながら的当てをするサーニャがこちらを一瞥して的を見つめる。
「いや、まだもう少し掛かるかも。サーニャの方はどう?」
「ウォーターボールだともう三百点は取れたわ」
「え!?も、もう!?」
大天魔導士と言うのは知っていたが、明らかに速すぎる。
「だけど、ウインドカッターだと難しいのよ。水魔法は風に影響されにくいけど、風魔法は微調整が難しいわ」
既に的当ての基礎を全て把握して違う魔法も試しているとは…たった十日で差が開いたな。
「これはまた教えてもらうことが多そうだね…」
「早くしなさいよね。私は圧倒的な速さで進むわよ」
久しぶりにサーニャのツンデレを聞いても俺のセンサーは衰えていない。
頑張ってファインを元気づけて私と一緒に魔法の練習をしましょうって所かな。
サーニャが真剣な表情で練習をしているので邪魔をしない範囲で離れてファインと対峙する。
「今日は一段階上にいく」
「は、はい!」
「まず、ランニングを終えたことを褒めて!」
後ろからヒソヒソと妙な横槍が入るが、従わない場合は隕石が落ちたと言わんばかりのチョップがお見舞いされるのでファインに近づく。
「まず、走り込みだが最後までよく頑張った。正直、俺はここまで早く走り込みから次のステップにいけるとは思わなかった。それはファイン、お前が努力したものだ」
「あ、ありがとうございます!」
綺麗な姿勢で頭を下げるのを見て若干強く頭を撫でて、再度距離を離して対峙する。
「次は俺と木刀で撃ち合う」
「え」
「木刀よりもお前自身の爪の方が良いか?」
「い、いえ。爪は傷付けてしまいます」
「なら、木刀だ」
ファインが戸惑っている様子を見せたが、俺は見て見ぬふりをして大木の傍に置いてある木刀を二つ持ち、片方をファインに渡す。
「俺と撃ち合うと言っても攻撃するのはファインだ。今日、お前が俺に一撃でも入れたら終わりだ。良いな?」
「は、はい」
ファインが力なく返事する声に可哀そうだと思えてしまうが…これはまだ最終段階の前なんだ。
俺はもう…お前を絶対に見捨てない。
後はファインが覚悟を決めるだけだ。
「こい!!」
「ファインちゃん頑張れ!」
少し離れた場所で猫とミリアが座ったまま応援を出し、木刀を構える。
「はああ!」
声だけ出しながらも…へっぴり腰で弱々しい木刀が俺の木刀に向かって放たれる。
俺のどこかに攻撃を当てようとする動きではない。
明らかに木刀に目掛けて攻撃している。
ファインの攻撃を跳ね返せばファインは地面に倒れこむ。
「おい、ファイン。俺は全力で来いといっている」
「で、でも」
「何だ?」
「な、何でもないです」
ファインと対峙し俺は木刀を当たり前の様に構えるだけだ。
何も言わないし伝えることはない。
ただ、本気で掛かって来いと伝えるだけで十分だ。
ファインはまだ臆病だ。
だけど、それでは意味が無い。
第一段階としてランニングで最低限の心の修繕を行い、何とかトラウマを緩和させることが出来た。
緩和はしても…完璧に治っている訳ではない。
第二段階は覚悟だだ。
もしも、誰かを傷つけてでも逃げないと駄目な時、襲われそうな時に必要になるのはファイン自身の気持ちで挑む覚悟が必要だ。
「はあああ!」
少しだけ強くなったがまだまだ成長していない。
ただ、言われたことを実践しようと動いているだけだ。
それでは意味が無いのだ。
だが、俺はもう注意することもしない。
ひたすら剣を構えファインが本気で斬りかかってくるのを待つ。
今回は俺に剣を当てることが目的ではない。
そもそも、俺はミリアと永遠と剣術をしていたし素人のファインが俺に当てることなど不可能に近い。
問題は――戦う覚悟だ。
挑もうと覚悟を決めて俺に襲い掛かるだけでオッケーは出すつもりだ。
「はあああ!」
怒られたくないのか、努力したいという気持ちが全面に出ているのか声を出しながら襲い掛かってくるが…やはりだめだ。
再び跳ね返し何度も…跳ね返し続ける。
「はあ!」
ファインは何度倒されても一度も弱音を吐いていない。
何度も立ち上がり俺に襲い掛かる。
頭では倒そうと、挑もうという気持ちを出して立ち向かっている。
だが、心が拒絶しているのだろう。
挑み仕返しされることを、誰かを傷つけることを拒んでいる。
「……休憩だ」
「は…ハア。はい」
ファインが走ってもいないのにやけに汗を出している姿を見て一度休憩させる。
「アレーン!私と対戦しよう!」
「……良いよ」
最初の頃から全く応援をせずに静かに傍観していたミリアが満面の笑みで近づいて来た。
何が狙いなのかは分からないが勝負となれば俺は本気でやる。
「ファインちゃん、ちょっと木刀貸してくれる?」
「は、はい」
「「始め!!」」
ファインから木刀を受け取ったミリアと一緒に対峙する。
何をするつもりだ?
ミリアの狙いが何かは分からないが負けても知らない…、
「――――え?」
今までとまるで異質、ミリアが尋常ではない気配を漂わせながら加速して近づいて来た。
これはやばい!!
本能的に鳥肌が立ち、慌てて横に木刀を置いてミリアの剣を見極めて防ぐ。
「おりゃああああああああああああああ!!」
「ばっ!?」
刹那の出来事だった。
剣を横に置いてミリアの木刀を防いだはずなのに俺の木刀が軋む音を上げ粉砕され、ミリアの全力の一撃が俺の横っ腹に叩きこまれ二転、三転と転げ回り吹き飛ばされた。
「……化物かよ」
「…お前さん、生きてるにゃ?」
「あばらが五十本は…折れた」
「それは生物かにゃ?」
猫の的確なツッコみにも耐えきれない程の痛みだった。
「ごめん、アレン。我慢してね」
俺が蹲っているのを他所にミリアが俺の首根っこを捕まえてファインの目の前まで連れて行く。
揺らすな、響く。
「ファインちゃん!」
「は、はい」
ファインは何が起きているのか分からないのか茫然とした佇まいで俺とミリアの間で視線を交差させている。
しかし、被害者の俺が何も知らない。
木刀をへし折られてあばらを五十本折られて何故か首根っこを捕まえてファインの前に晒されているだけだ。
後で覚えてろよ?
「アレンは全然傷つかないんだよ!」
うん。
あばらが五十本折れてるって。
満身創痍の勇者状態だよ。
「ファインちゃんが本気を出してもアレンは痛くも痒くも無いんだよ。だから、後はファインちゃんが全力でやるだけだよ!もう、前のファインちゃんじゃないんだから!」
ミリアが何がしたいのか分かった。
ファインが人を傷つけるのが怖いなら馬鹿力の自分が傷付けても全然平気だから勇気を出してと言いたいのだろう。
……分かるよ、分かるんだけどさ……。
口で言おうぜ!!
俺をぶっ飛ばすほど大事なの!?
「あの、ボロボロに見えるんですけど…」
「アレン!余裕だよね!」
「こんなガキの攻撃なんて痛くもかゆくもない」
「言い過ぎ」
グキッと首をへし折らんと言わんばかりに首を強く握られて既に半分死にかけてます。
「…まあ、ミリアは強いけどその攻撃は俺はもう何十回と食らってる」
自慢ではないがミリアとの勝負で何度も身体はボッコボコにされているので丈夫にはなっている。
今回の攻撃もギリギリで耐えきれているのは今までやられてきたおかげだ。
「――――いい加減放してあげたら?」
後ろからサーニャの声が聞こえ、ミリアが手を放してようやく地面に足を付けることが出来る。
「ありがとう」
「ふん」
お礼を鼻で一蹴して、サーニャは水を飲みながらファインの隣に腰掛ける。
「あんた――――自惚れてるんじゃない?」
また、強く言ってますよ。
サーニャがファインに掴み掛かりそうな勢いで睨みつけながら喋るのにファインは目を伏せる。
「何であんたみたいなド素人がアレンを傷つけるのに怖い思いをするつもりがあるのよ。私の従者を馬鹿にしてんの?」
「も、申し訳ありません」
「み、サーニャちゃ」
目を伏せているファインを見かねてミリアが前へ進もうとしたのを俺が手で制す。
まだ、終わりじゃない筈だ。
「私はね泣き虫が嫌いなのよ。初めにあんたが泣きながら謝る姿を見て腹が立って仕方がなかった。そんなやつの為に頑張るアレンにもね。私は一日限りだと思ってたのに」
矛先が俺に向いたので顔を逸らして逃げる事に徹底する。
「だけど――まあ、今のあんたは初めの頃よりちょっとは成長してるじゃない」
「――――」
俺は一瞬だけサーニャに見惚れてしまった。
その横顔がこの瞬間だけは誰よりも可愛くみえてしまった。
「後、もう少しじゃない。アレンもミリアもあんたに何日も付き合うほど暇じゃないのよ。アレンは夢に向かって頑張るって言ってたのにその時間をあんたの為に使ってる。ミリアだって剣が好きだって毎日振ってるのに今はあんたと一緒に走ってるのよ」
ポロポロと涙を流すファインを見ながらサーニャはただ言葉を並べていく。
「二人は大切に使おうとしてる時間を使ってまであんたの為に頑張ってんのよ。あんたが頑張らないでどうすんのよ。もう一歩でも踏み出して二人に私の為に時間を使ったことが――――無駄じゃないんだって行動で伝えなさいよ。私は出来るんだって見せつけなさい。それが出来ないなら私の魔法の的当ての標本にするわよ」
最後だけ余計なツンデレが発生したサーニャが水を飲み干して、立ち上がる。
「後、その泣き虫を卒業しなさい。それが出来たら…まあ、従者にぐらいはしてあげるわ」
要するに全部終わったら友達になろうと言いたいのだろうな。
「ありがとう、サーニャ」
通り過ぎようとしているサーニャの頭を強く持ち、全力で撫でると何も言わずサーニャはソッポを向くだけだ。
本当に…俺はこの二人には適わないな。
「サーニャちゃーん!!」
「げっ!?」
何処からか聞こえる母の声が一瞬で近づき、サーニャを抱きかかえる。
「私は感動したわよ!サーニャちゃんは偉いわね」
「ちょ!?子供がお腹にいるのに暴れないでよ!」
「さあ、家でじっくり私と晩御飯の準備でもしましょうね」
「私は的当てがまだ終わってないから!放してーーー!」
サーニャが母に連行されて家に入るのを微笑を浮かべて、ファインを見るがまだ泣き止んでないか。
「後、五分後に再開するぞ」
「は……はい」
辛うじて返事をしたファインを見て俺は静かに座る。
うん。
強がってるけど本当に横腹が痛い。
「アレン、ごめんね。痛かった?」
「痛いよ。ていうか、木刀をへし折るってどういうこと?」
ファインとは少し離れた場所でミリアと対面するが、まず説明を求めよう。
「アハハ。実はね、最近力が付き過ぎて木刀を何かに当てると折れちゃうから折れないギリギリの力加減で振ってるんだ」
「アハハじゃないよ!あそこまでする必要あった!?」
「大丈夫だよ。一応八割の力で振ったから」
……あ、あれで八割だと…?
この子、何処に進んでいるんだ?
ボディビルダーでも目指しているのか?
「でも、やっぱりアレンって丈夫だね」
「ああ。丈夫だからもう一度勝負を後でするよ」
「うん!」
ミリアが満面の笑みを浮かべて頷いているが…覚悟しておけよ。
ファインの前でカッコ悪い姿を見せたミリアを絶対に完膚なきまでに叩きのめしてやる。