変化
三人と一匹で今日もランニングを始めるが、もう三十分は走っているのにファインが一度も弱音を吐いていない。
弱音を吐かないことが逆に怖くて俺から大丈夫か?と聞きそうになるのをグッと堪える。
「ファインちゃん大丈夫?」
「は、はい。大丈夫です」
ファインが何とか返事をして走るが…いや、大丈夫なわけがないだろう。
筋肉痛も無視して走らせているのだ。
勿論、俺も地獄の苦しみに耐えながら走っているがファインはもっときつい筈だ。
しかし、何も文句を言わずに弱音も吐かずに走っている姿にまだ三日目なのに…涙が浮かびそうになる。
「アレーン!あれ見て?なんか森の周りに柵が張られてるよ!」
「それは森の安全確保だよ。昨日、父さんが言ってた」
「へえ。頑丈そうだね。あ、あんな所に畑ってあったけ?」
「ミリア、全然疲れないなら岩とか持って走ったらどう?」
この子、恐らく暇なのだろう。
縦横無尽に走りながら次々と興味深そうに見ている。
「そうだね!持ってくる!」
元気よく挨拶をしたミリアが一時退散しているのを見て、俺も水を飲んで水分補給をする。
この世界にも四季はある様で、カレンダーが無いので不透明だが春から一カ月ぐらい経っているので恐らく梅雨から夏の時期に差し掛かっている。
日差しも強く、水分補給をしないときつい。
「ファイン、お前も水を飲め」
「あ、ありがとうございます」
ここで倒れてもらっても困るのでファインに水を渡しながら走るが本当にしんどくなってきた。
「アレーン!良い重さの岩があったよ!」
「ぶっ!?」
ファインから返してもらった水を再度口に含んでいると、ミリアが自分の身長以上の一mはある巨大な岩を持ってきた。
「これなら訓練になるよ!」
「お前さん、あの子は化物にゃ?」
「それに近い部類だね」
やばい。
走り過ぎて幻覚が見えたのかと思ってきた。
「あ、水ももってきたからファインちゃん、飲んで」
「あ、ありがとうございます」
ミリアが一歩下がってファインに水を渡して前に加速していく。
……今日の朝から気になっていたけど少しミリアが変わったか?
ファインの事を結構気に掛けているし、お世話もしているし何処かお姉さんの様な雰囲気を滲み出している。
よく天然お姉さんは見るけど少しジャンルが違うような気もする。
「アレン、最後まで頑張ってファインちゃんが走ったら褒めてよ」
「はいはい」
そして、何処か俺とミリアが夫婦の様に見えて仕方がない。
と言うのも、今朝の一件と言い親が子供の教育方針に関して言い争いをしているようにしか見えない。
ミリアはファインを甘やかせたい。
俺はファインを厳しくして心を育てて一人前にする。
きっと、どちらも間違えてはいない。
この丁度良い塩梅が上手くいくことを祈るしかない。
体を壊しては元も子もないのでお昼に一度休みを長めに取り、明日を休息にすることで頑張らせる材料にもする。
お昼からもミリアが下を向いて全力で走るファインを励まし――――今日はファインが一度も弱音を吐かずに耐えきって一日が終えた。
……正直に言って驚きしかない。
今日は少しペースを落としゆっくりと走ったが疲労は蓄積されている筈だ。
今も声も出ない様で地面に倒れているが…一度も弱音を吐かずに終えるとは…何が起きているんだ?
俺としては一週間、いやそれ以上を見積もってランニングをしようと考えていた。
しかし、三日で既に弱音を吐かずにやり切ってしまった。
――――何がファインをそこまで頑張らせる材料になったのか。
「ほら、アレン!」
「ああ。今回は正直驚かされた」
ファインの元に猫がフワフワと回転しながら喜びを露わにしているが、これは称賛を送るべきだ。
本当は今すぐ抱きしめてよく頑張ったと労ってやりたい気持ちを必死に押し殺す。
駄目だ。
今、ファインは成長している最中だ。
まだ、甘やかしては駄目だ。
自分で自分を厳しく叱りつけ、一度大きく息を吐きだしてファインに近づく。
「よく頑張った」
「あ、ありがとうございます」
ファインの頭を強く撫で称賛を送るとか細く声が聞こえてくる。
…ああ、まだ怖がってるのかな。
体育会系って怖いけど本当は良い人が多いんだよ。
今すぐ全力で甘やかしたいよー。
ファインが成長している最中なのに先に俺の心が折れそうだ。
「アレン!私も走り切ったよ!」
「うん。何時も通りだね」
「あれ!?」
……この子はどうしたのだ。
お姉さんだったり甘えたりと変わっているが年頃か?
「ミリアはえらいなー」
「投げやり!投げやりだよアレン!」
棒読みで頭を撫でて褒めてあげるがお気に召さない様で両手を上げて不満をあらわにするが顔が笑顔なので気に食わないのか喜んでいるのか分からない。
面倒な年ごろの様だ。
そっとしておこう。
◇
休息日は今まで構ってあげられなかったサーニャとの魔法の的当てでどちらが多く点が取れるかの勝負をした。
今後もファインに構う時間が長くなるのでサーニャにご褒美的な形で三百点が取れれば炎魔法を扱う許可を出すと、身体中から炎が出るほどにメラメラに燃え盛っていた。
因みにサーニャはもう百点は取れるようになっている。
俺は五十点も取れなかった。
思った以上に難しく魔法を出すだけではないと思い知らされた。
『あんたが魔法の授業をサボってるからよ』
どうやらサーニャとしては俺がファインばかりに構っているのが気に食わない様で機嫌が相当悪いので炎魔法のご褒美を渡したのは大正解だった。
――――ファインとの四日目ランニング。
夏に移行するまでの梅雨の時期、雨が酷く地面がぬかるんでいる中でも俺達はランニングを続ける。
猫に聞いた話によれば獣人と言うのは状態異常に強いので風邪に滅多に罹らないとの事で好都合だった。
悪天候でも走るのは精神的にきついので追い込みをかけるには十分だ。
問題があるとすれば俺だけだ。
風邪が怖いがまあ気持ちで頑張るしかない。
ミリアに関しては心配してない。
日本にはミリアにお似合いな馬鹿は風邪を引かないと言う名言がある。
「キャ!?」
日本を懐かしみながら走っているとファインがぬかるんだ地面で転んで倒れてしまった。
ミリアが慌てて駆け寄ろうとしたのを俺と猫で止める。
「立てるな?」
……頑張れファイン。
「はい!走れます!!」
「行くぞ」
……やばい、泣きそう。
汚れた顔を腕で拭い前を向いて走るファインを見て俺は疲れよりも涙を堪える方が大変だ。
雨が降り続ける中でお昼までという条件で相当早く走ったが、一日の休息が効いたのか家に帰っても座ることなく、立ったまま息を整えていた。
……ヴォルさんが喋っていたのはこの事か?
獣人が役に立つとは言っていたが、余りに慣れと言うのか成長速度と言うべきなのかは俺の知識の中では不明だが…成長している。
心も成長しているが、肉体が精神の遥か上を超えて成長し続けている。
「……考え事をしていないで褒める」
「分かってるよ」
後ろからジト目でミリアに睨まれるので駆け足でファインの元に行く。
「頑張ったな」
自分でも不器用だと自覚しながら頭を撫でる。
「はい!!」
今までとは違い今後も頑張りますと言わんばかりに勢いのある返事が返って来た。
今の言葉が琴線に触れたのか猫は後ろを向いて目を擦っている。
おれもやばいけど唇を血が出るぐらいに噛んで堪える。
今すぐあの耳とか尻尾とか触ってみたいなと段々と甘やかしたい欲求が溢れて変態染みた思考になってきた。
気を付けよう。