限界
◇
ファインside
「……もうむり…」
身体が限界を迎え足を一歩でも踏み出すことも出来ない。
それ程までに辛い。
自然と涙が溢れ零れ落ちてしまう。
……もう嫌だ、もう嫌。
「立て。走れる」
「……もう」
「立てと言っている!!」
私が何を言うよりも先にアレンさんの声が響き渡り耳に浸透する。
今まで何度も聞こえた叫び声。
私を痛めつける時に何度も聴いた叱られる声に私は身体が震えながらも無意識に立ち上がることを強いられてしまう。
フラフラと立ち上がり、アレンさんの眼を見ると私を強く睨みつけられる。
ああ。
また、殴られ蹴られ、鞭で叩かれて私は終わるんだ。
もう何も考えたくない。もう、傷つきたくない。
もう――何もしたくない。
「もう限界か?」
「足が…疲れたん…です…もう…動けま…せん」
「なら、何で今日は――――喋る元気がある?」
何故かは分からない。
だけど、今の言葉は私の胸の奥に突き刺さってしまう。
「昨日は喋ることも出来ないぐらい走れたのに、今日は喋る元気があるな。自分でも分かってるだろ。まだ――限界じゃないからだ」
「……」
今まで泣き叫ぶことも叫ぶことも出来たのに…今は何も喋ることが出来ない。
何か言わないといけない、違います、本当に限界なんですと言いたいのに喉の奥から言葉が出ない。
「今みたいに疲れた感じを出せば誰かが助けてくれるのか?この猫が頑張ったと褒めてくれるのか?誰かが背負ってお前を助けてくれると思っているのか?」
「……」
今までと違う。
痛くて涙が出る訳でもない、悲しくて涙が出る訳でもない。
だけど、自然と涙が零れ落ちてしまう。
「甘えるな!!誰もお前を助ける人間はいない。きつい時に頼りになるのは自分の脚だ!きつくて疲れても自分で動くしか無いんだ。誰かに懇願するように甘えるのを辞めろ!!」
「…う……ううう」
涙が出るのに…声は出てこない。
何も言えない。
この気持ちが何なのか私には分からないけど――――言葉が出てこない。
「俺達は今から走る。後はお前が自分自身で選べ。前と同じように叩かれ、地獄の苦しみを味わい誰かが助けてくれると願いながら生きるか、俺達と走るか二択だ。先に走るぞ」
アレンさんはそれ以上何も言わずに静かに走り出そうとしている。
もう辞めろと…もう諦めろと言って欲しかったのに誰もそれを言ってくれない。
許してくれない。
「ねえ、アレン」
「何?」
「アレンは限界だから私の背中に乗っていいよ」
ハッとして慌てて前を見ると、優しく声を掛けてくれたミリアさんがアレンさんに詰め寄っている姿が見えた。
今まで自分の事ばかりで他の人を気に掛ける余裕はなかった。
アレンさんの足を見ると…足が震えていた。
「げ、限界じゃないから大丈夫」
「嘘だよ!私、アレンが限界なの直ぐに分かるんだから!」
「限界じゃないから」
「何で嘘つくの!?」
「全然平気だから」
「嘘だよ!」
アレンさんとミリアさんが互いに退かずに言い争いをしながら走り始める。
「限界なのは当たり前にゃ。昨日も散々走って今日も獣人のファインと永遠と走って限界な訳がないにゃ。獣人と人間ではそもそも比べられるものではないにゃ」
「……」
猫さんがここに残って静かにアレンさんの方を見て独り言のように呟く。
「あのミリアって子が異常なだけで普通は無理にゃ。けど、あいつは――――アレンはファインが付いてくると信じて今も走ってるにゃ」
言い訳を並べたい。
もう限界だと諦めさせてと訴えたいのに…何も浮かばない。
誰も優しく言葉を投げかけてくることも無い。
…ただ、私に走れと呟くだけだ。
「あちしは正直ここに来るのが面倒で仕方が無かったにゃ。久しぶりに召喚されたと思ったら五歳の子供の子守りをしろって言われて絶対に逃げようと思ってたにゃ。だけど、あちしが思ってた以上に楽しめそうにゃ。
もうこれ以上はあちしからファインに伝えられるのは――決断してと言うしかないにゃ。あの二人に付いて行くか、中央都市に戻るか選ぶにゃ」
猫さんも私に一言呟いて二人に付いて行く。
――――逃げたい。
今すぐ全部投げ捨てて諦めて逃げ出したい。
なのに…なのに、
『甘えるな!!誰もお前を助ける人間はいない。きつい時に頼りになるのは自分の脚だ!きつくて疲れても自分で動くしか無いんだ。誰かに懇願するように甘えるのを辞めろ!!』
あの人の言葉が――――私を諦めさせようとするのを止める。
逃げる事も出来ない。
誰も助けにも来ない。
私が走れると分かっているから信じて限界を超えてアレンさんは優しくせずに甘えることも許さずに走り続けている。
自分が情けなくて惨めで――――恥ずかしくて堪らない。
遠目に見えるアレンさんの背中が追いかけてこいと訴える様に見える。
足を上げて駆け抜けろと訴えている。
誰もいない草原で目を何度も擦り、涙を拭い震える足を無理やり上げ、まだ大丈夫だと自分自身に叱責する。
「はああああああああああああ!!」
震える足を動かすことで誤魔化し、痛みを歯で食いしばり全速力で三人に近づこうと駆け抜ける。
「ハア…ハア」
「ファインちゃん!えらいよ!」
「そうにゃ」
ミリアさんと猫さんが出迎えてくれる中で私の主であるアレンさんは静かに前だけを向いて汗を掻きながら走っている。
「走れるな?」
「は、はい!走れると思い……違います。――――走れます!!」
はっきりと断言し、涙を拭って全力で答えると薄く主であるアレンさんが薄く微笑んだ気がした。
幻想でも…見間違いでもその顔に勇気を貰えた気がした。
◇
「…ハア…ハア」
夕方まで走り切り、息切れを起こしもう何も喋ることも出来ない。
ただ、疲れて身体を地面に預ける事しかできない。
「頑張ったにゃ」
地面で横たわっていると、猫さんが水を持って来てくれたのを見て重い腰をあげ座る。
「あ、ありがとう」
「ファインちゃん頑張ってたね。明日も頑張ろう!」
猫さんと入れ替わりでミリアさんと主であるアレンさんが姿を現して夕ご飯を届けに来てくれた。
「あ、ありがとう…ございます」
ミリアさんがもち米を、アレンさんが温かく湯気が出ているスープを持って来てくれた。
「よくやった」
アレンさんが私の前にスープを置き、頭を優しい手つきで一度撫でて去っていく。
その手からは痛みも、恐怖も無く…本能的に『ごめんな』と謝罪が込められている気がした。
「もっと褒めてあげてよ!ファインちゃん頑張ったんだよ!アレンはどうしてそんなにファインちゃんに冷たいの!?」
「ハア。ミリア、ちょっと来て」
「今度は私が怒ってるよ!」
私の事を庇ってくれるミリアさんがアレンさんに詰め寄り、家の中に入っていく姿を見守り、足元に置かれてある皿を持ち上げて静かに食べ始める。
「敢えて冷たくってどういうこと!?」
「ミリアは声がでかいんだよ!聞こえるから静かにして!」
「ちゃんと説明しないと絶対に許さないから!」
家の中からガヤガヤとした声が聞こえる中でもち米を食べてスープを啜る。
「……美味しい」
今日のご飯は昨日に負けないぐらい美味しい気がした。