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特訓

 「ミリア、サーニャ。悪いんだけど暫くの間、二人の練習に付き合えない」


 「うん。仕方ないよ」


 「私はまず三百点を目指すから気にしなくていいわ」


 ミリアは言葉通りの意味で、サーニャは『私の事よりその子の事を何とかしてあげなさいよね』って所だろうな。


 「良し。まずは、どうするか。猫は取り敢えずその子を宥めてくれ」


 「了解にゃ!」


 何をするかは全く分かっていないが取り敢えず考えよう。

 この子は精神が崩れかけている非常に危ういが…甘やかしても駄目だ。

 甘やかせば少しずつ心は開くかもしれないが、この子の根本的な改善には繋がらず、ただ俺に依存されるだけの関係になってしまう。


 俺も色々な所に行って様々な人たちと出会ってきた。

 心の弱い人の弱みに付け込む人たち、寄り添う人達、そのどれもが正解でもあり不正解でもある。

 この子の場合はまずは精神力を壊されヒビが入っているなら地道に一つずつ修繕していくしかない。


 猫が獣人の子供をなだめている間に計画を立てよう。

 甘やかすのは駄目だとすれば単純に厳しくすればいい。

 しかし、そこの塩梅と言うのは非常に難しい気がする。


 厳しすぎて逃げ出すことも考え…いや、この子には逃げることは考えられないか。

 心の奥底まで恐怖に染まっている状況で逃げ出すとは考えられないが…耐えきれなくなって世の中に絶望して自殺する可能性も考えられる。


 考えながら家に戻り母の所に行く。


 「ねえ、母さん。大事な話があるんだけど」


 「どうしたの?さっきからやけに騒がしいけど」


 母に近づき、真剣な表情で頭を下げる。


 「今日の夕ご飯だけでも少しだけ豪勢にして欲しいんだ。実はヴォルさんと『開眼の儀』が終えてから仲良くなって色々と良くしてもらってるんだ」


 転生者などの説明は無しで簡潔に精霊獣と奴隷だった子がここに来て一緒に住むこと、奴隷の子を元気付けるためにご飯を沢山食べさせたいと言う事を伝えると母は迷うことなく首肯した。


 「分かったわ。その子は?」


 「今は塞ぎ込んでるよ。僕が握手をしようとしたら急に頭を下げて謝る程に恐怖を植え付けられてるってヴォルさんの手紙にも書かれてたから少しずつ緊張をほぐして改善しないと厳しいと思う」


 「そうなのね。私に任せなさい」


 「ありがとね、母さん。お父さんにも上手い感じで伝えて欲しいんだ」


 母にお礼を伝えて外に出れば獣人の子はようやく落ち着いたようだが、俺と目も合わせようともしない。

 しかし、計画は決まった。


 俺は今から体育会系の人間として過ごそう。


 「名前は何て言うんだ?」


 「ふ、ファイン…で、です」


 「…ファインは俺が今後、お前の主になることは聞いているな?」


 「…は、はい」


 殴られると思っているのか目には涙が浮かんでいる。

 ……まだ、希望はあるか。


 本当に絶望している人間は涙も出ずにただ、されるがままになる。

 しかし、彼女の瞳はまだ生きている。


 「今から限界まで走り込みを始める。付いて来い」


 「え?」


 軽く準備運動を始めて走る準備を行う中で、ファインは戸惑いの声を上げる。


 「走るから俺の後ろを付いて来い」


 「な、なんでですか」


 「黙って付いて来い」


 ファインに素っ気なく対応して走り出し、背後を振り返ると戸惑いながらファインが付いてくる。

 まずはその弱い心を鍛えよう。


 肉体的に痛めつけられたと言うのはハンマーなどで心を直接叩くのと変わりはない。

 何度も叩かれ凹んでボロボロになった心を修復するには自分自身で補強するしかない。

 俺はその手伝いをするだけだ。


 「何処まで走るんにゃ?」


 何も喋らずに走っていると猫がフワフワと浮きながら俺の隣に立つ。


 「分からん。強いて言うなら地獄だな」


 「……お前さん、優しい顔をして中々鬼畜にゃ」


 「かもね」


 しかし、それぐらいの事をしないとこの子の心は治らないだろう。

 まだ、幼い俺と変わらない子供のトラウマを克服するならそれ相応の辛さは耐えなければ未来はない。


 「遅れてるぞ!」


 猫と話しながら後ろを振り返ればファインが息切れをしながら徐々に遅れている姿を見て叱責すると、ビクついた様子で駆け足で戻ってきた。


 「も、もうしわけありません…」


 肩で息をしていると言う事は相当疲弊しているな。

 俺は何だかんだで三歳の頃から二年間の月日を永遠とミリアとの剣術で大分体力は付いているが、この子は初めから何も無い零からのスタートだ。

 疲れるのは当たり前だが…まだだな。


 「少しでも遅れたら直ぐに分かるからな」


 

「…ハア…ハア。はい」


 肩で息をしながらファインが応えるが…相当疲れている?

 まだ、走り込みを始めて十分も経ってないと思うが。


 「……違うか」


 この子の心がもう諦めかけているから余計に疲れるんだ。

 中々、長丁場になりそうだな。


 「…あ、あの…何処まで」


 その後、十分走った辺りでか細く初めてファインから話しかけられる。


 「走れ」


 その気持ちに嬉しさはあるが、敢えてここで優しく答えてはいけない。

 彼女は答えを待っている。

 何処まで走れば良いのか、何処まで行けば良いのか。

 答えが分かればその分だけ頑張れば良い。

 簡単な事だ。


 だが、今回の走りはファインの体力を付ける為の訓練ではなく精神を鍛える為の訓練なのだ。

 何処まで走るのかも、何分走るかも決めていない。

 それが一番きついからだ。


 ただ、一人で静かに命令されて走る、これがどれだけきついのかは分かる。

 だからこそ、今のファインには必要なのだ。


 「……あ、ハア…あの…もう限界…です」


 更に十分後、ファインがフラフラとした足つきで俺に懇願するように訴えかける姿に同情めいた気持ちが芽生えてしまうが、歯噛みし自分自身を律する。


 「走れ。遅れるな」


 俺は常に一定のペースで走り続けている。

 少しでもファインが疲れないように工夫して走っているが既に限界は超えているか。

 俺も既に限界は達している。

 足は覚束ないし、汗が一々目に入って鬱陶しいがそれでも耐えられるのは体力の問題ではない。

 今は心がファインの方が弱いから耐えられないのだ。


 「ハア…ハア」


 ファインは俺以上に限界なのか先程から身体が右に傾いたり左に傾いてフラフラとしている。

 一日目はこの程度か。


 「…猫、帰り道まで道案内してくれないか?」


 「分かったにゃ」


 静かに傍観していた猫がゆっくりと俺の前に浮き、先導して家に辿り着いた。


 「……ハア…ハア」


 家に辿り着き、俺が終わりだと告げると同時にファインは地面に倒れるように寝そべり、何度も呼吸を繰り返している。


 「猫に聞いたがお前は部屋に入るのが嫌だと言ってたな?」


 「…は……はい」


 「だから、今日の晩御飯は外で食べろ。寝る時も外だ」


 「お、お前さん。流石にそれは」


 猫が何か言いたそうに言葉を挟むが俺が手で制す。


 「だが……お前が家の中で食べたくなったら伝えろ。寝る場所も提供する」


 「……」


 もう答えることが出来ないのか、ファインは首肯してその場で寝そべっている姿を見て俺は猫を連れて家の中に入る。


 「母さん、ファインの分の晩御飯を分けてもらっても良い?」


 「もう作ってあるわよ」


 「ありがとう」


 今日はもち米だけではなく、温かいスープも作ってくれた母さんに感謝の言葉を送り、外で寝そべっているファインの隣にご飯を置く。


 「残さずに食べろよ」


 一言だけ言い残し、部屋の中に入りこっそりと玄関からファインの様子を伺う。


 「…アレン、貴方頑張りすぎじゃないの?」


 「きつくしないと駄目だよ。ファインは今弱ってるからこそ強くしないと」


 母と一緒に玄関入り口で静かに見守っていると、ファインがフラフラと立ち上がりご飯を持って俺の家の壁にもたれ掛かって静かにご飯を食べ始めた。


 「う…ううう」


 ご飯を食べる速度が徐々に早くなるファインの瞳からポツポツと涙が溢れ、何度も涙を拭いながらご飯を食べ進める。


 「…美味しい……美味しいよ…母様…父様」


 「ごめんなさい。私、こういうの駄目なの。猫さん、貴方は何が食べたいの?」


 「ミルクが欲しいにゃ」


 母が目頭を抑え部屋に入る中で猫と雑談を交わしている。

 俺は最後にファインのご飯を食べる姿を見て部屋に入る。


 「あああああああああ!!」


 心が痛い!!

 何であんなに幼い子が酷い目に遭わないといけないんだ!

 あんなに強く言って大丈夫だったか!?

 彼女の心の傷が回復する前に俺の心が傷を負いそうな勢いだ。


 色んな考えが頭の中に渦巻きながらも今はこれが正解だと彼女の今日の涙が物語っていた気がする。

 一日目は乗り越えられたが…それは想定内だ。

 問題は二日目だ。

 この日を乗り越えるか否かが第一段階の目標だ。

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