ひねくれアルビノ棋士の人生観
弱い奴は死ねばいい。
奨励会のころからずっとそう思って将棋を指してきた。
プロになるために、いや、プロになってからも毎日死に物狂いで対局・研究を重ねるのは当然のことだと理解していた。弱いまま、負け続けたまま、それでも自分を誤魔化して生きていくのは大層みっともないじゃないか。負けの2文字を簡単に許すことなどできない。
それでも、まだこの北条近影に公式戦で土をつけることさえできないのだ。虫唾が走る。
「また僕の勝ちだね。」
対局を終え、感想戦に入る前に屈託のない笑顔で彼はそう微笑んだ。
普通対局後の表情は、負けた相手に遠慮するわけだから、露骨に喜ぶのは大変失礼なことだ。そのあとに感想戦という手の良し悪しを言い合う会話をするわけだから、バツが悪い。ただ、俺と北条は同い年であり、奨励会に入る前から何度も顔を合わせてきたわけだ。今更遠慮がない。
「そうだな。敗着は59手目に47歩成を指したことだったよな」
俺は悔しさを滲ませ、震えた声で答えた。知っている相手であろうと負ければめちゃくちゃ悔しい。
「あの時に攻防の角を打ち込めばまだ勝負の行方はわからなかったよね。曲線的な手で滝川らしくないだろうけどさ。」
「らしい、らしくないなんてのは負ければ意味がないだろ。勝負は勝つことがすべてだ。」
棋士には、自分のスタイルというものがある。攻め将棋や受け将棋、局面を惑わすような手を好む将棋、定跡に忠実な将棋などだ。その中で俺は少し変わっていて、定跡を外して力戦に持ち込み一直線の切り合いを好む居飛車党だ。居飛車同士の戦いでは、相掛りを主戦場として指している。だかこれは、俺にとって一番力を発揮できるから指しているのであって、勝てないようならいつでも捨てるつもりだ。
「これで感想戦は終わろうか。それ以外検討するところはないでしょ。」
「ああ。そうするか。全てをこの対局にぶつけて、今回こそは勝つ気でいたが、ここまでやって勝てないと屈辱だ。」
「仕方ないよ。僕は天才だからさ」
北条は天才である。公式戦の勝率は8割を超えて、棋戦優勝は3回、タイトル戦挑戦も決まっている。
俺も強い若手の部類に入るが、こいつは別格だ。だが自分で自分を天才だというのはいけすかねぇ。
「今のうちだけ言わせておいてやる。必ず俺が倒してやる。」
「果たしてできるかな。三段リーグで戦った時のほうが余程手強かったよ。鬼気迫る気迫が僕の肌を襲った。一手一手指すたびに切り裂かれるような刺激があった。今は、指し手に迷いが見て取れる。」
「そんなことはない。俺はいつでも全力で切りかかっている。指し手に迷いなんてないはずだ。」
「本当にそうかな?一度ゆっくり見直すといいい。それとも向き合うのが怖いのかな。自分の弱さと臆病さに。」
「たとえ本当に弱いのであろうと、弱さを肯定することは絶対にしない。じゃあな、感想戦サンキューな」
そのやり取りの後、俺は将棋会館を後にした。
俺が弱くて臆病だと?ありえない。
生まれた時から人とは違う真っ白な体で生きることを余儀なくされてきた。どうやらアルビノという遺伝子疾患のある個体らしい。学校へ通っていた時には、この見た目のせいでハブられることやいじめを受けることが日常だった。また、メラニンという色素が少なく外へ出て紫外線を浴びれば、皮膚が赤く焼けてしまうため、サッカーや野球はできなかった。日の当たらないところで遊ぶことしかできなかったわけだから、必然的にテレビゲームやボードゲームをやることになる。そこで将棋というゲームに出会った。
始めたころは楽しいわけではなかったが、プロがあることを知ってから将来これで食っていければ、と思った。そこから本気で指すようになり、のめり込んだ。こんなくそみたいなどうしようもない体で生まれたんだ。勉強したところで将来就職できる保証はないし、なにより、周りの人間は皆、俺を見る目にフィルターをかけてやがる。明らかに人間ではない別の何かを見るような眼だ。(まあ、これも人生が進んでいくうちに多少離れてくるのだが。)それでも詰んでいるような人生には変わらず、辟易しながら生きてきたわけだが、光に似た希望が見えた。
「プロになれば生きていける」
それからは時間を努力を全て将棋に投資してきた。才能は人並み以上にあったのだろうが、プロを目指すもののなかでは恵まれていないほうだろう。それでも甲斐あって、17歳の時に15勝3敗という成績で三段リーグをトップの成績で突破し、晴れてプロ棋士になることができた。
だが、プロになれただけでは、まだ安定とは言い切れない。クラス別の順位戦では一番下のC級2組で戦うことになるのだが、そこで悪い成績で降級点を3度とってしまうとフリークラスになってしまい順位戦には参加できなくなってしまう。そしてフリークラスになってから10年以内に30局のいいとこどりで勝率6割以上の成績をとらなければ引退しなければならない。つまり、最悪のケースでは、13年でプロ棋士の人生が終わってしまうというのだ。
冗談じゃない。そんな簡単にプロ棋士を引退してたまるか。
少しでも長くこの業界に食らいついて食い扶持を維持してやる。生きるためにだ。そんな気持ちを注ぎ込んで指している将棋に迷いなどあるはずがない。弱さや臆病さなどあるわけがない。
そんなことを頭に浮かべながら、ワンルームの何の変哲もないマンションまで歩いた。
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