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蒼き臨界のストルジア  作者: 夜神 颯冶
失われた楽園
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       20         

 

何かに引っ張られている感覚が、

船体からたしかに伝わってくる。



不思議な浮遊感と解放感。



そして闇の底に落ちてゆく感覚に、

世界の底に落ちて行くような錯覚さっかくを覚えた。


船体が深海しんかいもぐるにつれ、

金属の外壁がギシギシと言う悲鳴を上げ、

収縮しゅうしゅくし始めた。


ビーチボールのように水の中で船体が、

押しつぶされてゆく。


鼻を突き抜ける様なツーンとした感覚と共に、

耳鳴りがし始めていた。



『耳抜きしないと潜水病になる!』



そう言った彼女は鼻をまんでいた。



彼女の声が遠くで聞こえた気がした。



「耳抜きってなに?」



彼女は不思議そうに僕を見ると説明してくれた。



『耳の間にある空気が密閉された器官を開けるの。

 そうしないと空気圧で鼓膜が裂ける。


 鼻を摘まんで口を閉じ鼻をかむ感じで、

 耳に空気を送る 』



「こう?」



僕は言われた通りにするけど、

耳が遠くなった感じは治らない。



『どう?』



「ダメみたい」



『じゃあ鼻をまんでつばを飲み込んでみて。

 初心者の方法』



僕は言われた通りに唾を飲み込むと途端に、

耳を覆う圧が抜け普通に戻っていた。



心配そうに僕を覗き込む少女。



「ありがとう。

 もう大丈夫」



彼女は空気圧計をちらりと見る。



空気圧計が体重計の針のように、

徐々《じょじょ》に徐々にその重みを増しっているのが見えた。



それがそのまま船体が押しつぶされた量と、

もぐった水深の深さをしめしていた。



『危なかった』



そうぽつりと漏らすと、

すぐにアクアボイジャーで通信を始めていた。



『うんそう』



彼女は眉間にシワを寄せてこちらを見た。



「どうしたの?」



『間に合わない』



 えっ!?



『津波の速度が速い。

 もうそこまで来ている。

 潜るスピードを上げないと間に合わない』



 ・・・



「これ以上はスピードを上げれないの」



『弁を前回まで開けてる。

 これが潜水速度マックス』



「死ぬの?」



彼女はこくりと頷いた。



『普通なら』



・・・



『なら普通でない方法をとる。

 そこの酸素ボンベを口に加えて』



「なにするの?」



『スピードを上げるには沈めればいい』



 !?



『窓を開ける』



彼女はそう言うなり何かのレバーを下ろした。



途端に壁についた四角いハッチがいくつか開き、

水が勢い良く船内に流れ込み始めた。



僕は慌ててボンベを加える。



船内の空気圧計がぐんぐんと気圧を上昇させていた。



1.5 1.7  1.8  2.0 

2.2  2.5  



そこまで空気圧が上がったところで、

何かが破裂するような音が弾けた。



【パーン!】



それはお菓子(おっとと)の袋だった。



お菓子の袋が空気圧に耐えかね破裂して、

その中身のお菓子が空中に飛び散っていた。



くじらにイルカと色々な形のお菓子が、

空中に浮遊して飛んでいた。



えっなんで飛んでるの?



彼女はそれには答えずレバーを上げる。



途端に水の浸水は止まった。



椅子の腰元辺りまで貯まった水のなかで、

彼女は説明してくれた。



『お菓子が浮いているのは、

 このお菓子が地上の1気圧の中で作られたから、

 お菓子の中にたまった空気も1気圧。


 船内の空気圧は今3気圧近くまで上がってる。


 つまり重い空気で満たされている。


 軽い1気圧の空気は風船に入ったヘリウムと同じ。

 だから浮く』



「急激に気圧が変わると潜水病になるんじゃ?」



『それも大丈夫。

 急激に下がれば危ないけど、

 上がるのは大丈夫』



彼女は僕と話ながらイルカ達とも通信していた。



『うんそこでいい。 お願い』



彼女がボイジャーでそうしゃべりかけながら、

僕の方をちらりと見てうなづいた。



どうやら岩影は見つかったようだ。



しばらくして何かにぶつかる振動がした。



そしてひときわ大きなきしみを上げると、

船体は水底みなぞこについて停止した。



途端とたんに窓の外で舞い上がる白い綿雪わたゆき



それも再び沈澱ちんでんし始めると、

世界は深淵しんえん静寂せいじゃくの中に包まれていた。



海底は誰もいないスノードームのように、

ただ堆積たいせきした雪垢ゆきあかだけが降り積もっていた。



窓の外は一面の闇と無音が支配する世界。



その闇の中で取り残された様に船体だけが、

あわい光をだしていた。



どうしようもなく、さびしさだけがそこにあった。



そんな寂しさに抱かれ僕は不思議な安らぎを感じる。


そんな安らぎも永くは続かなかった。



唐突とうとつに船体が揺れ辺りに堆積たいせきした白い綿が、

一斉いっせいに舞い上がった。


船体の外は海吹雪マリンスノーの中に埋没まいぼつしていた。



その嵐もすぐに過ぎ去り辺りは再び静寂せいじゃくおおわれた。



『大丈夫、通りすぎたよ』



彼女はぽつりとそう言ったきり黙ってしまった。


窓の外は舞い上がった雪が神秘をいろどり、

永遠と流れ続けていた。


僕がそんな海底にみいられ窓の外を見ていると、

ふっと窓ガラスに同じように深海を見つめる少女の夕暮れの様な顔が映っていた。



その姿は深海に眠る人魚のようにうつろではかなげに、

ここでは無いどこかを見つめていた。



僕はこの目を知っていた。


それは僕の瞳の色と同じだったから。



後悔こうかい懺悔ざんげと憎しみと、

あきらめのにじんだ色だったから。



僕はこの目を知っていた。




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