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ご注文はキムチですか?

「新しいアイデアは既存のアイデアと既存のアイデアの融合によって生まれる」と佐衛門が言っていたので、ごちうさとテコ朴を融合させようと思い至りました。

金をドブに捨てながら町内一周でもしていた方がマシな時間を過ごしたいという方は是非ご一読ください。

「……というわけで、始まりの聖女と七聖剣の活躍により、男性によって不当な支配を強要されていた暗黒の時代は終わりを迎え、女性専用社会が誕生したわけです」


 教壇に立つスーツ姿の女性が、綺麗な滑舌で流れるように解説する。


 おそらくまだ30手前であろうが、手慣れたその手腕はベテランと呼ぶに相応しい。


 ただ一点、気になることもある。それは視線の動かし方。


 広い教室の中には、沢山の学生たちが集まっているというのに、女教師は全体を満遍なく見渡そうとはせず、画像の表示を切り替える時以外は、階段状となっている教室の中心部ばかりを、ひたすら見つめ続けていた。


「今回で旧時代の歴史、西暦についての講義は一区切りとなります。改めて『聖女戦争物語』の映画を見てみると、新しい視点での発見があるかもしれませんね。では、本日の講義はここまでです」


 チャイムの合図の方が合わせたかのようなピッタリのタイミングで、女教師は終了を宣言する。さながら幾度となく同じネタを繰り返し、練度をひたすらに高めた漫才師が如くに。


「あ、天宮さん、如月さん、今回の講義は、いかがでしたでしょうか!?」


 そんな優秀な女教師が、後片付けもそこそこに2人の女生徒の下へ駆け付け、ご機嫌伺いの質問を投げかける。


「あ、はい、とっても聞きやすくって、わかりやすかったです。ね、奏詩(そうた)ちゃん?」


「ええ。緩急もついていて、聞く側の集中力が途切れないようにと配慮していただけていると感じました。ただ……」


 逆接に近い補足の接続詞に、女教師が一瞬で青褪める。


 言わない方が良かったか、とも遅まきながら感付いた奏詩だが、中途半端に終わらせるのも気持ち悪いと結論付け、続けることにした。別に彼女の責任ではないのだから、と。


 でも、それがいけなかった。


「この大仰すぎる座席は、やはり落ち着きませんね。無駄にスペースを取りすぎていると思いますし、機能も多すぎです。百歩譲ってドリンクバーくらいならまだしも、講義を聞きながら食事することは流石にないでしょう」


「も、申し訳ございません! 早急に稟議を通し、すぐさま、明日にでも新しい座席をご用意させて頂きます! で、ではこれで、失礼致します!」


 彼女はそう捲し立てると、これ以上何も言われないようにと、超スピードで撤退してしまった。


「とまもい、だね」


 突如として隣の席の天宮舞愛(まいあ)が、耳馴染みのない言葉を口にする。


「……今なんて言いました? 戸惑い?」


「違うよ奏詩ちゃん。とまもい、だよ。取り付く島もない、の略だね」


「……なんで略す必要があるんですかね」


「それより奏詩ちゃん、今日の講義はこれで終わりだけど、この後の予定とかはあるのかな? もしないなら、聖少女領域の観光案内させてほしいなぁって思うんだけど、どうかな?」


 聖少女領域とは、聖女戦争後、新たに設けられた区域分けにより生まれた地名であり、旧い地図で言えば日本の関東一帯あたりがそれに含まれる。


 元々は聖女を発掘・育成することを目的として開発が進められたため、如月奏詩が今日転入してきた聖少女学園は、その中でも基幹施設であるとされている。


 現在の実態と一致しているかどうかは別として。


「ありがとうございます。舞愛さんさえよろしければ、是非お願いしたいです」


「じゃあ決まりだね。奏詩ちゃんは何処か行きたい所、あるかな?」


 舞愛は心から愉快そうに微笑む。


 今日一日会話をした内容から、彼女は友人とのコミュニケーションに飢えている、という印象を受けた。


 それも仕方あるまい。先程の女教師がそうであったように、聖女とは極力関わり合いにならないことが、一般人女性にとっては当たり前の処世術なのだから。


 絶対的な強者! それ故の孤独! 貴方に愛を教えるのは、そんなことしなくていいから。


「あたしのオススメはやっぱり聖女記念公園かなぁ。景色も綺麗だし、とっても気持ちいいんだよ。それか聖女タワーなんかもありだよね。大型のショッピングセンターも併設されてるから、あそこに行けば大体なんでも揃うしね。あとは……あ、なんか最近できたレゴラ」


「それもいいんですが、実は行ってみたい所があるんです。聖少女学園への転入を決めたのも、それが一番の理由で」


 まくし立て気味な舞愛を遮って、奏詩は携帯端末の地図アプリで、1つの場所を指し示す。


「え? えーっと……そこはなんていうか……その、ね……」


 舞愛はあからさまに動揺し、歯切れの悪い返事を並べるしかなくなってしまう。気持ちはわかる。


「ジェンダーフリー特別区域……通称GF特区。本来男性には認められていないはずの人権が、限定的ながらも与えられる数少ない場所だと聞いています」


「う……うん。それはそうなんだけど……」


「ノブレス・オブリージュの精神って、すごく大事だと思うんです。何故生まれたのかもまだ解明されていない聖女の力ですが、これは他者を傷つけるためではなく、力ない人々を護るためにあってほしいと、常々そう思っていたんです」


「うん、それはすごぉく立派な考え方だと思うよ。思うんだけど、それはそれとして……」


「完全に隔絶してしまった女性と男性が、いつか共存共栄の道を進める日が来るかもしれない。その切っ掛けがここにある。そんな気がするんです」


 それはただの気のせいだよ。


 いかにもそんな事を言いたげな目をする舞愛だったが、実際に口に出すことはしなかった。


 優しさと優柔不断は紙一重とかなんとか。


「では早速行きましょうか」


 それからテレポート用のターミナルを経由し、GF特区へ到着するまでの間、舞愛は手を変え品を変え別の目的地へと誘導しようと四苦八苦していた。


 奏詩は一切聞く耳を持たなかったけれど。


 *


 ピルケースから取り出した錠剤を数粒、口の中へ放り込んで噛み砕きながら、転送作業が完了したテレポート用コンテナから外に出る。


「ねぇ、奏詩ちゃん、それって何かのお薬?」


「いいえ、ラムネです。好物なんですよ」


『GF特区』は旧来の日本地図でいう埼玉県の西の西、聖少女領域の外縁部近くに位置している。


 旧新宿跡地に建造された聖少女学園から車で向かうと4時間近くは掛かる距離だが、そんなものは過去の話に過ぎない。


 聖女の力を応用して開発された空間置換システムが、各地の要所要所に予め設置したターミナル間を瞬間移動することを可能としているからだ。


 国家間の移動には未だにパスポートが必要になったり、そもそも女性以外は利用不可だったりするのだが。


「話には聞いていましたが、本当に男性と共存しているんですね。感動です」


 数としてはそれ程多いわけではない。


 道行く人々はそのすべてが女性であり、男性は店舗のスタッフに従事している姿をちらほら見かける程度。


 だが、日の当たる場所でそのような光景が見られるというのは、今となっては極めて希少そのものだった。


「それにしても、皆さん整った見た目をしていますね。やはり相応の判断基準があるということでしょうか」


 男性視点での弱者男性は、女性視点では存在を認知されないレベルなのだとされているが、この世界では更に厳しい価値基準が根付いている。


 身長170センチを越えれば人権が与えられるだなんて、なんと慈悲と優しさに満ち溢れた世界であることだろうか。


「ああ、もしかして舞愛さんがあまり良い反応をされていなかったのも、それが理由なのでしょうか? 大丈夫ですよ。そんないきなり、無条件で誰も彼も受け入れられるようなことなんて、そこまでの期待はしていません」


「そ、そっかぁ〜、それは良かったなぁ〜、安心したよお〜。というわけで、そろそろ次の場所に行こうか」


 なんとも言えない棒読みで、舞愛は早々の撤退を促す。


「まだ来たばかりじゃないですか。あれは……なんでしょうか? 見たところ飲食店のようですが、かなりの人だかりが出来ています」


「さ、さぁ……マグロの解体ショーとかなんじゃないかなぁ〜……」


 苦し紛れに適当なことを言う。


 その程度のイベントで、店の外まで人を集められるわけがない。


「だからもう行こうか。聖少女学園で依頼すれば、目の前の特等席で見られるし、わざわざ遠くから見なくても……」


「ちょっと様子を見てきますね」


 舞愛の相手はせず、奏詩は人だかりの方へ向かっていく。


「そ、奏詩ちゃん! ちょっと待って! あたしも行くからぁ〜!」


 結局2人揃って様子を伺う。


 幸か不幸か、大々的に拡声器を使ってイベントの司会進行が行われていたため、状況を把握することは難しくなかった。


「さぁ〜てみんな、準備はオッケー? じゃあそろそろ始めよっか! 『ノーパンしゃぶしゃぶの刑』まであと10秒ねー! じゅ~う、きゅ~う、はぁ~ち」


 ノーパンしゃぶしゃぶとは、太古の昔、バブル期の日本に実在していたとされる都市伝説である。


 女性店員に下着を付けさせず、ミニスカートを履かせた状態で、低い位置に客席を作らせた店舗で接客業務を行わせ、男性客に下から中を覗かせる、というなんとも下品な風習であった。


 無論、超絶女尊男卑となった今の世でそんな施設が存在を許されるはずもなく、今奏詩たちの眼前で行われているのは、同じ名を冠しただけの、まったく別の催しだった。


 吐き気を催す下劣な行為であるという点に於いては、然程違いはないにせよ。


「助けてっ! 許してください! 僕が何をしたって言うんですかぁ!?」


 あらん限りの力で悲痛な叫び声をあげるのは、容姿の整った男性。


 尤も、顔は恐怖に引き攣り、下半身は丸出しの上に両足を大きく広げたインリン・オブ・ジャスティスのポーズで固定されているため、イケメンという称号は剥奪されて然るべきだろうが。


「はぁぁぁ? 何をしたかわかんないって、あんた本気でそんなこと言ってんの?」


「だ、だって……僕はただ、『ご注文はキムチですか?』って確認しただけじゃないですかぁ!?」


「待って待って、なーんにも分かってないじゃん。頼むよクソオス。私さっきも言ったよね? キムチじゃなくてキムチだって。」


 聞く耳を持たない司会進行の女性に、絶望の色を示す青年。


 慌てふためくのも無理はない。彼のすぐ真下では、グツグツと煮えたぎる油でなみなみと満たされた巨大な釜が、獲物の落下を今か今かと待ちわびているのだから。


「やっぱりちゃんと痛い目に合わないと駄目みたいだねー。はいご~お、よぉ~ん」


 カウントダウンは無慈悲に続く。これがゼロを迎えたとき、青年の身体を支えるロープは一気に下降し、高熱油の火口へと彼を叩き落とすのだ。


 これが現在のノーパンしゃぶしゃぶ。ひょっとすると、かの古き言い伝え『尻毛を煮る』とは、このことを意味していたのかもしれない。

 

「……そうですか。これがジェンダーフリー特別区域の実情、ということですか」


 とどのつまり、GF特区は女性と男性の共存共栄を目指して設けられたわけではない。


 ちょっとしたミスに対して難癖をつけ、男性を甚振って遊ぼう、というのが真の目的に他ならない。


 人間が崩壊していく様は、楽しい。


「うん……なんていうか……ごめんね」


 舞愛の責任ではまるでない。強引にでも引き止められなくて、の謝罪だろうか。


「気にしないでください。理想や建前が現実と乖離するなんて普通のことですし」


 仕切りの女性に合わせて、見物人の女性たちからも、カウントダウンの合唱が湧き上がる。


 秒読みがひどくゆっくりなのは、刑の執行に怯える男性の反応を、少しでも長く観察し、期待に胸高めるためだろう。


 より大きな愉悦に、カタルシスに浸れるように、と。


「いぃ~~~~~~~~~~~ち……ゼロッ!」


 それまでよりも更に長い最後の1秒を終えて、男性を支える命綱が力尽き、重力に引かれるままに垂直落下を開始する。


 煮沸する油の中へと、陰部から放り込まれる男性。


 肉の焼け焦げる悪臭を多分に含んだ水蒸気の爆散。


 激痛にのたうち回って暴れる騒音。舞い散る灼熱の飛沫。


 ……そんな地獄絵図が現実になることはなかった。


 男性が落下する直前に、巨大な鍋を蹴り飛ばしていたためだ。大型コンロ諸共に。


「あっ、あつっ!? ちょ、やばっ、火止めてっ! ったく、誰だよ、こんなだいそれたことすんの……」


 ぶち撒けられた油の飛沫がちょっぴりだけかかったことで、仕切り役の女性は苛立ちと不快感も露わに不平を漏らしかけた。


 状況を把握するなり堰き止められたが。


「……見ての通り、やったのは私ですが。何か問題でも?」


 冷たく、抑揚なく、感情を殺した眼で睨みつけながら奏詩が答える。


「えっ……聖女……? っていうか、誰……?」


「ちょっと待って、あれじゃない? 今日転入してくるって噂になってた……」


「は? え? なんで今日来たばっかの聖女が、GF特区なんかに……?」


 仲間らしい女性たちとこそこそ話す進行役だったが、すぐさま今はそれどころではないと気付き、奏詩へ向けて平伏した。


「あ、あの、何か気に障ることがございましたでしょうか……?」


 それは苦し紛れの言い逃れではなく、純粋に心当たりのなさから出た質問だった。無理もないことだ。


 現在この世界を実効支配しているのは、始まりの聖女の親衛隊に位置する七聖剣。及びその直轄組織たる聖天騎士団である。


 彼女らが指し示す方針に於いて、男性への理不尽な暴力は、寧ろ推奨されている行為だった。


 長い歴史の中、女性たちは理不尽な差別を受け続けてきたのだから、今こそ積年の恨みを晴らすべきなのだ、と。


 まぁ、それはそれとして。


「別に正義の味方を気取るつもりもありませんが、抵抗できない相手を甚振っている姿は見るに堪えません」


「い、いや、ちょっと待ってください! これは別に私たちが勝手にやってるわけじゃなくて、ちゃんと生徒会長に許可を取ってるんです! 薫! 早く会長に連絡して!」


「もうしてるし! でも返信がないんだって!」


 その時、店の外が俄にざわつき始める。


「やれやれ、一体何事だい? ボクはGF特区なんかに構っていられる程ヒマではないんだけどね」


 モーゼの伝説かの如くに人だかりが真っ二つに割れて、出来た道を通って2人の少女が姿を現した。

 

「貴方が、こんなバカげた行為に許可を出した生徒会長ですか?」


「河嶋翔子。覚えておいて損はないよ。いずれ七聖剣となる者の名だ」


 隙あらば自分語り。過剰な自信に満ち溢れた聖女には普通のことなのかもしれない。


 通常の意味での生徒会長とは、学校の生徒達から選出されて運営される自治組織。


 やってる感を何より重視する日本に於いては、適当な事務作業だけで進路決定に有利なカードを手に出来る美味しい制度だったりもしたわけだが、ここ聖少女学園の生徒会長は、それらとは一線を画している。


 年功序列よりも、聖女であるか否かの方が遥かに重要である現状、聖少女学園の生徒会長とは、聖少女領域すべての最終決定権を握る、名実ともに最高責任者ということになる。


 弱冠14歳の少女にそこまでの権限を持たせていいのか、という疑問が浮かばないわけではないだろうが、実際に異論を挟む者は誰もいない。


「ご丁寧にどうも。私は本日、聖少女学園に転入してきた如月奏詩と申します」


「ソウタ? まるで男みたいな名前だね」


 某中尉のように不注意な発言を平気でする。


「では河嶋さん、早速お聞かせ願いたいのですが、発音を間違っているというだけの理由で、下手をすれば死に至るかもしれない私刑を行うことを承認した、というのは本当ですか?」


「……へぇ。そんなくっだらない理由で揉めて、ボクの手を煩わせたんだ」


 翔子の一睨みに、進行役の一味は光の速さで土下座する。


「知らずに許可を出した、と?」


「そういうことになるね。けど、それがどうかしたのかい? 男1匹の処罰理由なんて、いちいち気にすることでもないだろう?」


 悪びれる様子もなく、翔子は答える。


「さっきも言ったけれど、聖少女領域内の治安維持という任務を抱えるボクは、色々と多忙な身なんだ。時間を費やすべき事象は、他にいくらでもあるわけだしね」


 河嶋翔子は精神異常者ではない。女性専用社会に於いて、男性に人権など存在しないのだから、極めて当然の論理展開だと言える。


 進行役の一味も同じことだ。公言されていないだけで、GF特区の正しい使い方をしているに他ならないのだから。


「見た所、ボクよりも3つか4つくらい年上なのかな? まったく不便だね。男女平等なんていう、歪な社会のことを覚えているなんてさ」


 物心つく頃、既に聖女が世界を支配していた世代ともなれば、至って普通の価値観でしかない。


「ああ、それに男みたいな名前をしているのも、妙な同情意識が生まれて良くないかもしれないね。改名も考えた方がいいんじゃないかな」


「それを言うなら、河嶋さんの一人称もどうかと思いますが」


「ボク、のことかな? 見解の相違ってやつだね。こんなにいい響きの言葉を、男なんかに使わせるなんて勿体無い」


 拘りがあるのか、はたまた単なる好みの問題か。


「ま、キミの言うことも一理ある。今回の処刑は非承認ということにしておくよ。未遂だったみたいだし、それで問題ないだろう? というわけで……さ、皆も解散だ」


 翔子が一方的に話を打ち切る。


 1人の人生を雑に扱っても気にすることなく、責任を取ることもない。そんな身勝手が許されるのも、聖女ならではの特権だ。


「いいえ、全然駄目ですね」


 翔子の足がピタリと止まる。生憎だが、逃がすつもりなど最初からない。


 そう、最初から。


「何が駄目なんだい? そこの男がどうなろうが知ったことじゃないが、寛大な心で見逃してやろうって言うのにさ。これ以上何を望むつもりだい?」


「人の行動には責任が伴います。誰かの人生を左右できる権力を持ちながら、いい加減な判断を下したことは、決して許されることではありません」


「人生? ハハッ、またおかしなことを。それは男に使うべき言葉じゃない。それともキミは、常に足元のアリや羽虫を踏み潰すことのないよう、注意しながら歩いているとでも言うのかい?」


 これ以上彼女との言い合いに付き合っても仕方がない。所詮何処までいっても平行線だ。


「正式な謝罪を求めます。彼の前に跪き、床に額を擦りつけて、『無責任な判断を下して申し訳ありませんでした』と、明確な言葉にしてください」


「……なんだい、それは? 笑えない冗談だね」


 空気が変わった。はっきりと。


「笑えないのは当然です。冗談などではないのですから。二度とこんな無責任な判断を下すことのないよう、翔子さんは今回の失敗を真摯に受け止める必要があります。なので経験としてしっかり心に刻み込めるよう、土下座して謝れと言っているんですよ」


 翔子が頭へと手を伸ばし、綺麗な銀髪を乱雑に掻き上げる。


「本気で言っているのかい? このボクに、土下座して謝れだって? しかも、男に?」


「ええ、その通りです。誠心誠意、お願いします」


「……転入してきたばかり、ということを考慮して……今取り消せば、多目に見てもいいよこのボクに喧嘩を売りたいわけじゃあるまい?」


 冷静を装ってはいるものの、その目は完全に笑っていない。


「好んで売るわけではありませんが……謝る気がないのであれば、強制するしかありません。河嶋翔子さん、貴方に決闘を申し込みます」


「……なん、だって?」


「私の提案に乗るのが嫌だと言うのなら、聖少女学園のルールに則って、折れていただくことにします。『聖少女学園に所属する聖女同士で揉め事が起こった場合、解決の手段として決闘を用いることが出来る。そして敗者は事前に取り決めた条件に従うこと』……でしたよね、生徒会長さん?」


「……驚いたな。決闘を申し込むって言うのかい? このボクに?」


「はい。そして私が勝利した暁には、きちんと土下座して謝罪してください」


「フッ……フフッ……ハハハハッ! さっきは笑えないと言ったけれど、撤回させてもらうよ! キミは実に面白い! そこまで大口を叩けるのは、余程腕に自信があるということだろう? いいね、望むところだよ!」


 怒りの余り、頭がどうにかなってしまった……というわけではない。


 翔子の感情は純粋に反転し、歓喜に満ち溢れていた。


「決闘なんて久しぶりだよ。生徒会長の座を賭けて、前任者とやった時以来だからね。是非やろうじゃないか! 朱音(あかね)、この後スケジュールが空いているのは?」


 翔子はそこで初めて、同行者に話を振った。


「19時以降、予定なし」


 表情の乏しい少女は、抑揚もなしに答える。


「オーケー。奏詩、今日の7時に聖女ドームで決闘と……」


「尚早。翔子が勝利した場合の条件を設定していない。決闘は未成立」


「あー……ボクは別に構わないけどね。勝って当たり前のことだし、彼女に望むようなことも……」


 反論に耳を傾けることなく、無表情少女は奏詩をまっすぐ見つめて宣言する。


「生徒会副会長・影崎朱音が条件を提案する。翔子が勝った場合、如月奏詩は生徒会の行動に対する干渉を禁止。今回の処刑も改めて執行する」


「……構いませんよ。本来翔子さんは受ける必要のない決闘なわけですし、釣り合いを考えたら、妥当な落とし所でしょう」


「ちょ、ちょっと待って3人とも!」


 ほぼ即決に近い形で纏まりかけた議論に、すっかり蚊帳の外だった舞愛がストップをかける。


「特に奏詩ちゃん、落ち着いてよ! 翔子ちゃんは、あの人への私刑はやめるって言ってくれたんだよ! このままなら、あの人は助かるんだよ! もう充分だってば!」


「いずれ死にます」


「……えっ?」


 捲し立てる舞愛を、奏詩は静かな一言で制する。


「確かに舞愛さんの言う通り、この場でその男性が煮られることはないでしょう。けれど明日や明後日もそうである保証はありません。今のままではこの先も、ロクな検討もされないままに、重すぎる刑罰が承認され続けることでしょう。生徒会長の手によって」


 舞愛とともに翔子の反応を伺ってみるも、小さく鼻で笑うだけだった。


 男を虫けら同然に扱うことなど、現代社会に於いては珍しいことでもない。


「たった1件の私刑を中止させたところで、根本的解決にはなりません。必要なのは翔子さんに、人を罰する責任の重さを思い知ってもらうことです。いかにもプライドの高そうな彼女にとっては、土下座による謝罪という行動は、これ以上ない薬となることでしょう」


「でも、だからって……そうだ! こういうことはちゃんと本人の意思を尊重して……」


 被害者男性の意見を求めようと振り返る舞愛を、今度は翔子が引き止める。


「やめなよ舞愛。男ごときが聖女に意見するだなんて、それこそ烏滸がましいというものさ。そのくらいは、キミでもわかっているだろう?」


「は、はい! その通りでございます!」


 翔子に問われて、尻丸出しの男性は痛いくらいに額を床へと押し付けながら惨めに叫ぶ。


 カーストが天地まで離れた者同士の会話など、このくらいがデフォルトだ。些か生温いとすら言える。


「わかったろう? あれには選択権も決定権もありはしない。そんなものの意思を確認するなんて、時間の無駄以外の何物でもないさ」


 翔子はケツ出し男への興味を失う……いや、ハナからそんなものありはしない。


「この世界は聖女の手によって導かれ、動いている。この件の当事者は既にボクと奏詩の2人だけ。その同意さえ得られていれば、第三者の介入なんてまったく不要のもの……そうだろう?」


「でも、やっぱりこんなの……」


 尚も食い下がろうとする舞愛の肩に、奏詩はそっと手を置いた。


「心配はいりませんよ。私が勝てば何も問題ないのですから」


「言うじゃないか。その威勢、期待ハズレに終わらないことを祈っているよ」


 そう言い残して、生徒会役員の2人は跳び去っていった。


 方角的に、おそらくは聖少女学園へと戻ったのだろう。


 聖女が移動する場合、わざわざターミナルを使うよりも、直接跳んだ方が基本早い。


「さて……聞いての通り、今回の私刑は保留となりました。通常営業に戻ってください」


 奏詩の宣言で、野次馬女性たちは散っていき、被害男性を含めた店員たちは片付けを開始する。


 聖女の指示に口を挟める者は、この場にはもう誰もいない。


「奏詩ちゃん、やっぱりやめた方がいいよ。翔子ちゃんって、この学園で一番強いんだから……」


 舞愛はまだ説得を諦めてはいない。


「……少し時間はありますが、私は早めに聖女ドームへ行っておこうと思います。観光案内は、やはりまた別の機会にお願いします」


 奏詩は説得の件を完全にスルーして、ターミナルへと足を向ける。


 ピルケースから取り出した数錠を、口へと放り込みながら。



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