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ひとの世界と魔の世界

 インフェール王国。五の領土にて構成される、世界では小さくも大きくもない、中堅的な大きさの王国だ。主に農業と、そしてその輸出によって利益を得ている国である。

 名産はブドウ酒。土がブドウ栽培に向いているのか、昔から栽培が盛んで、加工技術が進んだ今では、コクがあり豊潤な味であると、世界でもちょっと名のある名産地とされていた。

 国民も農業に携わっている者が多い。次いで、ブドウやその他の作物を加工する工場などの仕事が多くなっているだろう。

 よって、インフェール王国の見た目は農地が多く、つまり緑豊かで穏やかなものであった。あちこちにブドウ棚が並んでいるのが美しい光景として、外の国や、ほかの領土から観光にくる者もいる。

 そんなインフェール王国のある世界とは、また別の世界。この世とは少し違った世界がある。

 それが、メリューナの棲んでいる世界、通称『魔界』である。その名の通り、魔なる者たちの棲む世界。人間に仇なす存在たちの棲む世界なのだ。

 人間たちからは畏怖されていた。とはいえ、人間が軽々とこの魔界にくることはできないのであるが。

 ただ、人間たちはその存在をきちんと知っている。おはなしの中の世界程度に思っている者から、不思議な体験をしたことなどから実在を確信している者まで、程度はさまざま。

 だからメリューナの存在、種族としての存在は人間たちも知っている。

 サキュバス。人間の男性の精気を吸って命の糧としているいきもの。

 魔なる者とて、生きるにはエネルギーが必要で当たり前。人間で言うところの食べ物にあたるのだ、精気というものは。

 ちなみにメリューナは女性の肉体を持ち、心も人間の女性のそれといえる性質を持つ、女型の『サキュバス』であるが、対になるような男性型もいる。

 男性型のそちら、つまり男性の肉体と心を持ち、人間の女性の精気を糧とする者は『インキュバス』と呼ばれているが、サキュバスたちとはあまり関わりがない世界であった。

 敵対しているわけでも仲が悪いわけでもないが、かといって一緒に暮らしたり行動したりしても、なんのメリットもないので離れて過ごしている。それだけだ。

 それはともかく、魔なる者の一員としてのメリューナは、前述のとおり相当な劣等生であった。

 なにしろ、人間から精気を得られたことがないのだから。それは生きるための、いわば『狩り』ができないということなので、本当ならば即座に死んでしまってもおかしくない事態である。

 メリューナが幸いであったのは、サキュバスのコミュニティはそれほど冷淡ではない、というところである。

 精気を上手く得るのは大変なことであり、誰でも簡単に成し遂げられることではない。よって、得た精気を分け合うという習慣が存在するのであった。

 たくさん得た者は、まだ経験が浅かったり未熟だったりする仲間のサキュバスに少々分けてやる。代わりに、自分も『狩り』ができなかったときは、分けてもらう。そういう、助け合いの仲なのだ。

 しかしメリューナは劣等生。今まで一度も上手くいったことがないので、つまり、仲間たちのお情けやお恵みで生きていることになる。

 幸い、あからさまに邪魔者扱いされているということはないのだが、立場は弱くて当たり前。「分けてあげるけど、いい加減、成功させてみなよ」とぶつぶつ言われるのである。

 自分としてもまったく情けないことであるので、メリューナはそうやって精気をもらうたびに「次こそはしっかりしないと」と決意を新たにするのであるが……やはり、今のところ成功していないのが劣等生である。

 とはいえ、いつまでもそれに甘んじているわけにはいかない。いくら今は優しくしてもらっているとはいえ、いつサキュバスのコミュニティが「あの子はお荷物だから追い出そう」と言い出すかわからないのだ。それを防ぐためにはいい加減、自分で精気を得てこなければならない。これから安定して生きていくために。

 そこでメリューナは一念発起した。……何度目の一念発起かは聞かないでほしい。

 狙うからには、良い獲物のほうがいい。

 人間の精気。それはもちろん、個人によって良し悪しはある。それは単に個人差というものもあるが、ざっくりとした、傾向というものも存在する。

 たとえば、『身分の高い人間は、良い精気を持っている』というのはよく言われている。『良い精気』というのは、口に美味しいだけでなく、栄養価も高くて、満腹状態が長持ちするようなものだ。

 身分の高い人間は、そういう精気を持っている傾向にある。それがどうしてなのか、メリューナたちにはわからない。単純に、身分が高い、イコール、食べている食事が良いものである、というのはひとつありそうだが。

 メリューナたちにとっては、精気が上質であるかどうかが問題であり、どうして上質であるのかは問題でないので、そのくらいにしか考えなかったし、とにかく、そういうものなのである。

 そしてほかに言われているのは『見た目の美しい人間は、良い精気を持っている』というもの。こちらも理由は定かではない。

 が、人間の食事だって同じだろう。綺麗な見た目の料理と、みにくい見た目の料理。どちらを食べたいと思うかである。

 つまり、総合すると『身分が高くて』『見た目のいい』人間が、いい精気を持っている傾向にあるということ。

 なのでメリューナが王宮を狙ったのは、サキュバスとして至極当然のことといえた。そして王太子を狙ったのも、同じく当然のことといえた。

 インフェール王国の王太子はまだ年若く、また、とても顔立ちが整っていると有名なのだ。写真というものはあまり普及していないので、噂話や、あるいは絵画などで見るしかないのだが、メリューナが覗き見したものは、確かに美しく描かれていた。いかにも美味しそうな精気を持っていそうに。

 そんなわけで彼を狙って王宮に忍び込んだのであるが、結果はご覧のとおりである。劣等生ぶりを存分に発揮してしまったというわけだ。

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