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サキュバスの恋

「それで、これで最後だな。俺が王宮でお前を生かしておいた理由と、あとは、そうだな。サテュロがお前をサキュバスに戻してくるよう謀った理由も含むか」

 話が再開される。そしてメリューナの最後の疑問に回答してくれるようだった。

「お前はサキュバスだ。サキュバスに生殖能力がないことは知っているな?」

 唐突に違う話題が出てきて、メリューナは、きょとんとした。どうして今、そんなことを聞かれるのか。

 思ったものの、質問に答えることくらいはかまわない。

「はい。淫魔は種族を増やすことに積極的でないですし」

「そもそも人間のように、母の腹から生まれるわけではないしな」

 魔なる者の生まれは人間と違う。生きる時間がまったく違うのと同じことだ。

「だから、だ。サキュバスのままでは子供を作ることができない」

「そうなりますね」

 噛んで含めるように言われた。そのとおりであったし、メリューナにはそれに対して特に不満などなかった。不満どころか、なにも思うところがない、というところが大きい。

「しかし人間になれば、子が産めるだろう。女型の体なのだから」

「……そういうことに、なるでしょうか」

 メリューナは首をかしげてしまった。確かに自分はどんどん人間に近くなっていったけれども。それで子供ができる云々ということは考えたことがなかった。元々、子孫だの子供だの、そういうことについて考えない生まれと種族であるのも手伝って。

「理論上はそうなるだろうよ」

 グライフは言ったが、それは前座に過ぎなかった。

 グライフはちょっと言葉を切る。数秒の沈黙が場に落ちた。

 メリューナは首をかしげた。この沈黙はなんだろう。

 どうやらグライフが言い淀んでいるようだ、というのは伝わってきた。理由がわからずにいたが、話はやっと再開された。

「精気を与えてやったことで、お前が魔力を失ったのは予想外であったがな、そのあとに思うようになったのだ。人間の体になれば、子を孕ませることができるだろうと」

「……そう、です、ね?」

 それは先程聞いたことと同じだったので、メリューナは不思議に思った。再び首をかしげてしまう。どうして同じことを繰り返すというのか。

 しかし、同じことの繰り返しではなかったのである。

「わからないやつだな」

 グライフは笑みを浮かべた。けれどその笑みは硬かった。見たこともないようなものだ。

 そしてその中からメリューナにとって意外過ぎる言葉が飛び出した。

「俺の子を孕ませようと計画していたというのに」

 今度、数秒黙るのはメリューナのほうであった。なにを言われたのかわからない。

 俺の子。当たり前のようにグライフの子供ということだ。

 そしてそれを作るように画策していたと。そういうことらしい。

「え、……えええ!?」

 理解した途端、メリューナの声はひっくり返った。その言葉はメリューナにとって意外過ぎた。

 目を丸くしたうえに、何度もまたたきをした。聞き違いではないだろうか、こんなこと。

 しかしそんなはずがない。そしてグライフは一転して、ちょっと顔をしかめた。頭が痛い、とでも言いたげな様子を見せる。

「そろそろ伴侶を迎え、世継ぎを作れとな。さっきのサテュロに少し前からうるさくつつかれるようになっていたのもある」

 メリューナは目を白黒させながら聞くしかなかった。

 伴侶。世継ぎ。

 メリューナの生活にはまったく関りがないと思っていた言葉ばかりだ。

「だから好都合だと思ったわけだ。人間にしてしまい、子を作らせる。俺の血が入っているのだ、人間としてのお前の腹から生まれようとも相応の魔力を持って生まれたことだろうさ」

 メリューナの動揺に構わず話はどんどん進んでいった。メリューナにとっては理解しがたいことばかりが進んでいく。

「だがサテュロは気に入らなかったらしいな。お前自体が気に入らないのか、それとも人間の腹を借りる形になることなのかは知らんが。それでお前にワインを飲ませてサキュバスに戻してしまった。戻ってしまえば子は作れないからな」

 メリューナはなにも言えなかった。ソファに腰かけたまま、もうお茶を飲んで気を落ちつけようとすることも出来ない。そんな場合ではなかった。

「まぁそんなわけだ。事の顛末としては。理解したか?」

 訊かれたものの、理解したかと言われればイエスでもノーでもあった。

 確かに理屈としてはわかる。

 けれど心情的には理解とは程遠かった。

 一番わからないのは、グライフの言った「人間にしてしまい、子を作らせる」という部分であった。

 誰でも良かったのだろうか。子を作れる女の体であれば。

 そうかもしれない。グライフは世継ぎが欲しかったらしいので。

 しかしそれなら王宮に女性など山のようにいたではないか。そちらから選べば良かったのではないだろうか。

 おまけにグライフは女性の使用人からも絶大な人気があった。その気になれば伴侶などすぐに見つかったのでは。

 使用人としての身分が問題であろうとも、王宮にいるのは当然のように使用人だけではない。王家の血の入った身分ある女性だっているのだし、それに貴族などそういう人間たちとの交流だってあっただろう。

 それではいけなかったというのか。

 混乱しつつそんなことが色々と頭を巡ったが、どれも口には出せなかった。本人を相手にして訊くのは不適切だろう。

「理解したかと聞いているのだが」

 グライフの顔がまたしかめられた。そう言われても、やはりイエスともノーとも口に出せなかった。

 しかしなにも言わないわけにはいかない。メリューナは考え考え、口を開いた。

「お世継ぎをお求めだったのは、わかりましたが」

 すらすらと出てくるわけがないので、途切れ途切れになった。

「元々人間である女性では駄目だったのでしょうか」

 純粋な疑問を口に出したメリューナであったが。

 盛大な呆れ顔が返ってきた。

 メリューナはそれに戸惑ってしまう。変な質問をしてしまったのだろうか。どのあたりが不適切だったのかもわからない。

 謝ればいいのだろうか、でも謝るべきであった点がわからないのに、ごめんなさいと口に出しても。

 メリューナがおろおろしている間に、グライフが立ち上がった。急な展開に、メリューナは自分も立ち上がったものか、そうでないものか判断がつかずに結局その場に座ったままになってしまった。

 そんなメリューナの傍までつかつかとやってきて、グライフはメリューナの座るソファのうしろへ回り込んだ。そしてなにをするかと思えば。

 メリューナの肩になにかが触れた。するっと回される。ソファ越しに腕に抱かれた形だ。

 王宮で教わっていたようなことを急にされ、一体どうしてなのかわからなかった。今、ここで教授ではないのはわかる。

 ただ、メリューナの心臓はひとつ跳ね上がり、どくどくと速くなっていった。しっかりとした腕の感触に、そのあたたかさに。こんなふうに感じたのは久しぶりであった。

 どきどきするのに、妙な安心感も共に感じられる。

「恋人としての行為を教えたろう」

 急にそんなことを言われた。抱いた腕に力を込めて。苦しくはないが、胸のほうが苦しくなってしまう。

「は、はい」

 抱かれるままになりながらメリューナはなんとか肯定した。

「なんの気もなしに教えたと思ったか?」

 そして言われたこと。すぐには意味がわからなかった。なんの気もない、とは。

 つまりそれは、グライフになにかしらの気持ちがあった、という意味だろう。その『なにかしら』とは。

 思い至った途端、抱かれている緊張感とは別の意味で心臓が跳ね上がった。

 恋人としての行為。それがただの教授だけではなかったというなら。

 そんなものは、ひとつしかないではないか。

「……本当にヒナだな。理解もせずに、お勉強だと思っていたか」

 はぁ、とため息をついてグライフは言った。

「そ、……ういうわけ、では」

 メリューナはそれをためらいつつ、否定した。理解していなかったのは確かである。けれど、まるっきりお勉強だとも思っていなかった……というのは少々語弊がある。

 お勉強だと思って受けてはいた。けれど、それに伴う気持ちはきっとそれだけではなかったから。

「ここまで気付かずに来ておいて、そういうわけではないと?」

 空気がおかしかった。なんだか……味覚で言うところの『甘い』といえるようなものがその場に漂っている。メリューナにとっては初めて経験するようなものであった。

 その中でメリューナは懸命に自分の気持ちや感覚を言葉に変えようとする。考え、考え、言った。

「た、確かにグライフ様の心づもりはわかっておりませんでしたけど、……」

「けれど、なんだ」

 促される。グライフの言葉もなんだか甘いような色を帯びていた。それはもう、メリューナが「感嘆のような気持ちで吐息を吐くのだ」と教えられたのと同じような色だ。

「少なくとも私は……とても心地良く、思っておりました。それは、誘惑や恋人同士のするようなことを、上手にできるように教えられていたからではないと……思って、……」

 途切れ途切れながら、メリューナが真剣に自分の気持ちを口に出そうとしたのは伝わってくれたらしい。肩に回った腕に力がこもった。そっと身を寄せられる。

 メリューナの頭になにかが触れた。グライフの顔を寄せられたようだ。

 そこからまた心臓がばくばくと速くなってしまう。これはもう、教授などではないのだろう。そしてそうであれば、どうしてこんな行為をするかなんて。

「では、人間ならば誰でも腹を借りたいなどと言ってもらうのは困るな」

 声はメリューナの耳元になった。耳の中に吹き込まれる。ぞくりと身の内が震えた。

「俺は、他ならぬお前の子が欲しいと思っていたのだぞ」

 それがすべての答えであった。『お前の』と望まれる意味。子孫を残す必要がない種族だとはいえ、その意味がわかっていないはずはない。

 人間でも同じだ。というか人間のほうが顕著なのだが。子孫を残すのは、子供を作るのは、生き物としての本能だけではない。

 ……相手に特別な感情を抱いているから。その証が欲しいと望むこと。その気持ちが一緒についてくるのである。政略結婚、とかそういうものでない限り。

 明確な言葉からやっと思い知って、心臓がばくばく跳ねるだけでなく、なんだか熱がのぼってきた。顔にである。

 このようなことを告げられたことはなかった。恋人、という思考がなかったためであるが、自分には縁がないと思っていたのだ。

 けれど、ああ、思い出してみれば自分はグライフを特別に思っていたのは確かだったのである。

「この方に死んでほしくない」と思ったのが最初であったか。人間に対してそんな感情を抱いたことはなかった。それで驚いたのであるが。

 失いたくない、と思ったこと。それは生きて、自分の傍に存在していてほしいということだったのである。

 そしてそこから考えれば、触れ合うことで心地良さを感じたのなど当たり前のことであった。好意がない相手に触れられて、あのように高揚などするものか。

 今までに成功したことはないとはいえ、男性に夜這いを仕掛けたことは数知れず。しかしそのときのいずれも、緊張の気持ちしかなかったのだ。心臓の高鳴りは、単にそれでしかなかった。

 けれど、グライフからの教授、つまり触れられることは、どんどん意味が変わっていったのだ。それをただの『技術を覚えられることへの嬉しさ』だと思っていた自分に呆れてしまうばかりだ。

 糸を引っ張るように自分の行動や感情をどんどん思い起こしていく。

 そして今だって。

 自分の肩を抱いてくれる腕がしっかり力強いこと。身を寄せられているあたたかさや、体の感触。

 それを心地良く思う意味なんて。

「それは、……とても嬉しく思います」

 口に出すのは違う意味でとても緊張した。受け入れ、肯定し、またメリューナからの気持ちもすべて入れた言葉だから。

「ほう、ではもっとわかりやすく伝えてもらおうか」

 不意にグライフは身を引いた。あれ、とメリューナが思った直後。手を伸ばされる。メリューナの腕が掴まれた。

 ぐいっと引っ張られて、メリューナは望まれていることを知った。ちょっとわたわたとしてしまいつつも立ち上がる。

 ソファを回り……今度はしっかりと、隔てるものなく向き合った。

 けれど向き合っていたのはほんの数秒だった。もう自分がどう動いたらいいのかわかっていたので。

 自分で一歩踏み出し、身を寄せる。

 今のものは誘惑などではない。自分の意志である。

 相手に利を与えてもらうためのものではない。自分がそうしたいのだ。このひとに触れたいと思う。

 グライフの胸に寄り添う。手を胸に当て、顔も寄せた。そっと胸元に耳をつける。

 とくとくと心臓の音がした。以前も感じたものだ。

 この音がメリューナは好きだった。

 失いたくない。その気持ちを増幅するものであり、また、その不安を打ち消してくれる音だから。

 このひとは確かに生きてここにいてくれるのだ。そして自分がこうして触れるのを許してくれている。

 そんなメリューナの背中に腕が回った。抱き寄せられる。しっかりと体が触れ合い、抱き合う形になった。

 心地良さに、ほぅ、とメリューナの吐息が零れた。今のものは作り物などではなかったけれど。

 感嘆の気持ちをこめて、など意識することもなかった。勝手に零れてきたのである。

 メリューナはやっと知った。人間の恋人たちがこのようにする理由。

 心地良いからに決まっている。胸の奥があたたかくなる。触れた体のあたたかさが移るように。

「上手くできるようになったじゃないか」

 わかっているのかいないのか、グライフの言葉は少し違っていた。メリューナはちょっとだけ、むっとしてしまう。

「確かにやりかたはご教授いただきましたけど」

 それは確かなので、まずそう言った。

「……もう、試験の気持ちなどではございません」

 この行動だけでは『わかりやすく』なかったようだ。なのでメリューナは考えた。ここは教わった手腕を使うときではない。自分のしたいと思ったこと。それをするべきところだ。

「グライフ様」

 顔を上げた。そしてグライフの顔を見上げる。琥珀色の瞳と視線がぶつかった。

 今はメリューナの心臓を別の意味で高鳴らせる。もはや、綺麗だと見とれる余裕はなかった。だってこれは教授でも試験でもないのだから。

 どくどくと高鳴る心臓を抱えながら、メリューナは湧き上がった衝動に身を任せた。顔を寄せる。

 ただし、くちびるへではなく。

 メリューナのくちびるが触れたのは頬であった。肌の感触がする、滑らかな頬。くちびるを触れさせるだけのもの。

 本当はくちびるに触れたかったのだけど、それは少々怖かった。

 また精気の行き交いが起こってしまわないとも限らない。

 けれどこのひとに触れたい気持ちは抑えられないし、今は抑えなくていいのだ。

 なので、くちづけは頬へ。メリューナが頬へのくちづけの意味を知っていたはずはない。単に、触れるのに都合が良かっただけだ。

 それでもしっかり伝わってくれたらしい。ほんの数秒の頬へのくちづけのあと、顔を引く。もう一度、琥珀色の瞳を覗き込んだ。

「グライフ様に触れたいと思います。心地良くて、でもどこか安心するのです」

 言って、手を伸ばした。先程くちづけをした頬に触れる。優しいあたたかさが感じられた。

「私は恋人同士の触れ合い、というものを知りませんでした。初めて知ったのです。はじめはただ、サキュバスの仕事に役立つ、と思って嬉しいばかりでしたが」

 メリューナの顔が歪んだ。どきどきと高鳴る胸が痛すぎて。きゅうと締め付けられるように痛む。

「触れると心地良いと思います。緊張ではなく、高揚するのです。それに、グライフ様が倒れられたときは心臓が凍りそうでした。グライフ様に居なくなってほしくありません」

 ちょっと言葉を切った。これで最後だ。ごくりと唾を飲み、思い切って口に出す。

「そういうものは、人間の言葉でいうところの、……恋慕、ではございませんか?」

 メリューナの出した結論はこれであった。

 恋慕の情など知らなかった。今まで感じたこともなかったものだったので。

 しかしこのように感じることを人間は『恋』と呼ぶのだ。そして今メリューナのしたような、恋人同士の触れ合いをしたいと望むのである。

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