誘惑実践とステップアップ
「うまくやっていると思っていたのに、やはりお前は劣等生なのだな」
夕方も近付いた頃、メリューナの部屋に来客があった。なんとグライフ直々に訪ねてきてくれたのである。
図々しくはあるが、グライフが訪ねてきてくれたときメリューナの胸に湧いたのは、期待であった。
彼からなら精気を分けてもらえるかもしれない。
グライフは物言いこそ乱暴なものの、優しいところのある性質だともうよくわかっていた。
なので、自分のこの窮地を見れば助けてくれるのではないか。そういう期待だ。
「随分弱っているようじゃないか」
ドアがノックされて、誰かしらと思いつつ応答したメリューナ。ドアの前に立っていたグライフは、面白い、といわんばかりの顔でそう言った。
しかしメリューナに口ごたえをする余裕はない。ただ、眉を寄せて黙るしかなかった。
「ちょっと教授したくらいで男を襲えるはずなどないからな。まったく精気を取っていなかったのだろう」
それは勿論そのとおり。グライフにわからないはずもない。ついでに今のメリューナが望んでいることも。
きちんとドアを閉めて、グライフはずかずかと部屋に入ってきた。メリューナは彼についていって、そして彼の思惑がわからないゆえに、彼のうしろで立ちつくした。部屋を見回し、窓に手をかけたグライフを見守るしかない。
グライフがこの部屋に来るのは初めてだ。当たり前だ、騎士団長が、自分付きとはいえメイドの寮の私室に来るはずなどないのだから。
「なかなか悪くない部屋じゃないか。使用人寮など見るのは初めてだったが」
「……はい。良いお部屋を貸していただきました」
とりあえずそう答えておいた。事実なので。部屋を持つことなど初めてであったが、『メイド』、つまり使用人という立場にしては破格のものだということくらいはわかる。
「まぁ部屋はいい。それで。……精気がほしいだろう」
向き直ったグライフに、そう言われてちょっと詰まってしまう。図々しく、まただいぶ情けない欲求だ。
「……はい」
しかしここにきて強がることなど言えるものか。今はとりあえず、誰のものでもどういう手段であってもいい。
精気がなければ死んでしまう。人間の『死』とは違うが、この世から消えてしまうという点では同じである。
それをなんとなくかもしれないが理解しているだろうグライフ。くちびるのはしを上げて、笑みを浮かべた。
「せっかくだ。実践といこうじゃないか」
「実践……?」
くちづけで精気を与えてくれるだろうと期待したのであるが、グライフの言ったことは違っていた。くれないということはなさそうだが。
「ああ。ここ半月で色々と教えたろう。それを使って俺を誘惑してみろ」
ああ、なるほど。
メリューナはやっと納得した。そして、思い知った途端、緊張してしまう。
実践。誘惑。サキュバスとしてやらねばならないこと。
でも上手くできるだろうか。いくつか手腕は教わったものの、実際に使うのは初めてなのである。
だがやらないわけにはいかない。メリューナはごくりと唾を飲んだ。そうして頷く。
「わかりました。やらせていただきます」
「まるで試験かなにかのような口調だな。……まぁいい。期待しているぞ」
ぐっと腹に力を入れて、メリューナは一歩踏み出した。
グライフはベッドの傍に立って、ただこちらを見つめているだけだ。
いきなりくちづけなど仕掛けてはいけないことくらいはもう教わっていた。よって、まずは近付くことからはじめるのだ。
目の前に立って、ためらってから、手を伸ばした。グライフの手に触れる。まだ昼間の服装ゆえに、焦げ茶の革手袋をしているグライフの手を。革の感触は硬かった。
「……」
グライフはなにも言わずにされるがままになり、ただメリューナの動向を見守っている。
上手くいっているのかしら。
緊張しながらメリューナはその手をそっと握る。そうしてから視線を上げた。
グライフの金色の瞳を見つめる。今はからかう色も笑う色もない瞳。ただ静かだった。まるで宝石のような、琥珀色。
綺麗ね。
メリューナの胸に感嘆が溢れた。これほどひとの瞳を間近で見たことも、見つめたこともほとんどないが、見入ってしまうほどうつくしかった。
そして感嘆だけでなくだんだん熱くなっていった。心臓の鼓動が速くなったのも感じられる。
これが心の高揚であることは知っていた。けれど、それがどこから引き起こされているのかは、未だに理解していないメリューナである。
たっぷり時間をかけて見つめて、メリューナは手に少しだけ力を込めた。きゅっと握る。そしてやっと口を開いた。
「グライフ様」
常よりずっと小さい声だった。そして、自身で認識しているところの『感嘆』といえる声になるよう心掛けた。
それは上手くいったらしい。教えられたから、でなく、自身の奥に眠っていたサキュバスとしての本能がそうさせているようだった。
「……ああ」
グライフも口を開いた。手が動く。メリューナが力を弱めると、するっと手が離されてメリューナの腰に回った。
わずかな力で腰を引かれただけで、今のメリューナは理解することができた。一歩踏み出して、グライフにそっと身を寄せる。ちょうど顔のあたりに来る胸。しっかりとしているそれに、顔を寄せた。
昼間、着込んでいる服の感触がした。激しく汗をかく季節でもないし、毎日洗っているので石鹸の清潔な香りも。
……心地良かった。
その気持ちはメリューナの行動を後押しした。顔を寄せるだけでなく、顔をうずめてみる。香りがもっと強くなった。
体温もはっきり感じる。ほんのりではあるが、あたたかい。
そして、より近付いたことで、とくとくと心臓の鼓動が伝わってくる。生きている音と感触だ。メリューナは感嘆してしまう。
人間の生きている証。
サキュバス、淫魔も心臓くらいは鳴る。一応この世に肉体というものを持って、存在しているのだろうし。
ただ、それが身を生かしているかというと少し違うので、人間のように、ここにダメージを与えられれば即座に死に至るということはない。
しかし人間は違う。刺されたり撃たれたりすれば、簡単に死んでしまう。なんと儚いことか。それを実感して感嘆してしまったのだ。
そして感動もする。このひとは確かに生きて、ここにいるのである。何故かそれが嬉しくなってしまった。
「……あたたかいです」
つい、誘惑とは関係のないことを言ってしまった。すぐにひやっとしたけれど。適切でなかったらどうしよう。
けれどそれは悪くはなかったようだ。上から降ってくる声は穏やかだったので。
「ああ。お前もあたたかいぞ」
手に力がこもって、抱きしめられる。しっかりと体が触れ合った。
まるで恋人同士のよう。メリューナは思った。
以前は、精気をいただくことばかりを考えていた。つまり、誘惑のことばかりだ。
けれどグライフによって教えられた。誘惑は確かに必要だ。それが精気を得るのに直接的に必要な方法なので。
しかし、そこへ至るまでに必要なことがある。それがこの恋人同士のようなことをするプロセス。
それを踏むことで、相手の男がその気になりやすくなる。グライフはそのように教えてくれた。
よって今、しているような、恋人同士のするようなことも教えられたのだが、それは意外と良いものであった。
メリューナはなんだか、これが単なる誘惑のためのものであるとは思えなかった。心が高揚するし、あたたかく、優しく、心地良い感覚を覚える。
だがこれは確かに誘惑のプロセスのひとつ。ずっとこうしていても精気はいただけない。
メリューナは顔を上げた。そしてもう一度、グライフの目を覗き込む。
先程と同じような穏やかな目。
いや、少し違う。なんだか優し気な色を帯びていた。それにまたメリューナの心臓がどきどきと高鳴ってくる。
このような優しい目はそうそう見られるものではない。
しかしメリューナはやはりひよこ未満であった。
きっと上手くいっているのだわ。だから満足してくださっているのでしょう。
そのように思ってしまったのである。サキュバスとして未熟どころか、いきものとしても未熟すぎる思考であった。グライフがこの思考を読んだりできないのが幸いである。
数秒、瞳を見つめたあとにメリューナは手を伸ばした。グライフの頬に触れる。
今度は素肌に触れられた。つるりとしたヒトの肌。そしてここもほのかにあたたかい。優しく包み込んだ。
だがここでおしまいだった。何故なら、メリューナが教わったことがここまでであったからである。
そもそも、くちづけという行為を、初めて精気を恵んでもらったとき以来おこなっていないのだから。
当たり前である、くちづけをしていれば、そのときに精気を得ていただろう。
グライフは確かにこれまで、色々と教えてくれた。
だが、くちづけはしてくれなかったのである。
メリューナは、ここは愚かで迂闊だったといえるのだが、それをなにも不思議にも不満に思わなかった。新しいことを覚える喜びや楽しさ、嬉しさなどだけが頭にあったのもある。
ここにきてやっと気付いた。くちづけをしていてもらえたら、このような事態、エネルギー不足でダウンすることなどなかっただろうということを。
そしてそれはメリューナに疑問を抱かせた。勿論、どうしてグライフがくちづけをしてくれなかったのか、ということ。
考えた。数秒であるが。
だがわからなかった。
出し惜しみをしているのか、くらいしか理由が浮かばない。
メリューナが精気を得て、元気になれば、なにかの拍子に魔力を取り戻して出ていかないとも限らない。そういう思考かと思っておくしかなかった。
しかしとりあえず、今は目の前のことである。
どう言ったものかと思った。「くちづけてください」と乞うのが無粋で色っぽくないことは、今では流石にわかる。よって進退窮まった。
そんなメリューナの状況はわかってもらえたらしい。グライフは、ふっと笑った。ここまでとは少し違う笑みで。
「ここまでか」
メリューナは詰まってしまう。が、だからといって続きのやり方はよくわからない。どうにもできなかった。「できません」も、情けなさ過ぎて口から出てこなかった。
「まぁ、初回に比べれば、天と地か。ひよこくらいにはなれたと思ってやってもいいぞ」
「あ、……ありがとうございます……」
どうやら合格であったようだ。本当に試験のようであったが。
お礼を言ったメリューナ。その腰に触れていたグライフの手が動いて、力を持つ。次の瞬間には、抱きあげられていた。ふわっと体が宙に浮く。
「きゃ!」
思わず声が出た。抱きあげられるなどなかなかない。しかも今、こんなときに起ころうなど予想もしていなかったので戸惑ってしまう。
だが、抱きあげられていた時間は長くなかった。すぐ横にあった、ベッドに降ろされてしまったので。
浮いていた体がベッドの上に収まって、メリューナはほっとした。
けれど全面的に安心している場合ではなかった。肩を掴まれて、次に、あっと思ったときには全身がベッドに沈められていた。ぼすりと音を立てて横たえられる。
その上にグライフが覆いかぶさってくる。手をついて、乗りかかった形だ。このような状況は初めてゆえに、メリューナは目を丸くしてしまった。これはどういう状況だろう。
目を白黒させているメリューナを見て、グライフはまた、ふっと笑う。
「そんな、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をするな。誘惑をするときはどのような表情だと教えたか?」
言われて、はっとした。そうだ、誘惑はまだ終わっていない。少なくとも、実は続いていたようなのである。それならこの様子は適切でないだろう。
ええと、こういうときは、甘えるように。そして声と吐息も甘く……。
メリューナは教わったことを頭の中に思い浮かべて、そして実践した。
おそるおそる手を伸ばして、とりあえず近くにあったグライフの背中に回してみた。
甘えるように、と言っても、引っ張ればグライフはバランスを崩してしまうだろう。よって、力を入れるのは軽くにしておく。
更にもうひとつ。表情を作る。うっとりとしたようなものだ。
吐息も吐いてみた。やはり、うっとりとするように、熱を込めて吐き出した。
言葉はそれほど重要ではないと教わっていた。むしろ積極的に口を開かないほうがいいとも。あれこれ言うのは無粋だそうである。
視界の上にいるグライフの目を見つめて、そのようにした。
どうやらこれは及第点だったらしい。グライフは目を細めた。満足そうな表情になる。
「まぁまぁだな。色っぽさがだいぶ身についたじゃないか」
ありがとうございます、と言おうとして、やめておいた。しかしなにか反応はしたほうがいいだろう。
と、思ったものの、視線も吐息も、ついでに手つきももう、おこなってしまったのだ。これ以上、ほかに、というのは思いつかなかった。
迷ってしまったメリューナであったが、幸いここで合格としてくれたらしい。するっとグライフの手が滑った。
メリューナの頬に触れる。先程、メリューナがグライフの頬に触れたのと同じように、撫でて、包み込まれた。
しかしこちらの感触はあまり良くなかった。なにしろグライフは今、革手袋をしているので。やわらかな革を使っているのだろうが、ヒトの肌の感触に比べたら固すぎる。それに文句を言うつもりはなかったけれど。
「上手くできたから、ご褒美に精気をやろう」
グライフが身をかがめて、顔が、ぐぅっと近付いた。その言葉を吐きだす吐息がメリューナには、はっきりと感じられた。
くちづけてくれるのだろう。やっと、だ。メリューナは内心で歓喜してしまった。
その気持ちはメリューナの手に力を込めさせた。ぎゅっとグライフの上着の背中を握る。
これは正解だったのか、どうなのか。少なくともまるで駄目ではなかったようで。
包み込んだ頬を軽く撫で。もうひとつ近付けられて、くちびるが触れ合った。やはり薄くてやわらかな、皮膚の感触。
そしてそこから精気がメリューナの中に、ぐぅっと入ってきた。メリューナの体が発熱したように熱くなる。
エネルギーに溢れていて、力強くて、そして美味しい。
メリューナの心は歓喜に沸き、また満たされていった。いきものとしての、栄養を取れる充足感が身を満たす。
触れているくちびるは少しずつ角度を変えられる。まるで小鳥がついばむようなものだ。ちゅ、ちゅっと小さな音が立った。
それは不快なものではなかったので、メリューナはされるがままになる。むしろ心地良いくらいであった。そのぶん入ってくるものが、増えているのか、スムーズになっているのかは定かではなかったが。
ぐんぐん精気はメリューナの中に入ってきて、そしてだいぶ満たされた頃に、離された。メリューナは今、誘惑、つまり演技としてではなく、ぽぅっとしてしまった。
美味しかった。
おまけに満たされた。
お腹がいっぱいどころか、満たされすぎて苦しいくらいであった。ほぅ、とため息が出る。
「また腹がいっぱいだという顔をする」
グライフに笑われてしまった。が、今のものは初めて精気を与えてもらったときのものとは少し違っている気がする。
「しかし、前回よりはずっといい顔じゃないか」
その通りのことを言われた。メリューナはまた、ありがとうございます、と言おうかと思ったが、やはり不適切だろうと思って飲み込んだ。これはあとで……そう、この充足感が少し引いて落ちついて、また、ベッドの上のこの体勢も解いてから言えばいいのだ。
「男を煽る表情だな。なにも知らぬくせに、これはなかなか上手い」
再び頬が撫でられた。メリューナは返す言葉もよくわからないので、ただされるがままになっていた。
先程のくちづけ。とても満たされる、美味しいものだった。
しかし今度のものは、前回のものと少し違っていた、とメリューナは思う。感じられるものが違ったのだ。
はっきり明言できるものとしては、あたたかさ。前回は感じていたかもしれないが、明確でなかったのだろうか。特に印象に残ってはいなかった。
が、今はなんだかあたたかさ、体温のためか。それをはっきり感じる。そしてそれを心地良かったと感じたのである。
心地良いとは感じたけれど……メリューナはその『心地良さ』がどこからきているのかは、いまいちわからなかった。
ただ、今はあまり重要なことではなさそうだった。それより、するっとグライフの手が動いたこと、つまり今、直面している状況のほうが重要で。
「あ……っ?」
胸の上を手が滑る。豊満な胸の上を撫でられた。
また、とメリューナは思う。前回もここに触れられていたので。
精気を得る方法は、くちづけだけではないらしい。そして、それは肉体になにか施すことらしい。
そういうことくらいは理解していた。具体的な方法についての知識は入ることがなかったが。
「本当に、男を煽るのに効果的な体だな。いい感触だ」
むに、と掴まれる。その感触に顔をしかめたメリューナであったが、すぐに目を丸くしてしまった。
掴んできた手が動いて、ふにふにと揉まれたので。そしてその感触は大変刺激的だった。体の奥が、ぞくっとする。
「ふぁ……っ」
今は演技ではなく声が出た。そしてそのことはグライフを驚かせたようだが、もっと驚いたのはメリューナ本人であった。思わず口を押さえていた。
なんでしょう。なんで勝手に声が。
目を白黒させてしまう。
グライフも多少驚いたらしい。目が数秒、丸くなった。
「……感じるのか?」
言われて、確かめるようにもう一度揉まれる。また同じ感覚がメリューナの身に生まれた。今度は不意打ちでなかったので、勝手に声は出なかったが。
ただ、体の奥が震えるのは同じだった。ぞくりとした、なにかが這い上がってくるようだ。
しかしグライフの質問はわからない。感じる、とは。
確かに『感触』は感じる。手の感触、そしてそれに触れられたという事実。けれどそういうことではなさそうだ。触れられて感触を感じる、など当たり前すぎることなので、これほど不思議そうに言われるはずがないだろう。
「か、感じる、とは」
やっと言った。メリューナのその質問は、グライフに切って捨てられることも、呆れられることもなかった。
「こうすると」
また、ふにふにと触られる。やはり確かめるように。メリューナは眉根を寄せた。不快感にではなく、むしろ逆だ。
この違和感は、心地いいか悪いかと聞かれたら、はっきりとはしていないが、心地良いほうに分類されるだろうと思ったゆえに。
「体になにか、心地良い感触はするか」
そのとおりのことをグライフは質問してきたので、メリューナは大人しく頷いた。
「は、はい……なにか……よくわからないですが、気持ち悪くは……ない、です」
「……そうか」
メリューナの答えは正解だったらしい。グライフは口角を上げた。
それは笑みの形ではあったが、なにか、今まで見たことのない色を帯びている。メリューナの体の内が震えた。
ただ、今のものは、胸に触られ揉まれたときの震えと少し違うように感じられた。まだまだ『ひよこ』であるメリューナには『なにか違う』くらいにしか認識できなかったが。
不意にグライフが体を起こした。しかし起き上がるのではなく、メリューナの服に手をかける。ワンピースのボタンへと。
今日着ていたのはワンピース、部屋着なのでゆったりとしたもの。それは胸元がボタンになっていた。大人しい深いグリーンの、膝丈のものだ。これもグライフに与えられたものだが、それはともかく。
ぷちぷちとボタンを開けられて、メリューナはそれを見守るしかなかった。
また服を脱がせようとされている。拒む理由もなかったが。これは精気を得られる行為らしい、ので。
それなら拒むどころか、しっかり理解して、『教えて』もらったほうがいい。メリューナはそうも思った。
前を開けられて、胸元が晒された。白い下着が覗く。
それを見て、だろう。グライフが喉を鳴らすのが聞こえた。メリューナは驚いてしまう。
なにか、ご馳走を前にしたような反応だ。しかし、上品ではない。そんなことを、このひとがするとは思わなかったのだ。
実際、メリューナは彼にとって『ご馳走』であるといえないこともなかったのだが、それがどういう意味なのか、メリューナは知る由もない。ただ、この先がまるでわからないので、なにも動けずじっとしているしかなかった。
「これは……寮支給のものか」
言われたことが、下着を指していることくらいは流石にわかった。確かに、グライフにはワンピースを与えられたけれど、下着は与えられていない。
そして下着は自動的に湧いてくるようなものではないのであって。人間の振りをするならば、人間のものを手に入れる必要があった。
「え、ええ……」
端的に答える。
それについてもメリューナは頭を使っていた。一応、貴族の娘ということになっているので、服のひとつも持たずに来たなどとは怪しすぎるだろう。
なので、言い訳を考えた。
「メイドとしてお仕えするのに、普段おうちで着ているお洋服が不適切かもしれないと、お父様に言われまして……こちらで手に入れなさい、と」
上手い言い訳かはわからなかったので、ちょっと恐れつつ言ったのだが、特に不正解ではなかったらしい。
「そうなのね、それならメイド達がお洋服を注文するシステムがあるわ。カタログを見て注文するのだけどね……、なにが必要かしら」
先輩メイドにそのように教えられて、メリューナは首尾よく必要なものを手に入れたのである。主に下着や靴下、タイツなどといった、人間の女性の着る普通の服や小物を、だ。
このような経緯で手に入れたもののひとつがこの、白の下着であるというわけ。
白の下着など着るのはこれまで生きてきて、初めてであった。サキュバスとしては、身にまとうものは黒が基本であるゆえに。
黒しか着ないわけではない。色のついた服も着る。
しかしそれも、ダークな色のみであった。暗い紫、紺、そのようなもの。それが何故なのかはあまり考えたことのないメリューナであったが、それゆえに、与えられた『カタログ』で見たとき気になってしまったのだ。
白やピンクをベースに、フリルやレースがついている下着は、大変かわいらしかった。
黒など、魔界で着ていたようなものもあったけれど、せっかく人間の振りをしているのだ。これから着る機会のないようなものを選んでもいいでしょう。そう思って、メリューナはそういうものを選んでいた。
「サキュバスにしては、随分ピュアな下着だな」
ふっと空気が変わる。グライフは元の、ちょっと皮肉な笑みを浮かべて、そのようなことも言った。
「そう、ですか?」
ピュアという言葉の意味はわかっていても、今、ここでそう評されるのはよくわからないので、メリューナは、そう言うしかない。
「ああ。……まぁ、お前にはふさわしいか。なにしろひよこだからな」
ふさわしい、と言われても、そのあと『ひよこ』と、ついている。全面的に褒め言葉ではないだろう。ありがとうございます、は違うような気がして、言うのはやめておいた。
「お前の用は済んだろうがな、せっかくだ。少し先を教えてやろう」
「……先?」
言われたことに、メリューナは不思議に思ってしまう。が、すぐに理解した。精気を得る方法のことだ。
知らない領域へ進められる。どきどきとしてきた。それを知識として得られるのは歓迎であるし、むしろ有難いことだが、いざ直面した緊張はどうしようもない。
「ああ。男はここ、胸を触るのが好きなのだ」
今度は下着の上から掴まれる。力をそれほど入れられていないので、痛くはなかった。
「……そう、なのですか」
初めて知った、とメリューナは思う。けれど、すぐに理解した。
サキュバスは豊満な体型をした者が多い。それはそういうものとして、メリューナにとっては特に疑問を覚えるところではなかったのだけど、今、その理由を理解したのだ。
男性はここを触るのが好きなのだという。そしてそれは多分、今、グライフがしているように、掴んだり揉んだりということが好きなのだろう。
それなら大きいほうがいいに決まっている。つまり、ここも男を煽るためというわけだ。自分の体が機能的に作られていたことに、場違いながら、感嘆してしまったメリューナであった。
「男にはないからな」
「そうですね」
それはそのとおりなので、メリューナは端的に肯定しておいた。
自分にないから、憧れやなにかなのかしら。そのように思っておく。
「脱がせるぞ」
言われて、メリューナの胸の奥がぞくりとした。すぐにグライフの手がメリューナの背中に回る。ぷちっと小さな衝撃がして、下着を留めていたホックが外されたのを感じた。
メリューナの豊満な胸は、支えを失って素直に晒される。流石に羞恥がメリューナを襲った。
いったいなにをするのか理解していないとしても、裸体を晒すのだ、そういう羞恥はある。
「いいな、そういう顔をしておけ」
そういう、ってどういう顔かしら。
今はわからなかった。ただ、居心地が悪くて、普段晒さないところを晒しているのを恥ずかしく思う。
そこからはふわふわとしていた。胸に触れ、刺激されるたびに身の奥に甘いものが感じられる。
グライフの手が一通り触れ終わったときには、メリューナは、くたりとしてしまっていた。
どのくらいこの『教授』は、おこなわれていたのか。
気付けば窓の外はほとんど暗くなっていた。
「さ、俺はそろそろ帰るか」
言ったグライフは既にベッドから降り、身づくろいをしていた。服を脱いだわけではないので大きく乱れているわけではないが、メリューナが服を握ったりしたので、多少はよれたりしている。
「はい。……ありがとうございました」
ベッドの端に腰かけて、メリューナはぺこりとお辞儀をした。
精気を恵んでもらった。生き長らえさせてもらったのと同じである。
死んでしまうのかと不安であったのも救ってもらった。また恩が増えてしまった。
「明日はちゃんと働けよ」
それだけ言って、グライフは出ていった。
それを送って、メリューナは一人の部屋に残される。しかし、しばらくぼうっとしていた。
ここまでの一時間ほどで、色々なことがありすぎたので。
美味しい精気を貰えた。満たされた。ついでにサキュバスとしてのことも少し教えてもらった。得るものだらけであったといえる。
しかし。
メリューナは思った。根本的にはなにも変わっていないのだ。ただ、直面していた一時の窮地を救われたにすぎない。
私はこのまま、魔力も戻らず帰れないまま、グライフ様に精気を分けてもらって、人間の振りをし続けるしかないのかしら。
メリューナは、改めて途方に暮れた。
しかし、精気を得たこと自体はともかく、それに伴うあれそれはメリューナを疲弊させていた。少し休みたいと思う。
よって、ベッドに横たわった。目をつぶる。メリューナはすぐに眠ってしまった。
……『眠ってしまった』、のである。まるで人間のように、意識を不透明にして。
これはサキュバスとして既に異常なことであったのだが、メリューナ本人がそれに気付くのは、何時間もあと。暗かった窓の外が光で満ちる時間。そこで起き上がって、ぼんやりとした意識で、まず、首をかしげたのであった。




