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私のお姫様(♂)

作者: なすび

 月宮行斗つきみやゆきと君が、誰も見ていないタイミングを見計らって給食のコッペパンを机の中にねじ込んでいた。

 行斗君は誰にも見られていないと思い込んで、自然な振る舞いで給食のアジフライをお口に運んでいるけれど、この四年一組でただ一人、私は確かに見てしまった。

 どうして行斗君はコッペパンを隠したんだろう? 嫌いなものだったのだろうか? だとしても、コッペパンが嫌いな人なんてこの世にいるのだろうか? コッペパンはいわば主食である白米と同じポジションであるからして、特別好きな人はいなくとも、嫌いな人もいないと私は思う。

 それに今日は皆大好きマーガリンとイチゴジャムがついている。コッペパンを隠す理由は見つからない。食べたくないのなら残せばいいのに……。


雨音あまねちゃん? どうしたの? お口開けっ放しで……?」


 私が不思議そうに行斗君のことを見ていると、隣の席の奈々ちゃんが心配そうに私の顔を覗き込んでいたので、「ううん、なんでもないよ。流れている音楽に夢中だったの」と答えた。


「そうなんだ! 私も『MNK48』好きだよ! この前もMステに出てたもんね!」


 奈々ちゃんは嬉しそうに答える。

 どうやら私が行斗君のことを見ていたことまではバレていないようだ。

 その後も奈々ちゃんは「雨音ちゃんならMNK入れるよ! 可愛いもん!」とキャッキャと私に話しかけてきて「えー、そんなことないよー、奈々ちゃんも可愛いよー」と女の子らしい会話を続けた。

 まぁ、私が一番可愛いんだけどさ。


***


「ねぇ行斗君、一緒に帰ろうよ」


「……っ!?」


「なんでそんなビックリしてるの? 私だよ。同じクラスの聖木雨音ひじりぎあまねだよ」


 ——放課後

 私はそれからずっと行斗君のことが気になって仕方がなかった。

 行斗君はいつも一人で、図書館で借りた本を読んでいて休み時間も友達と遊ばず、放課後になると一人でそそくさと帰ってしまう変わった子だった。

 背が小さくて、男の子なのに女の子みたいに可愛い顔をしていて、放っておくと雪みたいに溶けていなくなってしまう、そんな儚げな男の子だった。


 行斗君は私に声をかけられ、ビクリと震えると、青白いお人形みたいな顔を私に向けた。

 給食後も私は行斗君を監視して、行斗君が机の中にねじ込んだコッペパンを、ランドセルの中に入れていたのを私は見た。


「どうしてコッペパンを持って帰るの? 嫌いなら、残せばいいじゃん」


「……え、えっと」


 彼は困ったように、黒目がちな瞳をきょろりきょろりと泳がせる。

 別に怒っている訳ではないのだが、イタズラがお母さんにバレた時みたいな反応をする行斗君。


「ねぇ、教えてよ。もしかして野良猫にあげるの? だとしたら私にも見せて!」


「……違う」


「じゃあどうして!?」


 私はそれが気になって気になって仕方がなかった。

 ズンと一歩踏み出し行斗君の顔の前に私の顔を近づけると、行斗君は「ひゃんっ!」と飛び上がって一歩下がった。

 私は「どうして!? どうしてどうしてどうして!? どうしてなの!?!?」と何度も何度も詰め寄ると、


「よ、夜ご飯に……食べるの……」


 と白状した。


「なんで? 夜ご飯はお母さんが作ってくれるでしょ?」


 私は行斗君がしょうもない嘘をついていると思い、更に詰め寄った。


「ぼく……お母さん……いない……」


「……え?」


 行斗君は女の子みたいな声で答える。綺麗な声だった。

 行斗君にはお母さんがいなくて、お父さんと二人で暮らしていて、お父さんはご飯を作ってくれないから、給食の中で比較的持ち帰りやすいものをこっそりランドセルの中に隠している——ってことをたどたどしく教えてくれた。


 私はそれが理解出来なかった。

 大人は子供のためにご飯を作るのは当たり前であり、それをしてくれない大人がいるなんて思ってもいなかったからだ。

 確かに行斗君は痩せっぽちで、私でもケンカしたら簡単に勝てそうな男の子だから、もしかすると行斗君の話は嘘ではないのかもしれないと、そう思った。


 同時に私は行斗君のことを可哀想だと思った。彼は全く悪くないのに、まるでイタズラがバレないように慎重な手付きで給食を持ち帰る行斗君を見ていると、まるで捨てられた仔猫を見つけたような気分になった。

 だから私は行斗君の手を握って、私の家に持ち帰った。


 行斗君の手は小さくて、冷たくて、柔らかくて、このまま強く握ったら溶けてなくなってしまう気がしたから、私は何度も振り返って、ちゃんと行斗君が後ろにいるかどうか確認した。


 大丈夫、ちゃんといる。


***


 毎週木曜日、お母さんはお友達とお出かけするので夕方まで帰ってこないことを知っていた。だから私は堂々と行斗君を家に招き入れることが出来た。

 男の子をウチに招待するのは初めてだった。


 行斗君はボロボロで黒く汚れたスニーカーを脱いで、丁寧に向きを揃えてた。

 私も思い出したように、この前買って貰ったばかりのスニーカーの向きを整える。

 行斗君のボロボロのスニーカーを見て、きっと行斗君のお家は貧乏だから、ご飯が食べられないんだ……と可哀想に思った。


「お、大きいお家……」


「えー、そんなことないよ。ふつーだよ、多分。ほらこっち、私のお部屋に案内するよ」


「お、お邪魔します」


 再び行斗君の手を掴んで、お部屋に連れていく。

 その後キッチンへ行き、お母さんが買い込んだ惣菜パンやら菓子パンやらを適当に拝借する。

 お母さんは食べるのが大好きで、いつもパンとかお菓子とか、すぐ食べられるものを切らさないようにしている。おかげで牛さんみたいに太っている。「昔は痩せていたのよ」って昔の写真を見せてくれたことがあったが、確かに昔のお母さんは痩せていて凄い美人だった。

 だから私もきっと将来凄い美人になる。でも今のお母さんみたいにブクブク太らないように、あんまり沢山お菓子を食べないように気を付けている。でも行斗君は少しくらいお肉を付けないと、このままだと死んでしまいそうだ。


「お待たせ、これ、あげる」


「……え?」


「え? じゃないよ。あげるって言ったの。食べて!」


 ビニール包装された惣菜パンや菓子パンを行斗君に差し出す。彼は戸惑ったような顔をしたが、私が「食べるの!!」って言うと彼は怯えるようにもきゅもきゅと食べ始めた。


「美味しい?」


「うん……おいしい……」


 行斗君のお口は小っちゃくて、お母さんなら五口で食べ終わるものを十五口かけて食べた。ずっと行斗君を見つめていたので、その数字に間違いはない。


「聖木さん……ありがとう」


「苗字じゃなくて、名前で呼んで」


「名前……?」


「そう。雨音」


「あ、雨音……ちゃん……」


 行斗君は青白い頬をほんのりと赤くして、私の名前を言った。

 胸がドキンとして、もっと名前を呼んで欲しくなった。


 行斗君は正座を崩したような、女の子みたいな座り方をしていて、顔も可愛いから男の子にも見えるし、女の子にも見えた。そんな行斗君の服はヨレヨレのシャツとボロボロのズボンで、もっとちゃんとした服を着れば、もっともっと可愛くなると思った。


 私は可哀想な行斗君に優しくする足長オジサンになった気持ちで、もっともっと行斗君を幸せにしたいと思った。

 私はクローゼットを開け、そこからシャツとワンピースとスカートと靴下、あと髪飾りを取り出す。


「行斗君! これ着て!」


「これ……女の子の服……」


「そりゃそうだよ。私が男の子の服を持ってる訳ないじゃん。でも行斗君は可愛いから、女の子の服を着ても似合うと思うよ」


「は、恥ずかしいよ……」


「つべこべ言わない! パンあげたでしょ!!」


 そう言うと行斗君は「はいっ!」と怯えるように立ち上がった。

 行斗君に大声で話しかけると、なんだか心の中の空が急激に晴れ渡るような清々しい気分になる。

 行斗君は恥ずかしそうにしながら、私の前で服を脱いだ。真っ白で細い手足、薄くあばらの浮き出たお腹、ぷりんとしたお尻。私はなんだか凄い興奮して、どんでもなくスケベな女子だったんだと初めて自覚した。

 楽しい……男の子に女の子の恰好させるの……楽しい!


「可愛い! 私の次に!」


「や、やだ……見ないで……」


 女の子の恰好をした行斗君はめちゃくちゃ可愛かった。

 まるでお姫様みたいであると同時に、男の子なのに女の子の恰好をしている恥ずかしさで顔を真っ赤にしているのも可愛かったし、初めてお洒落をするおのぼりさんみたいな、初々しく垢抜けない、どうすればいいのか分からなくてモジモジとしている様が私の鼻息を荒くさせた。

 最初は可哀想な行斗君のために服を着せてあげたいと思っていたのに、今では私が楽しむために行斗君に色んな服を着て欲しいと思っていた。


「うぅ……雨音ちゃん……もう、脱いでいい?」


 スカートから下着へと入り込む空気をどう受け入れればいいのか分からなそうに、スカートを押さえてクネクネとして、大きな瞳に涙を浮かべながら私に助けを求めるように見つめている行斗君。


「……ダメ。脱いじゃダメ……行斗君は、このまま……ずっと、私の……」


 私の行斗君の目の前へ進み、彼の耳の下……アゴの付け根辺りに指先を当てながら、頬を包み込んだ。モチモチとした柔らかいほっぺたが私の両手に沈み込み、首を固定されて逃げ場のない行斗君の大きな瞳が怯えるように私を見つめていた。

 敏感な首を掴まれたのが原因か、行斗君はゾクゾクと身震いして、ガクガクと膝を震わせて、今にもその場に崩れ落ちそうだったが、私は力強く顔を手で固定した。


「ダメ……絶対、離さない……」


 見つけた。私のお姫様。

 人形遊びは、小四になっても止められないんだよね、これが……。


***


 行斗ゆきと君が給食のコッペパンをこっそりと隠したその日から、私と行斗君のそういうカンケイが始まった。

 私は行斗君に食べ物をあげて、行斗君は女の子の恰好をする。


「ユキちゃん……今日も可愛いね……♪」


「…………」


「これなら絶対に、男の子だってバレないよ……♪」


 初めて行斗君をウチに連れていった日、お土産にたんまりとパンを持たせて、これからもパンをあげるから、毎週木曜日はウチに来ること、という約束をした。

 木曜日でなくとも、私は朝学校へ行く前に、キッチンからスーパーマーケットで買える惣菜パンを一つ拝借してランドセルに隠し、放課後行斗君にこっそり渡している。


「雨音ちゃん……やっぱり無理だよ……恥ずかしいよ……」


「うるさい! 私が大丈夫って言ったら大丈夫なの!」


「う、うう……」


 でも今日は違った。

 今日は月曜日。学校から帰宅すれば家でお母さんがお菓子を作って待っている日だ。

 私は今日、行斗君を学校の友達だとお母さんに紹介するつもりだ。

 そんな行斗君は現在スカートを穿いている。そう、お母さんには女の子だって紹介するのだ。

 だって私が男の子をウチに連れてきたら、お母さんはお父さんに言いふらして、「へへへ……ついに雨音にも彼氏が出来たか……めでたいなぁ」とはやし立てるだろうから。

 ま、まぁ……別に彼氏だって思われても全然問題ないんだけども、それよりもスカートを穿いた行斗君をお母さんに紹介して、お母さんが行斗君が女の子であることを全く疑わなずに歓迎する姿を想像すると、酷く滑稽であり、そんな面白可笑しい光景を見たいがためであった。


 そんな訳で友達の奈々ちゃんから服を借り、途中の公園のトイレで行斗君に着替えて貰った。

 女の子の恰好をするのは馴れてきた行斗君でも、女の子の恰好をして外に出るのは初めてのことなので、行斗君はビクビクと怯えながら、私のシャツをきゅっと掴んで震えていた。

 そして通行人とスレ違うたびに飛び上がるように驚いて、顔をうつむけるのだ。その度に私は行斗君の耳に口を近づけ、「大丈夫、バレてないよ……」と囁いて安心させてあげるのだ。

 途中でクラスメイトの子と遭遇すればとても愉快なことになったと思っていたのだが、残念ながら(行斗君からすれば幸いなことに)そういったエンカウントには恵まれなかった。


「いい? 今日君は月宮行斗ではなく、月宮ユキちゃんだからね!」


 行斗君は雪みたいに触れたら溶けてなくなってしまいそうな雰囲気なので、ユキちゃんという名前はとてもしっくりした。

 案の上お母さんは、行斗君のことを「可愛らしいお友達ねぇ」と歓迎して、私は笑いを堪えるのが大変だった。


 お母さんは私達のためにカップケーキを焼いてくれて、紅茶と一緒にお部屋に届けてくれた。

 そのカップケーキを全て行斗君に食べさせたあと、クローゼットの一番奥にしまってあるドレスを取り出した。

 おとぎ話のお姫様が着るような可愛らしいドレスで、これはお婆ちゃんが買ってくれたものだ。

 お母さんは「こんな服どこで着るのよ……社交パーティにでも行くの?」と呆れていたし、私もそう思った。でもお婆ちゃんはそのドレスを着た私を見て「うんうん……うんうん」と満足そうに頷いていたので、お婆ちゃんが幸せそうなら私も良しとした。

 そんな経歴があり、ずっとクローゼットの中にしまっておいたとっておきの一着を、行斗君に着てもらった。

 行斗君は既にもう私に従順で、大人しく、諦めたような顔で私の言うことを聞いてくれる。


「うわぁ……可愛い……」


 あまりの可愛さに、危うく私よりも可愛いのでないかと思ってしまう所だった。

 大丈夫。まだ私の方が可愛い。私もこのドレスを着れば行斗君よりも可愛くなるから、負けてない。


 私はもう胸のドキドキを抑えきれず、行斗君をベッドに押し倒した。


「あ、雨音ちゃん……?」


 行斗君の細い二の腕を掴み、ベッドに押し倒せば、非力なお姫様はもう抵抗出来ない。

 私は自分が男の子になったみたいで、可愛い女の子に襲い掛かるスケベな小学生だった。


 行斗君の小さな唇に、私の唇を重ねると、甘い味がした。

 お母さんが焼いてくれたカップケーキのバターとミルクの味、そして行斗君の体が発している匂いが混ざったものだと推測した。


 私はずっとこうやって、行斗君を押し倒してキスをする妄想を夜寝る前にベッドの中でしていた。


「あ、雨音ちゃん……怖いよ……止めてよ……」


「止めない……絶対……私も怖い……でも、怖いからこそ……緊張するからこそ……楽しくならない? このドキドキが、私達に生きているって実感を与えてくれると思わない?」


「そんなこと分からないよ……」


 私は言うことを聞かない行斗君の唇を、私の唇で無理やり黙らせた。

 バターとミルクと行斗君の味をもっともっと感じ取りたくて、今度は行斗君のお口の中に舌を入れてかき混ぜた。

 舌を舌で舐め取り、歯茎をなぞってカップケーキの残りかすをこそぎ落そうと必死になっていた。これはもうキスではなく、ひな鳥が親鳥の口の中にあるエサを懸命についばむそれと同じだったが、私は一心不乱に行斗君のお口の中をめちゃくちゃにした。


「はぁはぁ……」


「んぁ……や、やらぁ……」


 私のお人形の顔はベッドに沈んでトロトロに惚けており、男の子の癖に私と同じくらい可愛いなんて生意気だ、と理不尽に行斗君を叱り付けて、あごの付け根に指を添えて顔面を両手で挟み込む。


 おへその下の辺りがジンジンして、熱くて、行斗君が好きって気持ちがおしっこする穴から零れそうな感覚になった。それは初めての経験だったけど、それを気にすることよりも、行斗君の顔を弄ったり、髪の毛を梳いたり、お口の中をめちゃくちゃにすることの方がはるかに重要だった。

 こうやって抱きしめ続けると、行斗君は溶けてなくなってしまいそうだったけれど、溶けた液体を少しでも体内に取り入れようとすることに私は全力を出していた。


 私はとても酷い子だ。

 気弱な男の子を虐めて、嫌がることを無理やりさせて、弱味に付け込んで言いなりにさせている。それは虐めっ子と同じだ。

 私は暴力を振るう代わりにキスをして、体操着を隠す代わりにスカートを穿かせている。


 私は行斗君のことが大好きだけど、きっと行斗君は私のことを恨んでいる。

 でもそれで構わない。私は菓子パンを頬張って幸せそうな顔をする行斗君よりも、女の子の恰好をさせられて怯える行斗君の方が魅力的に見える。

 嫌われようと恨まれようと、行斗君が可愛いことに変わりはなく、行斗君は私を拒絶することが出来ないことさえ分かっていれば十分だ。


「ユキちゃんの顔、凄くエッチになってるよ……」


「そんなこと……言わないで……」


「興奮してるんでしょ? 女の子の恰好して」


「そ、そんなこと……」


「してるんでしょ!」


 してるって言え! 何度目になるか分からないキスをする。

 バターとミルクの味はしなくなったが、それでも行斗君の口の中は、甘い甘い味がして、蕩けてあごの筋肉がふにゃふにゃになってしまいそうだった。


 甘露!!


***


 ——楽しい楽しい夏休みがやってきた。


 テラテラと日差しが降り注ぎ、隣を歩いている行斗君のこめかみから、一筋の汗が流れる。

 行斗君の白いお肌を焼くのは人類にとって大きな損失であることを理解している私は、お小遣いで日焼け止めを購入して行斗君にプレゼントした。「もし夏休み終わって日焼けしてたら、オシオキだからね? 泣いても許さないからね」と脅すと、コクコクと細い首が折れそうなくらいに首を振る行斗君が愛おしく、思わずその場で行斗君の顔面を掴んで日焼け止めを塗りたくってしまった。次からは自分で塗るんだよ?

 まるでお餅をこねているみたいで気持ちよかった。


「ねぇ、雨音ちゃん……本当に……来るの?」


「うん! 楽しみだなぁ、行斗君のお家っ!」


「や、やっぱ止めない……?」


「止めない! 絶対に行くの!!」


 夏休み中も、私は行斗君と(行斗君で)遊ぶ気満々だった。

 だから終業式を終えた今日、行斗君のお家の電話番号を聞こうとしたのだけれど、行斗君のお家には電話がなくて、お父さんのスマートフォンしかないんだとか。

 だからと言って行斗君と毎回「次は○日の○時の○○公園で待ち合わせね!」と約束しようにも、万が一どちらかが急な用事で来れなければ、学校が休みであるため以降連絡を一切取ることが出来ない。

 なので私は行斗君のお家の場所を把握しておく必要があった。

 行斗君は私から貰える食料がないと、給食のない夏休みにどうやって生きて行くのか分からないけれど、行斗君は絶対私のことが嫌いなので、「女の子の恰好させられて、無理やりキスされるくらいなら飢える所存だよ!」などと思われたら困るので、その時は私の方から行斗君のお家へ突撃する算段である。


「ぼくのウチ、狭いし、汚いし……それにお父さんに雨音ちゃんのこと、知られないようにしないと……」


 行斗君は私を招き入れるのを物凄い渋っていた。

 けれども私は行斗君が普段どんな所で生活しているのか凄い気になった。


「うるさい! いいから案内するの!」


「……う、うう……分かった」


 行斗君のお父さんは、今日は朝からパチンコに行っているとのことで(平日なのに? 仕事は?)午前中で終業式が終わってからそのまま行斗君のお家へ直行中。

 私は学校からの道を忘れないように、しっかりと頭の中の地図に記録していく。

 そうして着いた行斗君のお家は……凄いボロかった。


「こ、ここかぁ……凄いなぁ……うん、凄いなぁ……」


「あの、普通に汚いって言っていいよ……?」


 行斗君に気を使わせてしまった。

 酷く汚いアパートだった。私が生まれる前……いいや、お父さんが生まれる前からあるのではないかと思われる年季の入ったアパートで、次に大きな地震がきたら行斗君は崩れた屋根に潰されて死んでしまうのではないかと不安になった。


 行斗君のお部屋は二階にあるようで、赤錆がこびり付いて、登る度にカンカンカンと響く崩れかけた階段を登る。一応手すりがあったけれど、それも錆びまみれだったので、それを触ろうという気は起きなかった。


 行斗君はランドセルから鍵を取り出そうとしゃがみ込む。そんな後ろ姿が隙だらけだったので、耳たぶをきゅっと摘まむと、「きゃっ!?」と悲鳴をあげてくれた。


「ごめんごめん、でもさ、行斗君が可愛いのがいけないんだよ? ちゃんと反省して」


「え……何を反省すれば……」


 行斗君は困ったように細く形の良い眉を下げながらも、鍵を取り出して玄関の戸を開けた。


「う……きったない……」


 思わず思ったことを正直に言ってしまった。

 まるで台所のゴミ箱をひっくり返したかのようなお部屋で、ゴミの袋やお酒の空き缶や脱ぎ散らかした服とかがいっしょくたにミックスされていて、カーテンは開いているにも関わらず薄暗い印象を与えるお部屋だった。


 お部屋の広さも、玄関のすぐ先が台所になっていて、あとは押し入れとお風呂とトイレのドアしかなかった。多分、このお部屋はご飯を作る所と、食べる所と、寝る所が全部一緒なんだ。

 お部屋の隅にはお布団が敷いたままになっていて、ここで寝ているんだろうと予想をしたが、お布団は一枚しかなかった。


「行斗君はここで寝てるの?」


「ううん……ぼくは、こっち」


 行斗君はお布団のあるスペースから逆の壁側にある薄くて穴の空いたタオルケットを指さした。


「あ、ありえない……」


 私のお部屋とほぼ同じくらいの広さしかない、大きなゴミ箱の底みたいな空間が、行斗君のお家全てだった。

 行斗君は毎日、色んな汚れが染み込んだ畳の上で、薄いタオルケット一枚だけ被って眠り、学校に行って、給食を先生やクラスメイトに見つからないようにランドセルに隠し、テーブルもない空間で、味も分からなそうな汚いお部屋で持ち帰った給食を食べていたの……?


「……っ!?」


 私がカルチャーショックで戦慄を覚えていた時、外からカンカンカンという音がする。

 きっとアパートの階段を誰かが登っているのだろう。


「この足音……雨音ちゃんっ!」


「え、えっ!?」


 行斗君は足音に即座に反応を示すと、今まで見せたことのない強引な手付きで私を掴むと、お布団の上に押し倒し、私の体に掛布団を被せた。

 タバコとお酒、あとお父さんの匂いを数倍濃くして凝縮したような、息が詰まりそうな匂いが鼻孔を刺激する。

 それと同時に玄関が開く。私は布団の中で丸まりながら、隙間から外を見ていた。

 行斗君のお父さんが帰ってきたの?


「お、おかえりなさい、お父さん……」


 行斗君は震える声音で行斗君のお父さんを呼ぶ。

 行斗君のお父さんは、ひょろりとした行斗君とは対照的にぽっちゃりとした人で、どうして太れるだけのご飯を毎日食べているのに、行斗君にはご飯を食べさせてあげないんだろう? と文句を言いたくなった。


「あ? もう帰ってたのか?」


「きょ、今日……終業式だったから。お父さんも、早いね……いつも……もっと遅かったけど」


「うるせぇな! 俺がいつ帰ってこようが関係ねぇだろ!」


「ごっ、ごめんなさい……」


 行斗君のお父さんは、行斗君に怒鳴ると、ボロボロのアパート全体が怯えるように振動した。行斗君のお父さんが怖い人だってことは、すぐに分かった。「初めまして、行斗君の友達の聖木雨音ひじりぎあまねです。お邪魔してます」なんてご丁寧な挨拶をしても無駄だと悟り、行斗君が私を家に呼びたくない理由が分かった。


「お父さん……あの、一緒に、お散歩いかない?」


「おめぇ何言ってんだ? なめてんのか!?」


「ち、ちがっ……」


「なめてんのかと聞いているんだ!」


 ——ガッ!


 一瞬何が起こったのか分からなかったが、数秒頭の中を整理した結果、行斗君がお父さんに蹴り飛ばされたのが分かった。行斗君はゴミの落ちている畳の上に倒れ込み、お父さんはそんな行斗君を更に蹴り上げた。

 短パンから伸びる、太く、毛むくじゃらな足が行斗君を何度も何度も蹴り上げて、その度に行斗君は「ごっ、ごめんなさいっ! ごめんなさい! ごめんなさい!」と謝った。何について謝っているのか皆目見当が付かなかったが、行斗君はそうしなければ永遠に蹴り続けられることを経験上知っているかのように、何度も何度も謝った。

 私なら痛くて痛くて大声で泣き出しそうだけれど、行斗君は泣かず、ただただ同じ言葉を繰り返していた。


 どのくらい経ったのか分からないけれど、しばらくすると行斗君のお父さんは満足したように行斗君から離れ、トイレへと続く扉に消えていった。

 その隙に私は布団から飛び出すと、お気に入りのスニーカーの踵を踏み潰すようにひっかけて、アパートの階段をカンカンカンと響かせながら、そこから逃げ出した。


 ボロボロの行斗君に、何も言葉をかけることなく、一人で逃げ出した。


***


 どうやって家に帰ったのか殆ど覚えていないし、なんならその記憶を消してしまいたいほどだった。覚えているのは、少なくとも私は二回転んで肘と膝を擦りむいて、行斗君のお父さんが私を追いかけているのではないかと思って数えきれないくらい振り返りながら走ったことだけだった。

 家に帰ると私はただいまも言わず、潰れたスニーカーを投げ捨てるように脱ぎ、自分の部屋に駆け込んで、手を洗うこともせずベッドに飛び込み布団を頭から被った。


「……ごめんなさい」


 行斗君が何度も何度もお父さんに言っていた言葉が、私の口から零れる。

 お母さんが今日洗濯してくれたであろうお布団は、柔軟剤とお日様の匂いがして温かかったが、それでも目を瞑ると行斗君のお家の、タバコとお酒とお父さんの匂いを数倍にして凝縮したような匂いが蘇りそうで、私はずっとガタガタ怯えていた。


 世の中にはあんな人がいるだなんて、全く考えたこともなかった。

 大人の人っていうのは、子供がお行儀よくしていれば笑顔で受け入れてくれて、無条件で優しくしてくれる存在だと思っていたけれど、行斗君のお父さんは酷く理不尽で、どうして行斗君が何度も何度も蹴りつけられていたのか、どうして行斗君がそれを日常の一部のように受け入れていたのか、私にはいくら考えても分からなかった。ただ、行斗君のお父さんは酷く機嫌が悪く、行斗君は鬱憤を晴らす為の装置でしかないような扱いを受けていたのではないかという、そんな結論を私は出した。


「……行斗君に、会いたいよ」


 そう、私が行斗君のことをお人形さんとして見ていて、私のスケベな心を受け止めてくれる装置としか見ていなかったように。


 けれど私は行斗君を見捨てた。行斗君は私を匿ってくれたのに、私は行斗君のことを一切考えず、最短距離で行斗君のアパートから逃げ出した。

 きっと私はもう行斗君に会う資格などもうなくて……いいや、違う、怖いんだ。会うのが。

 あんなに覚えようと必死になっていた行斗君のお家の道のりは、私は忘れたくて必死だったし、多分それを忘れることはないし、そして可能な限り近づくこともない。

 夏休みに行斗君に会いにあのアパートに行くことは、絶対に、絶対にない。


 夕飯時、お母さんは「夏休みにユキちゃんは遊びに来るのかしら?」と聞いてきて、私は酷く動揺したけれど、震えを可能な限り抑えて「わ、わかんない……」と答えた。

 私は何度も何度も、お父さんに蹴られる行斗君のように謝罪の言葉を繰り返しながら、同時に女の子の恰好をした行斗君を抱きしめたくて、エアコンの効いた部屋のベッドの中で、何度も何度も行斗君を求めた。

 私は行斗君の可愛い部分だけを傲慢にも求めていた何も知らない愚か者だけれど、行斗君のあんな姿を見た今でも、愚かしいことに行斗君の可愛い部分だけを求め続けていた。


 行斗君の男の子の癖に、女の子の私に押さえつけられると折れてしまいそうな華奢な体を抱きしめたい。握ると溶けてなくなってしまいそうな小さな手を握りたい。口ではやめてと懇願するも、顔をトロトロにして惚けるキスされた後の顔を見つめたい。

 そうやって私は一方的に、行斗君の綺麗な部分のみを求め続けた。後に知る、酷く歪んだ性の目覚め。


 ——夏休みが明ける。

 行斗君と夏休みの間に会うことは一度もなかった。

 そして、二学期になっても行斗君は学校に来なかった。

 先生はただ、夏休みの間に月宮行斗君はお家の都合で転校しましたとだけ言った。

 私のお姫様は、こうして私の前から姿を消してしまった。


 夏休みの間、お腹を空かせてないだろうか? どんな言葉をかけようか? どうすれば許してくれるのだろうか? そんなことを考えていたというのに……。


「雨音ちゃん? 泣いてるの?」


 隣の席の奈々ちゃんが、オロオロとしながら聞いてくる。

 家族で海外旅行に行ってきたという奈々ちゃんの肌は、ずっと部屋に閉じこもっていた私と違いこんがり小麦色に焼けていて、行斗君は私があげた日焼け止めをちゃんと使ってくれているのか気になった。


「……泣いてない」


 泣いていた。


***


 小学校を卒業した。

 中学校を卒業した。

 高校を卒業した。

 大学を卒業した。


***


 気付けば二十四歳になっていた。

 あれからというもの、私は美少年狂いになって、水商売をして銭を稼ぎながら、可愛い男の子に女の子の恰好をさせて喜ぶ異常性癖者に————なってはいなかった。

 ただ一つ言えることがあるとすれば、私はあれから一度も行斗君と会ってなかった。


「なんだかんだで、人生狂えないものなんだよなぁ」


 普通に中学へ進学し、高校に進学し、大学へ進学し、普通に就職してOLをやっていた。途中で狂えれば良かったものを、私の人生にはビックリするほど非日常へ入り込む機会が訪れず、また自分からその世界へ飛び込めるほどの勇気がなかった。


 目が覚める。いつものように顔を洗い、着替えて、朝食を食べて、化粧をし、片道二十分の会社に出勤する。

 電車に揺られながらたまに思い出す。彼はどうして急にいなくなってしまったのだろうか? と。今どこで何をしているのだろうか? と。

 行斗君のお父さんは毎日仕事をせずにパチンコばかりやっていたせいで借金を抱えており、借金のカタに行斗君が売られ、可愛い行斗君は女の子の恰好をさせられて異常性癖者のオジサンに可愛がられているんだろうか? なんて、我ながら酷く下品な想像をしていたりする。


 電車が止まる。人の流れに沿って私も降りる。出社する。今日から新入社員の研修が始まる。私も気付けば社会人二年生。部下を持つ身だ。遠い昔のお人形遊びの記憶に思いを馳せている時間はどこにもないのだ。


 ——って思っていた。

 下品なくらいあんぐりと口を開け、手に持った研修用の資料がバサバサとオフィスの床に散らばった。


 同姓同名だと思っていた。他人の空似だと思っていた。ただの幻覚だと思っていた。

 けれど彼は床ヘ散らばった資料を集めると、それを私に手渡した。手が触れる。大きくて、固くて、温かい、男の手だった。けれどそれは紛れもなく——


「行斗君……?」


「え? は、はい。そうです。月宮行斗と申します。よろしくお願いします」


 ——目の前の男の子は、緊張が抜けない顔でそう言った。


***


 そこから先は秒だった。

 新人歓迎会を乾杯のビール一杯のみで済ませて五分で切り上げた私は、持ち帰った行斗君を借りているマンションに招いた。


「まさか……本当に雨音ちゃんだったとは、思わなかった。他人の空似で、同姓同名かと思った」


 新入社員の彼は正真正銘、私のお姫様、月宮行斗君だった。

 私と彼は十数年振りの再開を喜んだ。


 そしてこの十数年何をしていたのか聞いた。

 小四の夏休みの間、行斗君のお父さんは暴力事件を起こして逮捕された。

 それがきっかけで行斗君の受けていた虐待が警察に知られ保護された。それから一年病んだ精神を治すために入院し、同じような境遇の子供達が集まる児童養護施設に預けられ、周りと一年遅れで復学した。

 必死に勉強して大学を卒業し、偶然にも私が就職した会社の新入社員としてやってきたのだった。


「こんな偶然があるんだね」


 彼は長い時間を生き、大きく成長していた。

 女の子みたいな可愛い顔は、精悍な顔つきになり、高校と大学で、新聞配達と引っ越し業者のアルバイトをしていたと語る彼の腕はたくましい筋肉に覆われていた。

 もう私の華奢な腕力でも押さえつけられる非力なお姫様はそこにいなくて、爽やかな好青年に立派に成長していた。もうあの時みたいに力づくで彼を言いなりにすることは出来なくて、逆に彼に強引に迫られれば、私はろくな抵抗も出来ずにこの体を余すことなく貪られてしまいのだろう。


「ねぇ……お人形遊びしようよ。あの時みたいに」


「もう、女の子の服が着れるような体じゃないよ」


「大丈夫」


 彼のネクタイに手をかける。ねっとりとしたキスをする。


「私がお人形になるから……だからお願い、私のお姫様……」


 私は月宮行斗という男の子が好きなのではなく、私の言うことを何でも聞いてくれて女の子の恰好をしてくれる可愛い男の子を虐めることが出来れば、きっと誰も良いのだと思っていた。だから彼と再開してこんなにも胸が焼け焦がれていることに自分でビックリした。私は可愛いお人形ではなく、行斗君のことが好きだったのだと、彼に胸を弄られながらようやく自覚した。

 そのことを正直に話す。


「ぼくもそう思っていました。あなたは可愛いぼくにしか興味が無く、いつまでこの関係を続けることが出来るのだろうかといつも怯えていました。ぼくだってその内声が低くなり、ヒゲも生えて、女の子の恰好が出来なくなる。そしたらきっとぼくは捨てられてしまうと思っていました」


 丁寧に私の体を愛撫しながら言った彼の言葉にびっくりした。

 私は行斗君のことを愛していたが、彼は食べ物さえ恵んでくれれば誰だって良かったのかと思っていたし、なんなら幼い彼の男の尊厳をめちゃくちゃにすることに興奮する私を恨んでいたと思っていた。

 だから積年の恨みを晴らすかのように——私が行斗君を人形のように扱っていたように——私のことをただ棒を通すだけの穴のように、乱暴に扱われると思っていた。

 それが私に出来る贖罪だとずっと思っていた。女の子の恰好をさせてしまった罪、あの時一人で逃げ出した罪。それを背負うために私は今まで生きていたのに。


「そんなことありません。ぼくは、あなたが思っているよりも、あなたのことが好きだったんですよ。それは、今も変わることなく」


 私はなんて答えればいいのか分からずにいると、彼の唇が私の言葉を奪う。

 彼からキスをしてきたのは、これが初めてだった。まずい、排卵する。


 バターもミルクも感じない、少しだけアルコールの味がする彼の味。

 けれどもそれは、どこまでもどこまでも底が見えることのない優しい味がした。

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