幸田露伴「きくの濱松」現代語勝手訳(8)
其 八
二十五歳は昔から男の厄年と言われる。思う女となら無理矢理交刺もしかねない二十一、二の頃とは違い、少しは分別もあるだけに、他人の意見は軽く去なして、自ら危ない深みに入るか、そうでないなら大抵は強欲から思わぬ渡世の陥穽に脚を突っ込みがちなものである。
筆屋の正太郎、歳は積もって今、二十五歳。前厄に父母を失ったので、早くも災難を取り越してか、春以降、無事安楽に暮らしてはいた。しかし、時折、早く女房を持たなければ一生の不幸せだと勧める人の言葉が耳に留まり、又、ある時は、自分から女房がいなくては不都合だと、一寸した衣類の鉤裂きにつけ、遅く帰って酒一杯に疲れを休めたいと思うにつけ、そう思わないでもなかった。その上、口達者なお桂婆に説き立てられ、しかも散々に独り者の弱みのど真ん中を言い当てられて、返す言葉もなかったので、玉山が喋り散らしたのは子どもの口から出任せだと耳を貸さず、遂に良い縁さえあるなら女房を持つのに異存はないとその場では言ったのだ。だが、婆が帰った後、考えてみれば、婚儀となると倹約してもいくらかは費用も必要で、その支度も充分だとは言い難いと思いつく。まあ、でも、談話に聞けば太閤様でも筵屏風に土盃で儀式を済ませたということだから、それはともかく、肝心の嫁にどんな者が来てくれることやら。眼が一つだったり、鼻が欠けていたなら見合いの席で分かることだけれど、根性の曲がりくねりはさておき、気味の悪い出臍さえ、衣類一枚着ていられれば見通せない話である。媒酌の口から出るのは三割、四割増しだと考えなければとは思うが、当たれば無難、当たらなければ六十年の不作。よくよく考えてみれば、骰子博奕をするよりも怖い話。堅実な頼母子講に入った方が、損得が算盤上に見えるだけ安心というものだが、どうしても人間、一生に一度は女房を持たないでは済まない上、持たなければ色々不都合もあるので、今更引っ込み思案はしないが、遠慮は損。あくまでも気に入る女が現れない限りはずっと首を横に振り続けるつもりだが、もうその上は神様任せ。南無天神様、八幡様、天照皇大神宮様、観音様、お心当たりがございますなら、容貌が好く、愛嬌があって、聡明で、正直者で、縫針ができて、料理が上手で、やって来た友達に後で褒められるような小機転が利いている、何でもかんでも一番よろしいのにぶつかるように願います、とあっちこっちに思いを馳せて無益に心を疲れさせていた。
一日、二日、三日と過ぎ、七日、八日経って、あの栽松に以前から頼まれていた刷毛が出来上がったので、西小倉の傳吉という遊び仲間を帰りに訪ねようという気持ちもあり、金仙寺へ行き、延び延びとなっていたことの詫びを入れて品物を渡したところ、又、そのついでに再び注文を受け、
「それでは、日も暮れますので又伺います、さようなら」と一礼して、栽松法師の房を出た。
廊下伝いに庫裡口を出て、門の方へと歩いて行くと、本堂の傍に小さい観音堂があって、丁度今、三十前後の一人の女が菩薩に祈願をし終わったのか、再拝をして、その前から足音も静かに帰って行くところだった。正太は何を思ったのか、女が去った後、突っと堂前に走り出て、しばし瞑目合掌した後、堂内に膝行上がり、御神籤の箱を頭に頂き、吉凶悔吝(*易経での用語。良い卦が出るかどうかくらいの意)、一か六か(*一番良いか一番悪いか)、出たとこ勝負とがちゃりがちゃり……。
つづく