幸田露伴「きくの濱松」現代語勝手訳(7)
其 七
思いがけず、横から口を入れられただけでも腹立たしいのに、それも歳は大人にもなっていない者からで、その上、悪口は我慢しがたいほどであったため、老婆は怒りに怒って、
「ええ、この小僧は何も分からないのに余計な口を叩きおって、向こうで独楽でも廻しておれ。まだ乳臭いお前等が分かることではないわ。黙ってあっちへ行ってな。お喋り婆などと大きなお世話だ。似非小賢しい猿松め。会者定離か下駄草履か知らないが、他人の言葉を何やかやと言うその暇があったら、口の端にくっつけた萩餅の餡でも取るがいい。見たくもない汚い顔をしていながら何を言うか」と、急き込んで唾液を吐き吐き叱れば、玉山は袖でもって口の端を拭き拭き、近くまで上がってきて、
「婆さん、そんなに怒らずともだ、お前は元来愚か者なんだから、顚倒ということを知るまい。憚りながら、俺様はお師匠様から聞いているのですっかりちゃんと心得ているぞ。食いたい、飲みたい、惜しい、欲しい、可愛い、憎い、損だ、得だと思って、それに従って動くのが世間の人のすることだ。可愛いから大切にする、憎いから打ち叩く、損だから止す、得だから為ると、これは一々道理に適っているようだが、可愛い、憎い、損だ、得だは一時の仮の思いなので、やがて色々変わって行く。結局残るのは自分のし出来した業力(*善業には善果を、悪業には悪果を生ずる力)だけだ。それなのにそんなことも分からずに、これではどうだ、あれではこうだと、気を揉み焦るのが顚倒というもの。そうでなくても、人間に生まれたというだけで持って来た因縁に引き廻される上、迷った揚げ句に選んだ顚倒をあくまでも本当のことと思い、泣いたり笑ったりした日には、鞠を追う猫と同じで、一生果ての有り様が無い。ナント、俺様の説法も偉いものだ。どうだ、どうだ。女房を持つというのは大顚倒の大間違い、損得づくから割り出しても婆の言うようになるものか。病気の時は看病してくれたにしろ、死ねばやっぱりさようならだ。女房を持ったとしても必ず別れることになるし、第一女は意地が悪くて、ケチで、世話焼きで、喧しくて、直に俺のことをお師匠様に告げ口したりなんかして、頭髪が臭くて、母人ぶって、高慢で、赤子なんか産みくさって、ぎゃあぎゃあと泣かせくさって、悪いことばかりがたんとある。それだからこの俺は女が町でしなくな気取りくさって歩いているのに出会うと、何時でも唾液を足の前三尺あたりのところに向かって必ずぷいと吐きかけてやる。鶏でも雌は醜い、雄が綺麗で立派でよい。正公、お前も俺の言うことを聞いて女房なんか持たない方が好い。女など詰まるものか」と、口賢く、聞いたこと、見たこと、自分が思っていることをまぜこぜにして滔々と語る。筋は立たず、言葉も難しく、老婆には解せない部分もあったが、
「エエ、生意気な味噌摺りめ、聞きかじりの片言に己の出鱈目を交ぜて喋ったところで誰が聞くものか。筆をもらってさっさと帰れ、そろそろ暮れかかっているのも知らんのか」と、再び恐ろしい顔をして罵れば、流石にその辺は子どものこと、自分に言い付けられた用事を急に思い出して、
「そんなら筆を受け取ろう。また今度遊びに来るぞ。婆さん、その時また俺に萩餅を持って来てくれ」と、勝手なことだけを言い散らし、出来ただけの筆を受け取って、
「黒、来い、来い」と、急いで帰っていった。
その後、しばらくは静かだったが、やがて主人が口を開き、三言、四言ものを言ったが、それは良い縁があれば女房を持とうと決心した内容であった。
老婆は、自分の言い分が通ったことに先ずは悦び、例の歯茎を出しながら、エヘ、エヘ、エヘと笑う。
「ああ、そう決心したならもう大丈夫。遅かれ早かれ蔵も建つだろう。しかし、縁談というものは急いてはいけない。お前の腹さえ決まったならしっかり心掛け、探すにしてにも、念にも念を入れて、この婆が好い女房を持たしてやるから、楽しみにして待つがいい」
つづく
※ 他の現代語勝手訳でも書きましたが、露伴に限らず、この時代の小説などには、現在の人権意識からして、容認できない、身体障がい、精神障がい、社会的身分、男女、職業等の差別的な用語が出てきます。訳に当たってはできるだけ配慮し、物語の大筋に直接関係の無い部分については、勝手訳の通り、勝手に手を加えています。しかし、まだまだ至らない部分もあるかも知れません。現代語訳の大きな課題だと認識しています。