幸田露伴「きくの濱松」現代語勝手訳(6)
其 六
長煙管に煙草を詰めながら、婆は少し正太の方に身を向かせて、
「それはいけない。破壊というもの。そういうことを言っておいて済むものなら世間は無茶苦茶、子も無くなれば親も無くなる。家は軒並み断絶して捨て子と父無し子ばかりがそこら中に出来るはず。誰しも若いうちはお前のようなことを言っているものだが、もう少し歳が行けば、世話を焼く人が無くても、ドッコイ、これでは治まりがつかないと自分から思い返して、下世話で言う『破れ鍋に綴じ蓋』、それ相応の縁を結んで、それから後は、十代、二十代の遊びの穴を埋めて行く中、親爺殿になって、本当の意味で将来の楽しみが出来、いよいよ堅固で確かな考えが備わるというもの。ナニ構うものか、女が欲しければ娼婦買いに行く、酒が飲みたければ料理屋に走る。紙幣が一枚か二枚あれば筆屋は筆屋くらいの贅沢は出来る。そんな自由が出来ない時は尻を据えて仕事に精を出せばどうにかならないことはないと、悟りとかいうものを開いた人のように言えば、一寸聞きは、川の水が流れるような清廉潔白で好いようなものの、それは潮時が好い中の太平楽。しかし、一年中潮が一つもささなければ、一年中風一つ吹かないということは無い。人の身だもの、病気も罹らずに済むことは無く、世の中の廻り合わせとかで、仕事が途切れることもあるだろう。さあ、そうなった暁には、世間を屁とも思わなかった洒落た顔に八の字の眉を描いて弱ったところで一人苦しみというもの。どれ程美しい娼婦でも煎じ薬の世話一つしてくれなければ、乙吉にさえ劣るだろうし、普段が普段で、あればあるだけの暮らし様で過ごした日には、悪い巡り合わせとなった時、どうにも動きが取れまい。紙幣が一枚か二枚あればここで生命を取り留める薬も買えるのだが、という状況となって初めて日頃の不始末を悔やむようでは役に立たぬ。さあ、これでもまだ独身が気楽で好いとは言われまい。エヘ、エヘ、それ、口をもぐつかせて言い破ろうとしても、老婆の言うことが道理だから何とも仕様があるまいがの。エヘ、エヘ、エヘ。第一、日々の無駄な費やしも独り者では結構多いもの。乙吉も主人思いの感心な好い子ではあるが、やっぱり男は男だけ、五厘で買える二人暮らしに充分な菜っ葉を一銭で買って来て、さっきも見ていれば、トトトト……、と隣の鶏を呼んで、残余をご馳走している始末。今来た小僧さんの連れてきた犬もあの調子では、この老婆なんぞが奢ってやろうとわざわざ買ってきた牛尾魚の中落ちくらいはありつけるのではないか。釜の下の無駄火、洋燈の点けっ放しなどは無駄だけでは無く、ほんに危ないが、男だけなら気の廻らないのも無理は無い。縫うもの、洗うものでもこの老婆がいればこそで、又、住居も近いから好いようなものの、仕立て下ろしならどこに行っても縫ってくれもしようが、解いて綴いで張る表、ひっくり返すやらどうのこうのと面倒なことをする裏、それも絹ならまだしも、普段着までを他人の手に掛ける訳にも行くまい。と言って、一々着捨ててしまうなどは、どれ程お前の働きがあったとしてもそんなことをしていれば運も逃げるし、まずもって出来もしないこと。それそれ、段々胸に思い当たることが出て来たじゃろ。何にしても独り者では埒が明かぬ。娼婦買いばかりしていて蔵を建てた男は世界に一人も無い。家があっても女房がいなければ戸があっても辛張棒が無いように締まりが悪く、車に楔(*車軸の端の穴に差し込んで車輪の外れるのを防ぐ小さな棒)が無いように、とかく行き先が覚束ない。得てして独り者にはぬけぬけと親の臑をかじっていい気になっている暢気な手合いが友になって一緒に飲みたがったり、遊びたがったりするが、そういう手合いの付き合いという、その付き合いは無礼講で、最後まで友達であり得ることは無く、律儀な人や裕福な人に見限られる付き合いであって、余り褒められたものではない。それというのも、車に楔が無いことによる。女房を持てば、そういう手合いは、『あいつは話せない。蔵を建てる気持ちになったか、可哀想にな』と蔭では散々笑うが、自然と傍には寄って来ず、笑うのは僻みというものだから笑わせておけば好い。同じ付き合いでも、芯のしっかりしている人は飲むために出る。独り者は飲んでから出る。一つには保養にもなろうが、一つには身の毒にもなろう。金の出入りの違いはどれ程か。さあ、これほど言えば返す言葉は無いはず。我を捨てて、女房を持つと決めた方がよい。お前の親爺殿にもお袋様にも心安くしたこの婆が言うのに悪いことは無いから、頼むと言われれば探してあげよう。見立ててもあげよう。エヘ、エヘ、エヘ、それとも表面は独り者が気楽で好いと言う裏には、どこの娘でなければ厭だなどという望みがあるのではないか。もしそうならそのように又骨折ってみもしよう。何時までも今のままではいけない」と、長々と立て板に水を流すように独り身の非を説き諭せば、正太は老練の舌先には適わず、返事も出来ずに、にやりにやりと笑っていたが、話の始終を聞いていた玉山は笑いながら水口から首を出して、
「ヤイヤイ、お喋り婆の世話焼き婆め、紫色の歯茎を出して、エヘ、エヘ、エヘと笑う奴ヤイ、老耄婆の蛸婆め、お前は説法上手だが、会者定離(*この世で出会った人とはいつか必ず別れなければならない運命にあること)ということも知るまい。正さん、俺が加勢をして、その婆を一寸負かしてやろうか」
つづく