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幸田露伴「きくの濱松」現代語勝手訳(49)

 其 四十九


 あの事と言い、この事と言い、昨夕(ゆうべ)良人(おっと)が帰らなかった事と言い、今朝の機嫌の悪かった事と言い、今又、打って変わって調子の好い事と言い、自分に弱味(よわみ)充分(たんと)あっては、良人(おっと)の心を測りがたく、お初は心も落ち着かず、何事も言われるままに「はいはい」と、温和(おとな)しく、腫れ物に(さわ)るような気持ちでいた。そんな中で、珍しく乙吉を出してしまったのも訳のあることに思われて、もしや二人(ふたり)()りになって、恐ろしいことでも言い出そうという腹か、久四郎のことで急に愛想が尽きて、離縁という言葉を口に出されるか、この家を出すと言われるか、それとも底の底まで(ただ)し抜こうと言われるか。根掘り葉掘り問い詰められたら何と答えれば好いのだろう。明かしてしまうと見下げられることは隠し通した方が良いだろうか、それとも、隠さず言って、許してと誠心(まごころ)こめて泣きついた方が(かえ)っていいのか、それすら分からず、こういう時には、心底から親切というのでも無いけれど、叔母様が傍にいて下されば、そのお智恵も借りてみたいと、あれこれと思案に暮れるお初であった。若い者は心弱く、こんな風に他人を頼りたい気にばかりとなって、猪口を受けた手先さえ自ずと震えるが、正太郎はそれを見ない振りをして、

「お初、お前が(うち)へ来てから既に大分経った。今さら言うのではないけれど、何によらず、遠慮して俺に隠し立てをするような気持ちはもうあるまい」と、語気は優しいけれど、思った通りの底意ありげな言葉が良人(おっと)の口から洩れ出た。


 さあ、ここが大事、と恐る恐る、

「はい」と言う答えも口籠もって、ようやく飲み乾した猪口を返せば、何にも無いような様子で、なみなみと注がせた猪口を下に置き、

「ウム、よし、そんなら尋ねるが、決して余計な心配をせずに、あの久四郎の一件をすっかり事細かく話をしてしまって、酒の肴に聞かせてくれ。済んでしまったことを今からどうのこうのと言いはしないわ。笑ってしまえば好いではないか。お桂婆が話した通りでもあろうが、脱漏(おち)もあるだろう。お前の口から今一度話して聞かせてもらいたい。全部聞かなければ俺の気も済まないというもの。お前もまた何か俺に隠しているようでは寝覚めの悪い思いもしようというものだ。少しは話しにくい事でも、乙吉も居らず、お前と俺と二人限り、屁も()ぎ合うと、諺に言う夫婦の中では、遠慮は(かえ)って隔意(へだてごころ)というものだ。構わずに言って退()ければ好い。包み隠しをされては、たとえそうでもない事でも、人に知られては都合の悪い事があるのではないかと、疑わなくてもいい事まで疑念を掛けてしまう。大体、どれ程馬鹿にしても、最初から無情(つめたく)されていては、ああまで男児(おとこ)が見境もないことをするはずは無い。お前も多分、最初はあの久四郎めに優しい眼遣(めづか)いくらいはしたに違いない。何の、男も女も同じこと。俺を女にしたところで、歳も相応であれば、何の問題も無い男に親切を尽くされて、憎らしいはずがない。それを又、邪険に情無(つれな)くするようでは、まるでそれは人情義理の分からない獣類(けもの)。まさかお前も分からず屋では無し。人の愛情(なさけ)を感じないことはないだろうに。構わんわ。久四郎を最初はどう思った。その後はどう思ったとぶちまけて話すが良い」と、軽く言われては隠し難く、その時はこう、あの時はこうと、仔細の大概(あらまし)を口にまで出しかけるが、言いにくいことがまだあるので、言えばどうなるのだろうと恐れる気持ちが湧いてきて、自ら臆して、

「イエ、隠すこともございませんが、久四郎めは最初から嫌いで、優しい眼遣いどころか、笑顔一つ見せたことさえございません。何もかも叔母様のお話しされた通りでございます」と、怖々言い切る。

「そう簡単に言ってしまうな」と、正太郎は笑いを含んで重ねて訊く。お初は、

「イエ、全く」と言ったきり、又、口を閉じる。

「確かにそうなのか」と念を押す。

「ハイ」と、キッパリ答える、その途端、

「ハハハハ」と笑い出して、ジロリとお初を見る眼は凄く、

「嘘を言え、お初、おのれは太い奴、隠しおおせると思っているのか、浅はかな。丁稚の彦めを種子(たね)に使って、京屋の隠居とグルになり、隠居の猪目(いのめ)におのれが灸をしているところへ久四郎めの(ふみ)をわざわざ持ってこさせた謀計(たくらみ)はなかなか(うま)かったナ」と、急所を()されて、

「エエッ!」とばかりに、お初は後ろに反り返った。


つづく


後、二回でこの物語は最終となります。

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