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幸田露伴「きくの濱松」現代語勝手訳(45)

 其 四十五


 久四郎の身の上のこれまでは、聞けば聞くほど憐れでもあり、又、馬鹿馬鹿しくもあって、何とも言いようが無く、()(へい)()老夫(おやじ)はそのまま押し黙っていたが、さて、この話、一部始終を正太郎に打ち明けてしまうのが良いのか、それとも打ち明けない方が良いのか。話してしまえば、正太郎はお初を妻に持ってはおれなくなって、波風(なみかぜ)を起こし、離縁だの戻すだのと悶着が起こるのは必然(しれたこと)。仮にも頼まれて媒酌(なこうど)をしたとは言え、その式を()け合い、執り行った身としては、起こった波風は本来取り(しず)める立場であるはずなのに、自分の口から面倒を湧かし出すのは、年甲斐も無く下手(へた)な捌きでもあり、あくまでも知らない顔をしておくべきではないか。しかし、一時は騒がせるけれども、久四郎の話によれば、到底善人とは言えないお初という女、いっそのこと離縁させた方が正太郎のためには良いかも知れず、一切をぶちまけて、お初の履歴(これまで)はこうこうだと、京屋の隠居に手をつけられたことや、目前(めさき)の利に目が眩んで久四郎という男を無情(つれな)くしたこと、襤褸(ぼろ)を隠し、知らん顔して『生娘(きむすめ)でござい』と嫁に来たことなどを話した上で、もしも正太郎が腹を立ててお初を離縁(だす)と言い出せば、いかにもそれが道理と、こちらも(あい)(づち)を打ってひと思いに別れさせてしまうのが好いのではないか。アアしかし、それも面倒、お座なりで済ましてもいい他人(ひと)のことに、そんな力瘤(ちからこぶ)を入れるまでも無い。余計な苦労を背負うことも無い。いい加減に返事をして済ませてしまうのが世話が無いというもの。しかしながら、隠したことが絶対バレないという保証もなく、いつか結局お初の身の上が正太郎に知れるのは決まり切っている。その時になって、不親切な老夫(おやじ)め、知っていながら隠し立てしていたなと思われるのも面白くないと、年の功と言えど、どちらを採るべきか迷っていたが、

「とにかく、お前は巳之助の方に帰っておれ」と、久四郎を返してから、独り煙草をふかしながら、さてどうしたものかと思案していた。と、そんなところへ、

「ご免なされ」とやって来たのは正太郎であった。


 卯平次は正太郎と差し向かいの話の中で、色々と細かく訊かれては、もう隠しきれなくなって、久四郎の身の上の概略(あらまし)を明らかにすれば、それにじっと耳を傾けていた正太郎、さして怒った様子も見せず、

「そうでございましたか。成程、思い当たることもございます」と言ったきり、それについては、一言の相談さえ掛けず、重ね重ね久四郎を気の毒だとの思いを述べて帰って行ったので、卯平次は予想外の展開(こと)に、狐に化かされたように茫然(ぼんやり)としてしまった。


 卯平次の家を面白くない顔をして出て来た正太郎、懐手(ふところで)をしてぶらりぶらりと、何を考えるとも無く歩いていたが、夜風の寒さに胸の内の淋しさも増す思いで、

「アア、詰まらん、詰まらん。女房を持って、とうとう厭な思いをしたか。忌々しい。独り身でいれば好かった。胸糞の悪い思いがするわ。人の思いのかかった女を女房にしているのも寝覚めがよくない。京屋の隠居とかの食い残しを味わわされるのもおぞましい話だ。馬鹿な、何だ、こんなことかと最初から思わないでも無かったのにな。フ、世間は大抵こんなものか。アア、やっぱり女郎(ひめ)()いが好かった。これが売り物買い物の女に関わることだったらさぞかし面白いだろうが、俺の家に起こったことなら面白いはずが無い。ヘン、女房を持ってどこが好い。アアア」と(しき)りに歎いた末、フト眼についた饂飩屋(うどんや)店頭(みせさき)に人が二人、三人居て、可笑(おか)しそうに笑い転げている様子に、

『よし、俺も暖かいもので一杯やろう』と、つい釣られるように中に入った。


つづく

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