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幸田露伴「きくの濱松」現代語勝手訳(21)

 其 二十一


 困っていても、頼れ、慰められる女房を持つ正太郎、その日その日と、日を重ねて暮らしていたが、幸いにも決まった問屋仕事の他に、自分好みの筆を頼む人も出て来たりして、少しは勢いもつくようになった。ある日、無沙汰見舞いを兼ねて金仙寺へ行き、四方山話(よもやまばなし)の雑談の末、困り切っているとまでは言わないまでも、近頃仕事がはかばかしくない旨話していると、栽松はしばらく考えて後、

貧僧(わたし)は門外漢だから、生計(よわたり)の道には暗いけれども、そなたのためを思い、たとえばという事で言うのだが、筆造りの傍らに、刷毛(はけ)造りをしてはどうか。採算が取れるかどうか分からないが、人の話によれば、靴刷毛、羅紗(らしゃ)刷毛、その他各種(いろいろ)の刷毛をつくると利潤が多いようなことを聞いたことがある。そなたの腕であれば刷毛を作ることは、少し手慣れさえすれば、何も難しくはないだろう」と、教えてくれた。正太郎はその助言をきっかけに、以後、少しずつその作り方を研究し、(つい)に自分も刷毛造りを始めるようになった。すると、問屋の受けも好くて、根の締まりの緩みも無く、毛が抜けることもないとの評判に、予想外の大量の注文も受け、忙しさは眼の廻るほどであったが、それに()れての頑張り甲斐もあり、心を励まして毎日を仕事三昧に送るようになった。


 小倉は流石(さすが)に九州の喉元とでも言うべき地で、ここの物貨は何によらず、中国にも流れ出(やす)く、又国内地方へも流通しやすいので、正太郎という好い相手を得た問屋は悦んで、この商売、もう(ひと)()ばしすれば、他の市の同業者も凌ぎ倒すのも難しくはないと意気込んでいた。と、まさにその最中、毛の(あぶら)()くのに手間のかかるのをどうにかできないかと、毎夜、工夫を積み、遂に簡単に脂が取れる(くすり)(みず)を考え出した正太郎、これによって、これまで以上に容易に仕事がはかどることとなったので、問屋はますます乗り気になり、利潤(もうけ)のうち、幾らかはそちらに(まわ)すからとの約束を整え、何とか(ひと)働きしてもらおうと額に汗を浮かべて頼み込むのであった。


 今では筆よりも刷毛の方が本業になって、乙吉一人だけでは手が足りないようになったので、卯平次に頼んで、()(あき)で遊んでいる若い男でも居れば、仕事を覚え次第、それなりの賃銭で雇うので紹介して欲しいと話していたが、その話をしてから四、五日()った頃であった。頭垢(ふけ)だらけの汚れた頭髪(あたま)に、恐ろしいほど凹んだ(まなこ)の、背がひょろりと高く、馬面で血色の悪い貧相な男が、垢光りのする冷たそうな()(あわせ)を寒そうに着て、卯平次の添え手紙を持ってやって来た。

 正太郎はそれとは察しながらも、手紙を取って読もうとしたが、もともと漢字が不得手の男で、その上卯平次の書いた仮名が少ない古風な候文(そうろうぶん)。これはと困って、

「お初、お初」と呼ぶと、

「はい」と答えて出て来たお初、店頭(みせさき)に腰掛けていた男を見るや、

「あっ!」と、声を立てて奥へ逃げ込んだ。


つづく

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