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幸田露伴「きくの濱松」現代語勝手訳(2)

 其 二


 十人寄れば人の気性も十種(といろ)である。お釈迦様の弟子の(うち)、嘘にせよ真理を悟ったと言われる十大弟子でさえ、迦葉(かしょう)(つよ)く、()菩提(ぼだい)(やさ)しくて、両者は乞食(こつじき)をするにも違いがあったと言われているくらい。まして権兵衛、八兵衛の酒好き、餅好きなど、人は皆それぞれであるのは当たり前だが、世に玉山(ぎょくざん)ほど不思議な性格を身に染み付けて生まれてきたものも無いだろうと、師の(さい)(しょう)が折に触れて言い出す通り、実に玉山はまだ十二歳の子どもであるが、不思議な性格の持ち主であった。自分の師以外の者には大人子どもの区別なく、人を頭から愚人(ばか)()(あなど)ってか、少しも遠慮せずに振る舞い、喋りたければ喋り、騒ぎたければ騒ぎ、よく笑い、よく遊んで、どんな気難しい男の前でも、又、位の高い人の前でもまったく憚ることなく、毎日毎日、自分の気まま、気の向くまま飛び跳ね、遊び廻っていた。  


 初めは誰もが厭な感じを持つけれども、こちらさえ馴染んでみれば無毒、無邪気の図々しさが(かえ)って可愛らしく、憎みたくても憎めない愛嬌のある子なので、(つい)には『玉山、玉山』と、呼び(はや)して、自ずと菓子の一つも与えるようになった。勝手に放って遊ばせて置き、紙と筆と顔料(えのぐ)を与えて、生まれついての嗜好(すき)から上手に描く絵を頼んだりすると、ますます増長して我が儘はするが、賤しいことは全くしないので、海音禅師にまで、『玉山よ、玉山よ』と、優しいお声と掛けてもらい、(いつく)しまれるようにもなった。


 栽松が偶然、玉山が他の雛僧(こぞう)等と(いさか)い合うのを見て、捕まえて懲らしめようとしたが、素早く逃げ去られてしまったのでどうしようもなく、雛僧等が(かしま)しく玉山の非を訴えるのも聞き捨てて自分の(へや)に帰ってみると、これはどうしたこと、玉山が独り、姿勢を正して本来自分が座るべき場所に坐り、枠張りにした自分の描きかけの画に向かって、筆を咥えて眺めているではないか。

 南無三(なむさん)、その画に悪戯(いたずら)をされては、この十日余り、苦労して描いた画が台無しになってしまう。

「何をするか!」と、叱るが早いか、もぎ取るように画を奪い返して見たところ、筆を加えた(あと)は無くホッとしたが、さてはこの猿め、まだ一筆をも加えられなかったのだなと思いながら、(おもむろ)に座を正し、以後、再びこのようなことをしないよう、充分叱って懲らしめてやろうと、キッと玉山の顔を打ち見たが、きっと恐がっているだろうと思ったのとは違い、意外にも口に咥えた筆をそのままにして、師の(おもて)を打ち仰ぎ、言葉も発さず、何とも長閑(のどか)に少し甘えたような顔にもなっている。


 中津(なかつ)雑賀屋(さいがや)という豪家から熱心に頼み込まれて、断り切れなくなり、()けたからには面白いものを描こうと工夫に工夫を重ね、冬の田家(いなかや)の図を描いていたのだが、まだ完成には至っておらず、今ここで玉山に書き加えられでもしらたそれまでであった。元来、僧というものは、「声明(しょうみょう)」、「(いん)(みょう)」、「内明(ないみょう)」、「工巧明(くぎょうみょう)」、「医方(いほう)(みょう)」の五明(ごみょう)に精通しなければならないとされるが、絵画はその中の「工巧明」に含まれるので、往古(いにしえ)の高僧はいずれも皆、丹青(たんせい)(*絵画)の技術に秀でられたが、普通の絵師がするようなことをしては戒律に触れる恐れがあるかもしれず、栽松は元々好きな道ではあったが、敢えて自らのその腕で生活をしようなどとはまったく思わなかった。たまたま香料とか、顔具料(えのぐりょう)などの名前で報酬を得ることがあっても、一銭たりとも懐には入れず、まず師の海音禅師のために費やし尽くし、なお余ったものも、寺中の僧達の衣食の足しにと、役僧の()(かい)に必ず渡していたのである。中津の雑賀屋がこの度金仙寺のために、破損している浴堂を改装してくれたので、その義理もあり、また自分の画が欲しいと熱望したこともあって、どうしても自分が満足できるものを描いて差し上げたいと、漸く描きかけたものなので、危うく玉山のせいでダメにされたのではと、ハラハラしたのであった。


つづく

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