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幸田露伴「きくの濱松」現代語勝手訳(17)

 其 十七


 正太郎、腹に一つ、釈然としないものを抱えているが、そんなことはおくびにも出さないので、他人(ひと)が知るはずもなく、会う者は皆新婚を祝して、羨ましさ半分に(なぶ)る者がいたり、酒を飲んでの(わる)洒落(ふざけ)に、無理矢理にでも他所(よそ)色事(いろごと)(あさ)ろうとする者さえいた。そうでなくても、気の置けない者同士が集まる陰の席では、年甲斐も無く、年老いた者までも、雑談の種にその噂を持ち出して笑い転げれば、若い者なら尚更のこと、群れた雀のような声で(かしま)しく馬鹿騒ぎして、『今度あいつを訪ねる時には鶏卵(たまご)(*卵はかつては精力がつくものとされていた)を持って行ってやろう、山の(いも)を手土産にして冷やかしてやろう』と、外所(よそ)の楽しみを自分の心配に置き換えて、どうでもいい話に熱弁を(ふる)うのも多い。そんなことをした昔も、された昔もある者には、『本当に馬鹿な世話焼きどもめ、彼等(あいつらも子どもの時には犬が交尾(つが)っているのに砂を掛けた覚えがあるに違いないはず』と笑われているのも知らないで、話に力を入れているのも世の中の面白い廻り合わせというものである。


 そんな何やかんやの騒ぎの中では、これまで嫁を貰って身を固め、満足しているような男に対して、お門違いの意地を立て、

「何の、篦棒(へらほう)め、俺は女房(かかあ)の傍にへばりついて()からびるほど老い耄れはしないわ。女房を持ったのは留守の時のためだ。憚りながら女房(かかあ)を守って、今から死に金を作るようなしみったれた男とは男が違うのだ」と、心の底の底ではそう思ってはいないけれど、無暗に男がっているのがいる。痩せ我慢の交際(つきあい)をし、茶屋に入り、又、その穴に入るのにも先頭を切って立つ。これが天晴(あっぱれ)好男児(おとこ)というものだという顔つきをするが、その反面、(うち)では揉め事を湧かし、外では悪い借金をして、折角の縁も結局『合わせ物、離れ物』の(たと)えの通りになって、三方四方に面白くない顔をして終わってしまうのもよくあることである。


 しかし、根が臆病とまでは言わないが、気弱な性分の正太郎は、幸いそんな場所へは曲がり込まず、男の耳には結構聞きづらい厭味を言われることもあるけれど、大抵は(こら)えて口数少なく、まずまず無難に分別の舵を取っていた。仕事はきちんとやりこなし、得意客を減らさず、又、義理も堅く守って友達と交際(つきあ)っていれば、誰が何と言おうと、世渡りに間違いは無いと、朝は早くから起きて仕事に励み、夜は昼間一生懸命働いた疲れを休めるのに、膳の上には一本の徳利と決め、それ以上飲まず、無用の外出もせず、たまたま出ていても早く帰った。今までとは違って、万事締まりのある生活を身につければ、あの嫁様も賢いけれど、偉ぶらないあの男も訳が分かって締まりがあって、丁度似合いの好い夫婦だと近所での評判も良い。徳蔵夫婦とお桂婆も仲のいい様子を見て安心し、卯平次夫婦も世話のし甲斐があったと、ほくほく悦んでいた。


 伝手(つて)があって、長崎の知っている人から、少しではあるけれど、羊の渡り毛、鹿の(なつ)()(あき)()、その他、貂貍(てんまみ)などの色々な珍しい毛を手に入れると、正太郎は大層悦び、それを持って日頃自分を贔屓(ひいき)にしてくれている人たちのところへ注文を取りに行った。そのついで、金仙寺の栽松法師の方にも顔を出したが、嫁を貰った悦びに重ねるように、画筆をいくつもこしらえてくれと言われ、大いに悦んだが、その帰る途中のことである。ふと向こうから来る男、見れば、久しく顔を合わさなかった例の遊び友達の傅吉である。


つづく

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