幸田露伴「きくの濱松」現代語勝手訳(16)
其 十六
迷って、考えて、考えて、迷って、遂に考えの及ばないところに至った揚げ句、『もうどうでもいいわ』と投げやりになってしまうのが、事に臨んでの凡人の取りがちな態度である。愚かは愚かなりにあれこれと考えるもので、正太郎も何やかやと思案していたのであったが、卯平次の話は虹と消えて失せてしまった。一方のお桂婆は、ことあるごとに顔を出し、少しは厭味混じりに、お初を貰えと促す。
ええ、蟲齋先生の判断はあるものの、謂わば当たるも八卦、当たらぬも八卦、自分の気持ちの持ちよう一つで、凶も吉に、吉も凶になろうという道理も無きにしも非ず。話もここまで進んできた上は、いっそのことあの黒子娘を貰ってしまおうか、と思う気持ちも出て来た。しかし、さすがに不吉と占われたことで、もう一歩気持ちが進まず、いい加減な返事をして、一日一日と日を延ばしていたのだが……。
ある日のこと、例の婆が例の如くやって来て、
「こちらの話もあることでもあり、又いずれにしてもそろそろ当人の身を定める頃なので、ご主人の京屋様には、良い縁があって、嫁がせますのでお暇を下さいませと願ったところ、それは目出度い、この後でも何かの時には出入りするが好いと、殊の外のお言葉をいただいた。そして、これも初に取らせよ、あれも初に遣れと、数々の物さえいただき、最良の首尾で家に引き取って、早くも昨日から婆と一緒におるという次第。こんな状況でもあるので、一日も早く話をまとめて、当人にも安心させ、私等も安心し、又、初のご主人様にも一応は申し上げて、喜んでいただきたいと考えている。これ以上引き延ばしになっては、話に魔のさすこともあるというもの、今日こそはきっぱりと返事をして下さいませ」と、真顔になって談じ込むので、こうなってはもう、心弱い正太郎は断ることも出来なくなり、下世話によく言われる『だらだら急』(*最初はゆるやかで、にわかに急になること)で、いよいよお初を貰うことに決まった。
橋渡しはお桂婆であるが、正式な式には媒酌人が無くてはならず、誰の彼のと選ぶよりも、日頃親切にしてくれているあの卯平次に頼もうと言う正太郎の発案に、お初の親代わりとなっている家主の徳蔵も卯平次なら見知った間柄ということで、それはいいと賛成すれば、反対する者もなくそれに決まった。正太郎から卯平次に頼み込むと、先日の話が煙となったことで、筆屋に対して何かひとつ手柄をと思っていた矢先であったので、卯平次は一も二も無く承知をして、
「宜しい、万事引き受けました」と、大受け合いに受け合い、歳が若いのでよくはまだ俗事を知らない正太郎を導き助け、略礼ながらも結納を取り交わしたりして、すべて滞りなく儀式だけは済ませてくれた。
その年の秋の中頃、萩の花はすでに盛りを過ぎたけれど、菊にはまだ少し早い、暑からず寒からずの好い日、百舌鳥を誘き出す人が、撞木(*鐘を撞く時の木製の棒のようなもの)に媒鳥を宿まらせたのを手にして帰る頃から、正太郎と徳蔵の二人の家の間を人々が往き来し初め、暮れる頃になって花嫁がやって来た。物慣れた卯平次夫婦の世話で何もかもすべて綺麗に事が運び、皆々目出度い限りと言い尽くし、この夜を『千代の初め』と祝して帰って行ったが、実にこの年この月この夜、正太郎の腑に落ちないことが一つだけあった。
お初はその夜、眠ったのか、眠らなかったのか、その明くる日は朝暗い時から起き出して、炊事の働きも手早く、身分の無い者の妻に相応しく身体を動かして、早一廉の世話女房であった。もとよりそうであるべきなのだが、お実家の教訓もしっかりしたものだと思われ、本人の聡明さも推し量られると、隣近所の評判も上々で、
「正様も幸せなことだ。まず、ああした調子で行けば、身代もやがては栄えよう」と、先を取り越して、即断する者さえあるくらいであった。
つづく
「正太郎の腑に落ちないこと」はあからさまに書かれていないが、新婚初夜のことであり、読者に何であるのか想像させる。