幸田露伴「きくの濱松」現代語勝手訳(15)
其 十五
見つけられては面倒だと、卯平次は知らん顔して母子をやり過ごし、
「どうだ、満更老夫の言葉に嘘はないだろうが」と、笑って言えば、腹では思っていても、口に出して『気に入らない』と言ってしまうことも憚られて、正太郎は笑いを含んだ顔で挨拶を済ませ、善し悪しを口には出さず、どっちつかずの誤魔化しをしていたが、ふと前を通りかかる小僧を見れば、師の用事のためらしく、急ぎ足で歩いているあの玉山であった。話を外らすのに、これ幸いと呼び入れて、胡麻ねじ、塩煎餅などを与え、
「帰り道なら一緒に帰ろうと」言い掛けるが、卯平次はそんな事情も察せず、何やかやと、横から女のことばかり言い出すので、子どもながら察しの良い玉山、早くもそれと悟った。そして、例の口軽く、調子づいた口調で、
「やあ、正様は過般俺が諭してやったにも構わず女房を持とうと見合いをしたのか、道理で馬鹿な面をしているわ」と罵った。
卯平次にはいい加減な挨拶をして別れ、玉山と共に自分の家の方へと歩いて行ったが、途中で、
「俺はここから寺へ帰る」と、塩煎餅を囓りながら、玉山は横道に入って行ってしまったので、ただ一人になり、なお一層思案に沈みながら、ようやく家に帰りついた。
「乙吉、留守に誰か来たか?」と言いながら奥へと通ると、例の婆が来ており、いつものように火鉢の傍に構えて坐っていた。
今見た娘も厭だが、蟲齋先生の言葉に間違いがなければ、この婆が持って来た話の娘を貰ったが最後、家は落ちぶれ、我が身は病んでしまうというこの上もない大事に及ぶ。ただ、二つに一つを取るとするなら、再縁よりは初縁が好いし、色の黒いのよりは色の白いのが欲しく、ことさら我が儘というものかも知れないが、卯平次の世話してくれた娘の方は、見た時から何となく厭で気持ちが進まず、つまりこの婆の話の方に決めたいと思うけれど、しかし……、悪事災難は恐ろしく、無事息災が望ましい。未来は当たるか当たらないかは分からないが、現に眼前のことについては自分の心中を見抜き、小間物屋の老夫の話の女の容貌をも言い当てたほどだから、婆の話の方に一旦決めてしまった後で、やっぱり言葉通り当たったとなれば堪ったものではない。何にせよ、よくよく考えて返事をすることが大事であると、腹に問い、腹に答え、今日はまだしっかりとしたお返事ができませんときっぱりと婆に言い渡した。
易は不思議にもますます当たって、明くる朝のことであった。卯平次が正太郎の店にやって来たのだが、その理由というのが……。
「昨日、あの母子連れが市中に来たのは他でもなく、縁談についてのことで、いよいよそれが決まることになって、先方の急ぐに任せ、五日、六日とも言わない内にとにかく輿入れをさせますと、帰路に又母親様が寄って、悦びながら話しておりましたので、自然とあの話はお聞き捨て願います。いずれ又、他にも良い口がありましたらお世話いたしますつもり」とのことで、身を堅くして丁寧に断りを言いに来たのであった。
三百両落とした気にもならないが、先ずこの話はなかったものとなった。
つづく
読者は、玉山と正太郎が出会った、この場面をしっかり記憶に留めておいてください。