幸田露伴「きくの濱松」現代語勝手訳(13)
この章は、まったく易を知らなくても、内容はそれなりに理解出来ると思いますが、少し易の知識があれば、より楽しく読むことができるのではないかとも思います。
さすがに博学な露伴は易に関しても、適確な知識を持っていて、書かれている内容も、丸きりの出鱈目ということはありません。(と思います)
易について解説したいのは山々ですが、解説するのは私の役目ではありませんし、そんな知識も持ち合わせていません。
ただ、過ちを恐れずに言えば、ということではありますが、参考として、注(*)をしておきました。読みにくいかも知れませんが……。
其 十三
千人の脈を取れば素人でもそこら辺りの医者にはなれるもの。まして経験、努力を重ねた占者は他人の胸中くらい、大体は解るものである。二十歳の色恋、四十の慾と言って、二十代の男がわざわざ易を立ててもらいに来るのは情事関係、四十代の男は金銭関係と、先ずは決まったことなので、蟲齋が言い当てたのに不思議はないが、正太郎には恐ろしくも不思議に思われて、この先生の言葉に間違いは無いと妄信し、
「いかにも仰る通りのことで、お易を願いしたく、わざわざやって参りました。実は縁談の口が前後二つありまして、前の方が良いのか、それとも後の方が良いのか、それとも両方共良くないのか、詳しくご判断をいただきたいと存じます」と、真心を顔に表し、一点の冷やかし気もなく頼めば、大蝦蟇のような口をへの字に結び、蟲齋は鷹揚に顎で挨拶をして、
「そうじゃろ、そうじゃろ、よしよし、両方とも一つ一つ詳しく判断して進ぜよう」と、机の上の小さい香爐に白檀の屑を捻り込みながらそう言って、何か分からないが、古びた錦切(*錦布の切端)の袋から筮竹(*易占いをする時に使う竹製の細い棒)を取り出し、香の煙の上に翳し、しばらく眼を塞いで、口の中で何やら呟いた末、左右にがちゃりと引き分けて、ぱちぱちと撥き数えながら算木(*易占いをする時に使用する木片)を弄って、又がちゃりのぱちぱち。そして又算木を弄る。同じようなことを何度か繰り返した後、難しそうな顔を作って、卦(*─(陽爻)と- -(陰爻)で構成される形)の面を眺め、考えていたが、エヘンという咳払いを合図に、正太郎を見て、
「これは最初の方の口を考えたのであるから、そのつもりで聞くがよろしい。卦は困が大過に之くという好くない卦で、澤に水が無く、草木魚鼈を問わず、生き物すべて生きることができない。それが困である。即ち悩み、苦しみ、動きの取れない姿。さて、之卦(*ある爻の陰陽が逆になることにより、最初に出た卦の状態が進んで、行き着く将来の姿を表す卦)の澤風大過は水過ぎて草木を没する形である。謂わば、独身で下につく相手の無いのが困であるが、今この話の女を娶れば何事も大いに過ぐるという調子で劫って前よりも好くないことになる。稲は旱魃より、とかく水が過ぎる方が収穫に悪い影響を及ぼす。即ち、女房を持てば、女房は何でもかでも一家の主人の言うことに従ってしまうことからして、独身の不自由さよりも、逆に不幸せに陥るものだ。この卦面を味わってみると、困の内卦(*六つの爻のうち、下半分)の坎☵が変じて巽☴となったことにより、夫が女に従うという象が見て取れる。水が風に散らされるという象である。また、外卦(*六つの爻の上半分)は変化せず、始終兌☱であることから、女は美しくて弁才あって、小器用な者と見える。この女を娶ってみい、お前は必ず鼻毛を伸ばして、いそいそと夜も早く寝ようとするなど、機嫌を取るに違いない。水風に散らされるというのはそこのことで、つまり、お前の疲れの原因となる。風水を散らす程になれば、万物を吹き損ずる理屈で、この女はお前の家を吹き壊してしまうぞ。十両で暮らしていたものが十五両、二十両と鰻登りになって、終に家の棟木も撓むようになるばかりか、お前は腎虚癆瘁(*精気が尽き果てて疲れてしまうこと)のような病気になり、女も遂に見えなくなってしまう。これは余程慎まなければならないことである。本文(*易経で、澤水困の下から三番目の爻の意味を解説したもの)には『石に困み、蒺藜に拠る。その宮に入って、その妻を見ず。凶なり』(*前に進もうとしても大きな石が立ち塞がり、荊の上に座っているようで居たたまれず、しょうがなく我が家に帰れば、妻の姿が見えない。凶である)とある。大過の裏面生卦で言えば(*澤風大過の六つの爻の陰陽の卦がすべて反対になった場合を考えるという意味。占筮は一つの卦を色んな角度から見て行う。すべて逆にすると、山雷頤の卦となる)、女は艮☶と言う背面を見せ、男は震☳と言う怒りを起こす象で、甚だ好くない卦だが……、待てよ、エーと、巽☴(*澤風大過の内卦の卦。内卦は内心を表しているものと考える)は従うなり、入るなり、和らぎなり、他から見れば悦びだから、ハハァお前、この女には今から余程気があるな。ますます怪しからんことだ。大方それに家を吹き壊されて、自分は腎虚する基だ。よし、先ずこれはこれとして、次に後の口を見た上で、最後に両方合わせて判断を下してやろう」と、又例のがちゃりぱちぱちをしばらく繰り返していたが、卦面を見詰めて前のエヘンと寸分違わない咳払いをして口を開き、
「本卦は水雷屯、之卦は水地比。屯は困と同じで不自由の姿であるが、困よりは考え方にしっかりとしたところが見えるから、この話についてはお前の考えは浮ついてはいないと見える。比は比和の意味で、人の心の美しい働きである。屯の内卦の震☳変じて坤☷となったのは非常によろしい。昔、畢萬(*中国春秋時代の武将)が晋に仕えようとして、易で占った時に得たのがこの卦とこの変爻で、春秋左氏伝の閔公元年の行にある通り、エヘン、『震は土となり、車は馬に従う、足之に居り、兄之に長とし、母之を覆い、衆之に帰す、合して能く固く安んじて能く殺す公侯の卦なり』と言うほどで、傅(*周易雑卦傅)にも比は楽しむとある。申し分の無い卦だ。しかし、この話の方の女は根性はしっかりしているが、容貌は前のより美しくない。色なども冴えてはおらず、弁才も少し劣る。何事に関しても上へ出るより下に沈む方で、腹の底は中々強いが、表面は控えめな上に、これまでずっと苦労して暮らしてきた者に違いない。お前がこの女を娶れば、特に目立って面白いことはないけれども、段々と日が経つに連れてしっとりとした楽しい日を送るようになるし、その上、金銭も少しは出来るようになる。しかも、女の方から水が土に浸み入るようにお前に真心を尽くしてくるから、お前は別にあれこれ気を遣うことも無く、今まで通り暮らして行けば、無病息災、安楽で済む。が、しかし、この縁談は大急ぎに急いでしなければ他に外れてしまう。孤陽孤陰の卦と言って、卦は良くても、とかく縁談などに関しては空虚になってしまうから、帰って直ぐにでも話を堅めるのが好い。両方合わせて考えると、やっぱり後の口が好い。是非とも後の口に決めるのが好いが、ただくれぐれも早くしなければ空虚になるぞ。判断は一応これで終わるが、決して間違いは無い」と、説き立てられて、煙に巻かれ、急げ急げと言われるので、ますますあわてて、五十銭を取られるのも躊躇わず、落ちた物でも拾うような気になって駈け出して行った。
つづく
※ 昔、ユングの「共時性」に興味を持ち、その流れで、易の本をほんの少しですが、読んだことがありました。なかなか興味の尽きない易ですが、難しくて、途中で頓挫してしまい、そのままになっています。今回、この易に関する文章を読み、再び易を勉強してみようかという気にもなりました。