幸田露伴「きくの濱松」現代語勝手訳(12)
其 十二
正太郎はその夜更けるまで雑念に心乱れて眠られず、夜明け近くまで秋を我が物顔に鳴く床下の蟋蟀の声々を耳にしていたが、夜も明けようとする頃、やっと眠りに入った。しかし、翌朝早く、乙吉ががたぴしと台所仕事をしている音で眼を醒ますと、直ぐに朝飯もそこそこに急いで我が家を出て行った。
東の市街外れに蟲齋と名乗る怪しい人物がいる。魚の串か団子の串か、得体の知れない竹串を捻り散らして、大胆不敵にも他人の身の上を『吉』とも言い、『凶』とも言う。高慢な顔つきをして虚仮威しの難しい文句を並べ立て、山墳連山、気憤帰蔵から周易までの三易を生呑みにしたような大言を吐き、天地陰陽、有形無形、森羅万象何もかも、俺の分からぬことはないと、三世(*前世・現世・来世)を見透し、五臓(*心臓・肝臓・肺臓・脾臓・腎臓)を見破る吾が眼力は、遠くは天眼を得た阿那律尊者(*釈迦の十大弟子の一人)、又は薬王樹(*病気に効果があると信じられていた枇杷の木)を持っていた耆婆(*釈迦と同時代の医師)にも劣ることはないと豪語する。そして、他人の心配や不幸せを自分の食い物にするあくどい商売をしながら、二言目には勿体なくも、聖哲(*釈迦や孔子など、知力・徳行にすぐれ、物事の道理に明るい人)を一つ穴の狐かなんかのように自分の味方として引き出し、罪のない男女に無茶苦茶な判断をしてやれば、誑かされる愚夫、愚妻は、占い者が蔭で自分達のことをお客様ではなく、亡者、亡者と言われていることなど知らないで、親にも明かさず、子にも明かさない秘密まで洩らして相談をし、くれる返事の曖昧模糊の何が何やら解らないのを自分の気持ちから買い被って、
「成程、思い当たります」と、感激し、尊敬、信頼する人間も少なくない。
無学の悲しさ、正太郎は何を頼りにしていいのか分からず、耳に挟んだ噂に縋って、蟲齋先生の判断をお願いしようと、自分の考えは半分抜け殻のようになって、五、六町ほど歩いていると、
「おい、果報男め、どこへ行く。まあまあ、一寸寄っていけ。吉事を聞かせてやろう」と、無理に袖を引っ張るのは、過般会ったのを幸いと、
「小生もいよいよ女房を持って身を固めようと覚悟を決めましたので似合うようなのがございましたらお世話をお願いいたします」と、身を堅くして頼んでおいた小間物屋の卯平次で、これも親の代からの知り合い。自分とは歳が倍以上離れた薬缶頭のひょうきんな老夫である。
さては、ここにも嫁の口があってのことかと思いながら、心は急いていたが、振り切ることもしかねて、引かれるままに内に入れば、老夫と配せるにしては歳の若いべたべたとした妻まで笑みを湛えて立ち迎え、店の後ろの薄暗い一室に通され、茶も一服飲んだ後、いつものひょうきんさに似合わず、分別くさい咳払いなどをして、
「吉事と言うのは他でもない。過般の話だが、こんな話が昨日ぶつかってきた。実は肝心の本人を見てから話をしに行こうと思ったが、前から知っている儂の嬶の話では、容色も十人並み、家事一般の手業もそれなりにできるそうで、支度もこう言っては怒られるかも知れないが、まず借家住まいをしている人には過ぎるほどだという。実を言えば、実家は近在の農家でかなりな暮らしをしているが、一旦縁づいての出戻りだ。しかし不縁になったのも決して本人が悪いといったものではなく、先方の男が養子で、どうやら養母と怪しいとのことで、とかく揉めに揉めた末、到底これでは行く末が見込めないということから、親が見限って引き取ったという訳だ。だから、今度は身分はどうでも心が清しくて、面倒の無いところへ縁づけてやりたいとの親の考え。お前なら差し当たりそれに叶っていると思うのだが、どうだ、会ってみる気はないか。まあ男は初縁なのに女は再縁というのが一寸気が進まないかも知れないが、見るのも一つの楽しみだぞ。見てみればいいわ。見て、お前が厭なら、事によってはこの俺が古狸を放り出して貰うかも知れん。ハハハ」と笑えば、女房も笑って、
「いけ好かない老夫様、おふざけなさるな。見るなら、正様、私がお供いたしましょう」と、右左から勧め込む。
女はとにかく、心が清しくて面倒のない男に縁づかせようという、その親の考えは聞き所だなと、これにも正太郎は心が動いたが、それにつけても蟲齋先生の易で占ってもらって、吉凶を知りたいので、曖昧な返事を返して、
「どちらにしても、又帰りに伺います」と、卯平次の家を飛び出した。
根継ぎ(*柱の根元の腐った部分を新しい材に取り替えること)こそしてある門構えであるが、小さい式台付きの玄関は何かいわくありげな感じである。
そこに耳の遠い爺の挨拶が尊大なのにまず肝を抜かれて、正太郎、おずおずと座に着けば、床の間には庖丁の『庖』の字を初めとして艾の包み紙で覚えていた『神農』という字、『黄』という字、『湯』という字など、読めない字が沢山交じって書かれてある大きな幅が架かっており、その前には白木の三方(*供物用の台。神仏に物を供えたり,儀式の時に物を載せるのに使用)や青銅の香爐などが並んでいる。難しそうな書物が積み重なったのを右にして、広い机の前に悠然と座り込んだ霜降り頭の人物、「先生でしょうか」と聞く間もなく、白眼の黄ばんだ眼で正太郎をぎろりと睨むが早いか、嗄れた声で、
「ムム、お前は女のことで来たな」と、一言も言わない先に見透されて、言葉も出せず、正太郎はたちまち肝を奪われた。
つづく
※ 「山墳連山、気憤帰蔵から周易までの三易」とあるが、「山墳連山」、「気憤帰蔵」はそれぞれ中国の夏王朝、殷王朝の易である。いずれも、存在したことは認められているものの、現実の資料は発見されていない。現在の易は周代の「周易」である。