幸田露伴「きくの濱松」現代語勝手訳(11)
其 十一
「吾家の亭主はあの子の叔父に当たるので、時折出入りするから、近所のことなのでお前も見知っているかも知れないが、縁に繋がっているこの婆のことゆえ、双方に甘いことを言ってまとめようなどとは全く思ってはおらん。箪笥、長持、吊台とまでは、実のところ支度も出来ず、眼の前に押し出して、『嫁でございます』と偉そうに言いにくい状態だとは、まず断っておきますぞ。親でもいたら又そうでもあるまいが、何を言うにも親父は七年前、母親は四年も前に亡くなって終って、他に兄弟は無し、本当に不憫な独り者。鮫皮でさえ、親の無いのは廉価というのに、まして女の子は親が無くては三割も四割も減価るのも当たり前と、吾家の夫婦が可哀想に思って、あの京屋という大家の小間使いに入れて置いたのだが、気立てが好いやらかして、あそこの奥さんの気に入られて、衣類も少しずつ貰い溜める、頭に飾るものも貰い溜めるして、結局一人で身の回りをこしらえたようなもので、今ではこれまで着たきり雀のように、二た子の袷ばかりを着て来る様なこともなくなった。縁談というものは、無理強いはできないけれど、周りを飾る表具よりも中身の画が本当の品と言うように、肝心本尊の当人を見て、あれなら一生連れてやろうと思ったら支度の無いのは許してくだされ。苦労は随分知っている娘で、帰る家は無い孤児だから、辛抱が出来ないというような甘えたことは絶対に無いと真実この婆が請け合う。とにかく一応見る気はないか。見たいというなら、何時でもお前の都合次第でそれとなく呼んで見せるが……。何と、正様は気は無しか? 気が進まんと言うのか?」と、婆は無闇矢鱈と喋り続けるその横では、早くも乙吉が睡倒けて、高鼾をかいている。
思った通り、いよいよあの黒子女なら、歳も相応、容貌も厭と言う方では無し。眼の下の黒子は涙黒子と言えば気に掛かるものの、婆の話では気立ても良さそうである。孤児と言えば、厄介や面倒が自分の肩に掛かってくる気遣いも無いし、ただの娘よりは幾分世馴れて、浮き世の苦労も他人の中で揉まれただけに知っているはず。支度なんぞは我等風情のところに来るのであれば、最初から充分なものは望んでおらず、万一立派な支度を持って職人の我等の家に来るのであれば、それこそ再縁とか、身体に欠陥があるとか、どこかにそれなりの理由があるはずだから、こっちとしては劫って望ましくない。婆の言う通りなら、十の内八分までは難点は無く、丁度似合った縁ではあるが、傳吉が言ったように、悪いことは女房にもらった後、幾つも出て来て、それを我慢しなければならないかも知れない。決めた後で、我慢できないほど悪いことは出て来はしないか。観音様の御籤では『凶』。婆の言葉では全くの『吉』、傳吉がふざけ半分で言ったところでは、『結局詰まらん、無益な話』。もらおうか、止そうか、止そうか、もらおうか、ええ、迷う。明日、八卦見(*易占い)に見てもらってどちらかに気持ちを固めようか。オオそうだ、玉山めが過般顚倒だとか言いおったが、貰うのが顚倒か、止すのが顚倒か。いっそ貰ってしまうと決めようか、いやいやどっこい、それは六十年を骰子博奕の樗蒲一に賭けるようなものだな。ええ、ひと思いに断ってしまおうか。婆は怒るだろうし、俺は何時までもこの態だろうし、うーん、何と返事をしようか、とにかく一応見合いをしてみるとだけ今は言っておこうか。しかし又、そうすれば断る段になって骨が折れる。ああ困った」と、今更のようにへどもどして、いたずらに持った火箸の先で豆のようになった火を摘まんだり放したりしていた。
考えに考えてようやく考え出した返事は、
「そのお話しの娘なら、実は見たことが無いでもないので、別に見合いというようなこともするには及びません。いずれよくよく考えた上で何とかご返事いたしましょう」と、生煮えのような返事をした。婆は、
「それなら今日はもう夜も更けた。又来ましょう」と言って帰ったが、戸締まりをした後、床についても正太は寝付かれず、寝ながらまた『観音籤 第七十一番』を拡げて見た。
『道業未成らざる時、何ぞ期せん。両ながら宜しからず。事煩わしくして心緒乱る。翻って作す意徘徊』
ええ、何のことだか解らない。第一両ながら宜しからずとあるのが、貰うのも止すのも両方とも宜しくないというのか。それとも、この他に又、もう一つ話があって、それも宜くないというのか。少しも解らない。観音様も不親切な……。
つづく