第2章 4-4 テツルギン侯
(維持費がたいへんそうだな……)
施設管理をしていたこともある桜葉の最初の感想が、それだった。
敷地の隅の、専用の竜場へゆっくりと降りると、すぐに乗降台が用意された。係の兵士や使用人に案内され、二人は裏口より宮殿に入った。目も眩むほど豪勢というでもなく、質素というでもない。ほどほどの煌びやかさで、桜葉は好感が持てた。
大きな両開きの扉の前で、クロタルが止まる。クロタルはさっそく何かのジェスチャーのような仕草を始めた。けっきょく桜葉が付け焼刃では覚えられなかった、謁見の作法だ。桜葉が突っ立っていると、
「ンン、ンンッ!」
侍従と思わしき中年人物が、イェフカを横目で睨みながら咳払いをした。が、どうしようもない。
「すみません、報告のとおり……」
クロタルに云われ、侍従が舌を打った。
係の者が扉が開け、クロタルが複雑なステップを踏みながら先を歩く。これも作法だという。桜葉はこのステップも覚えられなかった。そのため、スタスタと後ろをついて歩いた。
控えて玉座の周囲に立っている十数人の貴族? 階級の者たちが、イェフカを見て眉をひそめ、男女ともボソボソと囁きあった。しかし、魂魄移植の副作用で記憶が一切なくなったと報告を受けており、どちらかというと好奇の視線が強かった。
クロタルだけ、舞踊めいた複雑な動作をしばし続け、やがてゼンマイの切れた人形めいて直立不動となった。
(こんなもん三日で覚えられるかボケ)
桜葉は心中悪態をついた。まるでバレエだ。
「ロギィ=コオ・アー・デル・ヴァン・ア・ラウ・デ・アータン・ティ・ェエー・ツゥー・ル・ギィン方伯の御なーりー~」
ぼわーんという金属打楽器の音ともに独特の抑揚で侍従が歌うように声を張り上げると、桜葉を除く全員がいっせいに短いステップを踏んで優雅に両手を上げ下げし、再び直立不動となった。
(方伯?)
桜葉は聞き逃さなかった。
(なんでえ、やっぱりここでも選帝侯は職名で、正式な称号は方伯だ。ここは、選帝侯国じゃなくって方伯領。選帝侯国は通称だ)
方伯は分かりやすく云うと、伯爵の一種である。ただの伯爵を含め、方伯、宮中伯、辺境伯、城伯などをひっくるめて伯爵と総称すると考えると分かりやすい。ただし、辺境伯は文字どおり辺境で異民族や他国と接しており、侯爵に匹敵する権威や兵力、領地を持つ場合が多く伯爵の中でも別格と云える。
上座の出入り口より現れた人物は、選帝権を受け継ぐ帝国の伯爵であった。
貴族然とした豪奢な服を着ているが、やはりじっさいに桜葉の知っている十八世紀ヨーロッパ王宮貴族の装束とは少し異なっている。それが、未だにちょっとコスプレ感を拭えない。
人物は、若いのか年なのかよく分からない顔だちをしていた。ヒゲがなければもっと若く見えるだろうし、ヒゲのせいで年嵩に見えているのかもしれない。ゆっくりと歩きながら現れ、壇の中央の椅子へ座った。やけにマユゲが濃い。
「ロギコー・アーデルヴァナ・ラウダータン・テツルギンである」
確かに、桜葉の耳にはそう聴こえた。声を聞くに、三十代中程か。
桜葉が無言でテツルギン侯を見つめていると、周囲が少しざわついた後、クロタルが声を発した。
「代わりにお答えすることをお許しください。こちらが、スヴャトヴィト博士の新作、スヴャトヴィト式零零参型ドラム『イィェフカ』にございます」
(正式? には、イがちょっと伸びるんだ……)
桜葉がそんなことを思ってクロタルを見たとき、テツルギン侯が手を上げる。
「かまわん。移植の副作用で、記憶が失われたと」
「いかにも」
「余が、なにを話しているのか、分かるか?」
「え」
桜葉、自分が話しかけられたと分かり、クロタルから侯へ視線を戻した。




