第2章 1-5 零零四型
そう思うと同情しかない。向こうは死にかけの生身の肉体で、しかも男。何の変哲もない、今時の独身中年サラリーマンだ。
(……落ち着こう……落ち着くんだ……こうなったらもうどうしようもない……こっちでやれることをやってくしかない……すべて放棄したって、死ぬしかない……この身体で死ねるかどうかわからない……わざと試合に負けて、魔力炉を交換されたら死ねるの……か……?)
晴れやかな天気をよそに鬱々と考えだし、思わずクロタルへ、
「ね、ねえ……クロタルさん……」
「どうしました?」
「おね……お願いがあります」
「なんですか」
「あ……あたしはもう、どうなってもいいので、もう魔力炉を交換? してください。……クロタルさんが、あたしの代わりにイェ……」
桜葉は泣きそうになった。しかし乾いた眼玉からは、涙など流れない。声だけ詰まらせ、
「イェフカをやってください」
クロタルが、たまらず桜葉を抱きしめた。香水などつける身分ではないのか、独特の体臭が鼻をくすぐる。しかし、不快な臭いではなかった。どこか懐かしい、心が落ち着く匂いだった。
「どうか博士と……何より自分を信じて。アナタはイェフカに選ばれた……アナタこそが、まぎれもなくイェフカなのです」
「う……」
クロタルは、しばし桜葉を抱きしめ続けた。
そしてそっと離れ、桜葉が見たこともないような笑顔をむけた。
「それに、現実的な話をしますと、もう魔力炉を交換するような資金はありません。あなたが試合に勝って、賞金を得ないと、零零四型の研究もままなりません」
「…………」
桜葉も、急に現実へ戻された気分になった。どこかで聞いたような話だ。予算を使い果たし、プロジェクトがうまくゆかないと次の予算も確保できないという。いや、もっと事態は深刻かもしれない。自転車操業の中小企業めいて、事業を少しでも回さないと銀行に金を借りられず資金ショートでゲームオーバー。
「賞金が出るんですか」
「出ますとも。全国大会では、さらに高額な」
「零零四型」
「博士が基本設計を開始しております」
もしかしたら、それへクロタルが入れるかもしれない。桜葉は贖罪意識も出てきた。自分が頑張ったら、クロタルへチャンスを与えられるかも。
「……ここだけの話、博士も高額で雇われておりますので、結果を出さないことには、地位的にも信用的にも次がありません」
(いまおれが降りたら、おれだけじゃなくみんなアウトなのか)
少し、やる気が出てきた。
桜葉はいきなり立ち上がってクロタルを驚かせつつ、
「すみません。もう迷いません。記憶はたぶん……戻らないと思います。最初からやり直しです。お世話になります。よろしくお願いします」
そう云って、クロタルへ深々と頭を下げた。クロタルは、本当に戸惑った顔をしていたが、自分も立ち上がって同じように頭を下げた。桜葉はそれに気づいていなかったので、しばし二人してお辞儀しあっている奇妙な光景が牧草地の側で見られた。
「……な、なにやってるんですか、頭を上げてください」
気づいた桜葉、あわててクロタルの頭を上げさせる。
「よくわかんないけど、あなたがこうしてるから、私も……」
クロタルがそうして笑った。何かをふっきった笑顔だった。
(そうか、お辞儀の習慣がねえのか……営業の悪い癖だ。やっちまった)
二人して軽く笑いあい、連れ立って厩舎へ戻った。桜葉はクロタルの表情が随分と和んだことに、まるで気づかなかった。
厩舎へ着くと、先ほどの若い職員が、仲間数人と共に一部屋ずつドラゴンの敷き藁を取り換えていた。
「落ち着きましたか」
桜葉を認め、駆け寄ってくる。




