第1章 2-10 イェフカ
やはり、何もかも知らないふりをしてしばらく過ごすしかない。
(じっさい、しらねーしな)
こんな大きい施設なので食堂もさぞや広いと思ったら、意外と狭くて驚いた。
「さ、どうぞ」
「あ、はい」
「どうしました?」
「いえ、あんがい、狭いんだなって」
ああ、と職員が声を出す。記憶などが失われているということが、知れ渡っているようだ。
「こちらはドラム専用ですので、落ち着いて食事ができますよ」
「ドラム専用」
なるほど。それならば、四人で食べるには広い。二十人はゆったりと食事ができるレストランに見えた。
「じゃ、遠慮なく……」
遠慮して隅のほうの席へ着くと、係員がさっそく大きな皿に盛られた山盛りのパンや肉、シチューのような煮込み料理を出してくる。水も大きな水差しが用意された。しばし、ナイフとフォークに似た食器で遠慮くなくバクバク食べていると、練習が終わったのか三人のドラムたちが入ってきた。三人とも談笑していたが、桜葉……いやイフカを見やって立ち止まった。
「……これは新型さん、今日からこっちへ?」
ニヤッと口元を曲げて最初にそう云い放ったのは、背の一番高いアークタだ。唐突だったので、桜葉はどう挨拶をしようか一瞬、迷った。営業時代ならばペコペコ頭を下げて名刺を渡すだけだが。
その、食べかけの姿勢で硬直した姿を見て、三人は少し困惑したような表情をうかべる。
「本当に、私たちを忘れてしまったの?」
眉をひそめたのはランツーマだ。と、いうことは、少しでも知り合いだったらしい。
「しょせん、不安定な試作機だわ。いくら性能が段違いといっても、稼働が不安定では使い物にならない。ちがう?」
背は真ん中だが、やけにグラマー体系が云う。誰だっけ。桜葉はクロタルの言葉を思い出そうとした。名前が出てこない。
「そう云うなや、ユズミ。侯が決めたことだ」
そうだユズミだ。
「そもそも、それが気に食わないの」
「気に食うとか食わないとかの問題ではないよ」
ランツーマが眉をひそめて早口をきいた。
「いいこと、イェフカ」
ユズミが前に出る。桜葉はまだきょとんとしていたが、自分のことだと分かって、
「な、なんでしょう」
「博士が選んだのかどうか知らないけど、私たちのこの体には、七選帝侯国の税金が使われているんですからね。ど素人とはいえ、はやく馴染んで、まじめにやってもらわないと。クロタルや他の候補も、泣くに泣けないのよ」
「はあ……」
「何、その気の抜けた返事!」
まあまあ、とアークタがユズミをおさえる。
「移植の副作用で記憶がおかしくなってるみたいだから……少しずつ思い出すさ。なあ」
「あ、はい」
「フン……!」
ユズミがアークタの手を払いのけ、離れた席へついた。残った二人も、やや戸惑っていたが……同じ席へそろってついた。
(イェフカ……イフカかと思ったら、やっぱりイェフカなんだな)
口の形を見て、桜葉は漠然とそう思った。
(そして、こっちでも一人飯……っと。ああ、一人で食う飯は気楽でうまいねえ)
ものすごく面白くなかった。ヤケ飯でさらに食い続け、三人が席を立ってもまだ食べていた。
「食うねえ」
部屋を出るアークタが感心してつぶやく。
「魔力炉がそれだけ、高出力なんだよ」
「フン! ……せいぜい、大飯ぐらいのナントヤラで終わらないようにしてね」
三人が出て行ってしまい、桜葉はさらにむかついて今食べていたビーフシチューのような煮込みをお代わりしようと思ったが、ぴたりと食欲がなくなった。
「ごちそうさま」