3日目
いつの日だったか。有名な某ゲームの夏休みは、ある特定の行動をすることによって8月32日に突入するんだそうだ。なんとも幸せな話である。終わらない夏休み。幸福な夢だ。
今か今かと開かれるのを待っている宿題達など放っておいて、僕はそんな夢を願いながら、僕のやりたいことをやる。
と、いっても何か予定があるわけではない。どうしたものかと考えていると、ふと思い出したことがあった。
そう、ゲーセンで出会った女の子の存在である。
「電話、かけてみるか」
連絡先を交換したということは、そういうことではないのだろうか。電話をかけてきても良いという意思表示に間違いない。しかし、童貞である自分に、それを判断するにはあまりにも経験値が低すぎた。
「仕方ない」
仕方がない。こういう時こそ、人を頼るべきなのだ。持つべきは信頼できる人間である。自分に知恵を貸してくれる大切な人を持つことだ。
さて、では僕の相談に乗ってもらうことにしよう。
「『今日、君にそっくりなAV女優を見つけたんだ!』とでも言えば、きっとうまくいきますよ」
僕の信頼すべき、愛すべき琴乃からの助言は大層突飛なものだった。
なるほど、そう言えば良いのか。さすが琴乃! 為になる!
「んなわけねぇだろ!」
朝からノリツッコミさせてるんじゃない!
「痴がましいと思いますよ」
「なにが!?」
「下等生物に電話をかけられて迷惑しない女の子はいません」
「お前は下等生物の妹なのか!?」
「こんな兄を持ち、恥ずかしい限りです。」
「もしかして昨日、友達に「恥ずかしながら」とか言ったのはそういう意味だったの!?」
「……」
否定しろよ!!
「そもそも、兄さんにはまだ早いです」
「中学一年生の妹にまだ早いと言われるのはどうなんだ」
「まだ兄さんは人間として出来上がっていません」
「僕は人間だよ!」
人格的な問題を言ってるのだとしたら、確かに僕は出来上がっていないかもしれないけれどね!?
琴乃が真面目に相談に乗ってくれない。困ったな。僕は琴乃以外に相談できる相手がいない。
「兄さんはぼっちですからね」
「うるせえ」
ネットの向こうにはたくさんいるんだよ。
だめだ。琴乃には頼れない。ここはもう童貞とか経験がないとか、もうそんなことは言ってられない。自力で越えていくしかない。
しゅた、と片手を上げて、琴乃の部屋から出ていく。
「邪魔したな」
「邪魔でしかなかったです」
口が減らない妹だ。
自室に戻りながら考える。女の子を自然に遊びに誘う方法。それはどんなものだろうか。
電話で誘うこと自体があまりよろしくない可能性がある。ここはメールが無難だろうか。しかし、メールだと簡素な感じになってしまって、遊びたい!という気持ちが伝わらない可能性があるんじゃないのか。
やはり電話か。
「アイスでも食って糖分を取るか」
糖分は大事だ。
リビングの冷凍庫の中には、確かまだハーゲンダッツが残っていたはずだ。それを食べながら、慎重に考えることにしよう。
しかしながら、僕の考えは一瞬にして裏切られることになる。
「……ないじゃないか」
ハーゲンダッツが無かった。僕のハーゲンダッツが、無くなっていた。
おかしい。確かに昨日、琴乃と○▲モールから帰宅した時、冷凍庫の中にはハーゲンダッツがあったはずなのだ。どうしてなくなっている。
というか、可能性は一つしかない。
「琴乃のやつ……!」
ちゃっかりと食べやがったなあいつ。
許せん。僕のハーゲンダッツを。今の僕にとってそのハーゲンダッツの糖分こそが生命線だと言うのに、どうしてくれるんだ。
これは、妹に「お兄ちゃん大好きだから許して?❤︎」くらい言わせないと僕の腹の虫が収まらない。
僕は妹の部屋に突入した。
☆ ★ ☆
「ニーサンダイスキーダカラユルシテー」
無表情×ジト目のいつもの表情で、抑揚もない三文芝居を見せつけてくる琴乃の頭に、すかさずチョップを入れてやる。
「んわあっ」
「反省してないな」
「痛いです」
琴乃はチョップされた頭を両手で抑えながら、僕を見上げてくる。睨んでこないあたり、一応罪悪感はあるらしい。
「昨日食ったのか」
琴乃は素直にこくりとうなづく。
確かに、僕が風呂から上がって部屋に向かう時、琴乃がリビングでテレビを見ながら何か食べていた覚えがある。確かにあれはハーゲンダッツだったような気がする。
「とても美味しかったです」
「ハーゲンダッツだからな」
「怒ってるんですか」
「いや、別に怒っちゃいねえよ」
怒ってはいない。琴乃とこうして話せるだけで、もうなんだかどうでもよくなってくる。琴乃は魔性の女だ。
「兄さん」
「なんだよ」
「女の人と、仲良くなりたいんですか」
ん? さっきの僕の相談の続きか?
「まぁな」
「悪いことをしてしまいましたし、ちゃんと相談に乗ってあげます」
「まじか!」
おおお!
これはまたとない機会だ。ハーゲンダッツが無くなってテンション下がり気味だった僕を神様は見捨てなかったんだ。
「まず、その女の人のことをどこまで知っていますか」
「え? あー、まだ全然知らないかな」
「何か思い出してください」
「格ゲーが好きとか言ってなあ」
そもそも、知り合いになったのも格ゲーで対戦したからだし。
「じゃあもうそれでいいでしょう」
「ん?」
「『久しぶり。今日また格ゲーしに行くんだけど、居たりする?』くらいでいいと思います」
「え、もっとこう、会いたいアピールしなくてもいいの?」
「気持ち悪いです」
「ええ!?」
童貞の僕には分からない何かがあるのだろうか。
琴乃はわざとらしく両手を上げて、ʅ()ʃ←こんな感じのポーズをとった。
「出会って少ししか話したことない男の人から、露骨なアプローチがあったら、基本的に女の子は嫌がるものです」
「え、あ、そうか」
「下心が丸見えですから」
「し、下心なんかないぞ! ただ普通遊びたいだけだ!」
「ですが、うまくいくなら?」
「友達以上に……」
「論外です」
くそお。琴乃には嘘がつけない!
そりゃ僕だって男だぞ!? あわよくばと思ってしまうものじゃないのか!?
「女の子はそういうことに敏感なものです」
「お、乙女心ってやつか?」
「全然違います。プランクトンからやり直してきてください」
「プランクトンから進化してきたわけじゃねえよ!」
「兄さんが隙をついて私の下着を取ろうとしていることが分かるくらい、女の子は敏感なんです」
「言いがかりだあ!」
それわかってないからね! 見当違いだからね!?
「仕方ありませんね。ケータイ貸してください」
「え、あ、あぁ」
琴乃にスマホを手渡す。
なんなく指紋認証を突破して、なにやら操作している。メールを打ってくれているんだろうか。
僕のスマホは結構他に比べて大きめなので、妹が持つと、かなり大きいようだ。両手で支えてる姿が、なんとも愛らしく見える。
そんなことを考えてる僕に、琴乃が「どうぞ」とスマホを返してきた。
「なにしたんだよ」
「見ればわかります」
言われて、僕はスマホの画面を見る。画面には『削除しました』の文字がはっきりと映っていた。
なにを削除したのか、言うまでもないだろう。
「なに連絡先消してんだよ!」
「そんなものがあるから、うだうだ悩んでしまうんです」
極論過ぎませんかね!?
「そんなことよりも」
そんなこと、とすぐに脇に置かれてしまう兄の連絡先案件。
妹にとっては、兄の連絡先より大事な案件があるようだ。いいだろう、聞いてやる。
「なんだよ」
「スーパーにハーゲンダッツを一緒に買いに行きましょう」
ん?
「え? まじで?」
「はい。何かおかしいことがありましたか」
「いや、なんでもない。いいぞ、行こうか」
ん? 『一緒に』?
「はい。では、着替えるので部屋から出て行ってください」
「俺も着替えてくるよ」
琴乃の部屋を出る。
……今、一緒にって言ったよな。琴乃から、一緒にって。
しかも、○▲モールみたいな1人では行きにくい場所じゃなくて、1人でもいけるスーパーに。
1人ではなく、僕を誘ったのだ。
「……」
自室に入る。
「……いよっしゃー!! 滾ってキタァァァア!」
久しぶりの琴乃からのお誘いである。これを断るはずがない! なんて幸せな日だ! 今日ほど幸せな日はないぞお!
僕が自室で大声をあげて喜んでいる声を聞いた琴乃が「バカですね……」と紅潮した呆れ顔をしていることなんて僕には分からないけれど。
僕は女の子の連絡先を消されたことなんて、すっかり忘れて、舞い上がる想いで、クローゼットを開けた。
この兄妹のこんな絡みが見たいとかあれば、感想まで。