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アルヴァディーンとの戦いで腹部に大穴を空けられた男子生徒だが、学校についてすぐにそれらしき人物を見つけた。というのも、朝のホームルームが終わっていつものごとく四宮と雑談に興じていると、見知らぬ男子生徒が教室に入ってきたのだ。彼は赤坂の席の前で立ち止まり、二、三言葉を交わすと、赤坂の手を引いて教室の外へと出て行った。クラスメイトはここぞとばかりに騒ぎ立てた。やれ付き合ってるだの、やれ秘密の談合だの。お前たちもういい歳なんだから、誰が誰と付き合おうと陰でそっと見守ってやるのがクラスメイトってものだろう。いくら俺が『観測者』だからといって、わきまえる時はわきまえるものだ。
四宮との会話を適当に打ち切ると、脱兎の如く教室を飛び出した(扉を開ける際は左手を使った)。もちろん行く先は赤坂と男子生徒の向かった先だ。
さて、赤坂と教室を出た男子生徒だが、やはり件のハンマーを振り回していた生徒で間違いないようだ。カッターシャツにうっすらと浮かび上がった包帯の影、目を凝らせば見える赤黒い血痕。そのどこにでもいそうな風貌。俺は心底安心した。とりあえず元気そうでよかった、と。もしアルヴァディーンの一撃が致命傷となり、あえなく命を落としていたら、目撃者として俺のナイーブな心は猫の爪砥ぎ痕のようにズタズタのボロボロになっていただろう。
2人は例によって、階段の踊り場で、『明らかに聞かれてはまずい話をしている』雰囲気を醸しだしている。確かに学校において、人目につかず内緒話を出来る場所はごく限られてくる。階段の踊り場はその最たる例だ。あとは空き教室か、旧校舎か、もしくは普段封鎖されている屋上ぐらいか。掃除用具入れに閉じ籠ってみてもいい。
俺は壁に寄りかかり、聞き耳を立てた。不思議と2人の会話は鮮明に聞こえてくる。俺の聴力が予想以上によかったか、あるいはこれも『マスターキー』のおかげなのか。
以下、2人の会話を簡単にまとめてみた。
赤坂はこちらに越してくる前は、『リベレート』の海外支部で活動をしていたらしい。つまり帰国子女だ。対してこちらの地域では、『リベレート』の人数と現れる魔族の数が釣り合っておらず、赤坂を含む数名の海外支部勤務者を日本に派遣した。しかしどうも話がうまく伝わってなかったらしい。男子生徒は魔族出現の一報を受け、『四次元半』に出向いてみれば、何と見覚えのない銀髪女子生徒が魔族と戦っているではないか(ちなみに赤坂が銀髪だということに一切のコメントはなかった)。男子生徒は赤坂のことも魔族かその関係者だと思い、双方に警戒を向けていた結果、腹を貫かれたらしい。言い訳か。
先頭不能になった男子生徒を庇いつつでは、アルヴァディーンに勝てないと察した赤坂は、急遽『四次元半』から脱出。自分の素性を男子生徒に明かし、現在に至る。
ちなみに男子生徒の傷についてだが、曰く『傷の治りが早いのが取り得』らしい。もはや人間の自己修復能力だけで解決できるような傷ではないと思うが、当事者が言うのだからきっとそうなのだろう。
昼休みの開始を告げるチャイムが鳴ると、俺は弁当も食べずに屋上に上がった。幸い屋上の鍵は施錠されておらず(管理不行き届き)、誰もいないことを確かめて手をパンパンと鳴らした。
「およびでしょうか」
まるで召使だな、とリエルの勤勉さに感心しつつ、彼を手招いた。
わざわざ人目のつかない屋上まで来てリエルを呼び出したのは他でもない。授業中ふと重大なことに気がついたからだ。男子生徒の名前が結局分からず終いなことではない。弁当を家に忘れてきてしまったことでもない。
『神さまの観察会』の終わりについて、だ。
俺はなるだけ他の主人公や関係者と関わりを持たないよう、物語に干渉しないよう、そいつらが誰なのかを見極めている最中だが、果たして全ての主人公、関係者を見極めたとして、俺の『観測者』の肩書きは死ぬまでついてくるのではないか。
結局は臭いものに蓋をしているだけだ。俺が求めているのは平穏な日常だが、それを追い求めるために、常に警戒しながら生活を送るのは、やはり違う気がする。
俺は臭いものをなくしたいのだ。部屋に嫌な臭いが発生したのなら、消臭スプレーを狂ったように振り撒くのではなく、臭いの原因となるものを取り除きたい。
だが現実世界で当てはめるとどうだろうか。『臭いもの=主人公とその関係者』と当てはめると、俺が望む平穏を手に入れるためには、つまり彼ら彼女らをこの世界から排除しなければならなくなる。流石にそれは穏便ではないやり方だ。果たして彼ら彼女らを排除した世界が、俺の望む世界なのかと問われれば、今のところは違うと答える。そもそも俺にはそんな技量も度胸もない。
では彼ら彼女らが『普通』になればどうだろうか、とも考えたが、リエルの言葉が頭をよぎった。この世界は俺が『観測者』に選ばれる前からずっとこの世界のままなのだ。
彼ら彼女らこそが『普通』であり、むしろ『普通』でないのは、唯一神からの手ほどきを受けた俺の方だ。ともすれば、変わるべきは俺の方。俺が『観測者』でなくなってしまえば、『普通』でない世界にも気付かないままで平穏な日常の中に沈んでいくのではないか、と。
つまりは明確なゴールが欲しいのだ。人生という長い道の中で、永遠に『観測者』という荷物を背負って走りたくはない。例えば何かの節目にでもその荷物を下ろさせてはもらえないだろうか、と俺は提案した。定年になったら、とか、実家の後を継ぐタイミングで、とか。
「ちょっと待ってください。……ええ、ええ。はい、分かりました」
リエルは右耳を抑えて誰かと話し始めた。相手はなんとなく予想がつく。
「神からの提案です。チャンスは六回。つまり、一回のミスも許されません。あなたを除く6人の主人公を特定し、言い当てることが出来たなら、あなたに科した『観測者』の役を解する、とのことです」
かくして、俺の当面の目標は『主人公と関係者』の洗い出し、そして主人公の見極めとなった。
ちなみに、主人公の選択を間違えたとしてもペナルティはないそうだ。そもそも勝手に『観測者』に選んでおいて、更にペナルティを科していたなら、我を失ってありとあらゆる冒涜の限りを尽くしていただろう。