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さて、一学年上の教科書の内容以上に難解な説明を受けている間も、前方瓦礫の中心では、赤坂とアルヴァディーンの死闘が繰り広げられているわけだが、なんといつの間にやら赤坂の他にもう1人、奇しくも俺と同じ制服を着た男子生徒が、ハンマーらしきものを豪快に振り振りしているではないか。
彼については知らない。もともと他クラスとの交流が少ない上に、この距離からでは顔見知りでもその人物だと断定は出来ない。見た感じで髪色は黒、体格も普通、所謂特徴のない生徒だ。もし仮に、彼が在学中常にハンマーを持ち歩いて離さない変わり者であれば、気が付くことが出来たかもしれない。あるいはハンマーを持ち歩く生徒は存在していて、『観測者』になる前の俺はその異常性に気がつかなかっただけか。いずれにせよ、現段階で男子生徒の素性を知るには情報も距離も足りなかった。
しかしだからといって、アルヴァディーンと他2名の目まぐるしい死闘に、手ぶらで割って入る気もなかった。果たして、何かしらの武器を持たされれば果敢に挑めるかといえば、そうはいかないだろうが。問題とすべきはそこではない。幸いアルヴァディーンも他2名もこちらには気付いていない。であれば、わざわざこちらから出向いて、自分の異常性をアピールする必要もない。ここは『四次元半』。本来俺が入れる場所ではないのだ。
「だいたい、何で俺はここにいる?」
リエルに尋ねた。
「何もしない俺を見かねてお前らが何かしたんじゃあるまいな」
それはなんというか、ルール違反に当たるのではないだろうか。そもそもこの観察会に、ルールなるものが存在しているのか甚だ疑問だが……。
リエルは首を横に振った。
「いえいえ、わたしたちは何もしていません。むしろ、扉を開いたのはあなたですよ」
リエルは俺を指差す。しかし思い当たる節はない。扉を開けたとき既に、この『四次元半』という異世界に入り込んでいたのだ。
リエルは続けた。
「あなたがこの次元に入るために必要な行動はワンステップです」
そう言うと、リエルはホワイトボードに人体の絵を描いた。その右手にぐるぐると丸を描き足す。そして黒マジックを俺に手渡す。俺がそれを受け取ると、リエルはうんうんと数回頷いた。
「人間には利き腕というものが存在していて、とっさの出来事には利き腕で対応するらしいですね。あなたも今マーカーを利き腕である右手で受け取った。それこそが必要なワンステップ。あなたが利き腕の右手で開けた扉は全て、この『四次元半』に繋がるのです」
俺はじっと手の平を見つめた。玄関のドアを開ける際、何の無しに右手で開けたような気がする。曖昧なほど、それは生活の一部として体に刷り込まれていたのだろう。
「そしてここから出る際も同様です。注意して欲しいのは、どのドアを使っても元の世界へ帰ることが出来るという点、元の世界と『四次元半』の扉の位置関係は全く同じなため、適当な扉を選ばないと、一悶着起こしてしまう可能性もあります」
「てことは、俺の家の玄関を右手で開ければ、元の世界の玄関に出る。知らない人の家の玄関を開ければ、知らない人の玄関に出るってことか」
リエルは頷いた。
その直後、鼓膜が破れそうなほどの轟音が轟いた。リエルと揃って耳を塞ぎ、すっかり蚊帳の外に押しやっていたアルヴァディーンと他2名のもとへ目をやる。
なんということだ。アルヴァディーンのその長く鋭い爪が男子生徒の腹部を貫き、背中からにょきにょきと生えているではないか。果たしてとんでもなくグロテスクで衝撃的な一幕に目を背けたくなる衝動を抑え、俺は赤坂の姿を追った。
彼女はすぐに見つかった。アルヴァディーンは自らが貫いた男子生徒だけに視線と取られており、赤坂の接近には気付かなかったらしい。赤坂は後方からアルヴァディーンの背丈よりも高く跳び上がると、そのうなじめがけて刀を振り下ろした。赤坂の腰には装置のようなものもなく、全てが赤坂の身体能力が成した、超人的な攻撃なのだと悟る。
そしてまた耳を劈くような咆哮。赤坂の刃はアルヴァディーンの首の半分ほどに食い込み、切り裂いた。傷口からはどくどくと血が吹き出し、アルヴァディーンはたまらず腕を振り回す。すると、爪に刺さったままの男子生徒は慣性の法則に従って、スポンと飛んでいった。
流石に男子生徒の身を案じ駆け出しそうになるが、それよりも遥かに速いスピードで、赤坂は倒れた男子生徒のもとへと跳んだ。アルヴァディーンはというと、あれだけの傷を負ったにもかかわらず、傷口はこの距離からでも分かるぐらいに見る見る癒え、流血まですっかり止まってしまった。
結構ピンチらしい。さてどうするのかと思いきや、赤坂は男子生徒を抱え立ち上がると、おぼつかない足取りで瓦礫の少ない場所へと移動していく。そして立ち止まった場所に男子生徒を雑に下ろし、手を組んでなにやら祈り始める。
神頼みか? あいにくお前が祈ろうとしている神は人間観察が趣味の変態だぞ?
当然、そうではない。赤坂が手を組んで十秒もしない内に、赤坂と男子生徒を中心に円形の白い魔方陣が地面に浮かび上がったのだ。白く発光するそれが現れて消えると同時に、赤坂と男子生徒の姿もなくなっていた。
「どういうことだ?」
リエルに尋ねる。
「あれは空間転移能力ですね。『観測者』であるあなたはたったのワンステップでこの空間に入ることが出来ますが、あくまで人間の『リベレート』の方々はそうはいきません。ここは魔王神ゼダンが作り出した場所。おそらく複数回の手順を踏まないと、入れも帰れもしないはずです」
俺がそうか、と納得するのと同時に、先ほどよりも大きな怒号が聞こえた。アルヴァディーンがこちらに向かって来ているのだ。といっても俺たちに気付いたわけではなく、ただ足の思うがままに進んでいるだけのように見える。
「おい、早く帰ろうぜ」
俺はリエルにそう提案した。ここでリエルをおいて、さっさとトンズラしておけばよかった、と後悔したたときには既に遅かった。
「魔人アルヴァディーンさーん! おーい!」
なんと、あろうことか、このハンサム天使はその声と体を大きく使って、餌を探すようにのっそのっそと歩くアルヴァディーンに声をかけたのだ。当然、アルヴァディーンはこちらに気付く。もしかして、リエルとは顔見知りの仲なのかしらとうっすら期待していたが、鬼のような形相で吼えたアルヴァディーンを見て、それがどれだけ儚い希望だったかを思い知らされた。
「おい、何やってんだよ!」
そう怒鳴ると、リエルは楽しそうに笑って俺の右手から黒マジックを取り、ホワイトボードに向き直った。
「ではここでチュートリアル。タイトルはさしずめ『四次元半の歩き方』でしょうか」
アルヴァディーンは何度か吼えると、俺とリエルを中心にぐるぐると回り続けた。警戒しているのだろう。何せこちらにはリエルというハンサムな不審者がいるのだ。俺がアルヴァディーンの立場でもきっとそうするだろうと、リエルに訝む視線を向けた。
「ちなみにわたしはアルヴァディーンからも可視されません」
つまりアルヴァディーンが警戒しているのは他でもない、俺だったのだ。何も警戒することはないだろう。何せ俺は『リベレート』でもなければ、魔族に対抗する術も持っていない、ただの人間なのだ。
ふと、リエルの口にしたらある言葉を思い出した。
『マスターキー』。
「おいリエル。ここまでやったってことは何か考えがあるんだろうな」
アルヴァディーンからは見えない、つまり絶対安全圏にいるリエルに、俺は声を荒げていった。
「もちろん、これからあなたにはこの空間での戦いからについてお教えしましょう」
そう言うと、リエルはまたホワイトボードに絵を書き出した。
「そもそも『リベレート』の方々の動力源は『マナ』と呼ばれるエネルギーなのですが、この空間にいるときに限って、あなたには『マナ』が無限に供給され続けるのです」
「『マナ』?」
絵を描き終えたリエルはなぜか黒マジックを俺に手渡す。もともとはお前のものだろうと首を傾げたが、渡されたそれをポケットに収めた。
「ええ、要するにマジックポイント、あるいは気、あるいはチャクラ、とにかくそれは特定の人間にのみ使える上限付の動力源……。なのですが……」
そこまで言って、リエルは肩を竦めた。
「俺はそのマナが天井無しに使える、と」
リエルの言葉を引き継ぎ、答えた。
「ええ、といってもこれは偶然の産物。右手で扉を開くのに大量の『マナ』を使うので、それに対応できるよう能力を授けた結果、消費量を自然回復量が上回ったのです」
リエルは頷き、ホワイトボードに書いていた人体の絵の周りにオーラのようなものを付けたす。
「それで、俺はそのマナを使ってどう戦えばいいんだ?」
少なくとも自分に悪魔と戦うだけの備えがあることは分かった。それもMP無制限という、マスターキーらしい万能ぶりときた。しかしその使い方を知らなければ、猫に小判もいいところだ。
「それについては、何でも出来る、と答えておきましょう。視界に広がる全てを火の海に変えることも、アルヴァディーンの思考を操作して改心させることも出来る。あなたの想像力こそが、あなたの戦闘能力と考えてください。そうですね……、何か一つ、何でもいいです、フィクション上の技を思い浮かべて、それを再現してみてください」
技、技、技……。いきなり出してみたい技をといわれても、普段から技を出してみたい欲望にかられているわけではないので、すぐには思いつかなかった。とりあえず幼少期に読んだ漫画を思い出し、その中からひとつに絞る。
「デス○―ム!」
なんとなく、太くて破壊属性の光線よりも細くて貫通属性の光線のほうがかっこいいと思う時期だったのだ。
指先に神経を集中させてみる。するとどうだろう。紫色の光が指先に集まっていき、一定の大きさになったところで肥大を止めた。ほのかに温度を感じる指先を、今度はその辺に落ちていたちょうどいいサイズの岩に向けてみた。
「お見事」
リエルが手を叩く。指差した岩には指先サイズの穴がぽっかりと開き、向こう側の瓦礫が顔を覗かせていた。光線は一瞬で消えたが、その破壊力は参考にした漫画となんら遜色ないものだった。
「今の光線は、①マナを集める②マナを放つ、この2ステップにより可能な初級魔法と考えてください。マナ無制限という利点を生かせば威力も範囲も大きく出来ますが、その分必要となる手数も増えるので、慣れないうちはお奨めしません。とりあえずチュートリアル『四次元半の歩き方』はここで終わらせていただきますが、最後に一つ、この空間があなたにとって、最も命を落とす可能性が高いことをお忘れなきよう」
出来る限りのサポートはしますが、とリエルは肩を竦めた。俺はというと、憧れた世界の技を放つことが出来た感動と、死の恐怖とに挟まれて、もやもやとした気持ちに苛まれていた。ちょうどよくアルヴァディーンが雄たけびを上げたことで、何とか正気に戻る。
「それにしてもあいつ、よく説明が終わるまで待っててくれたな」
俺は軽く手首をほぐしながらリエルに尋ねた。
「変身中に手を出さないのはお約束ではないですか」
なるほど、と納得した。それでいいのかと思わないこともないが、これが『マスターキー』なのだと腑に落とした。
コツを得た俺が、アルヴァディーンを圧倒したのは言うまでもない。まずは光線のコントロールから、次は光線の維持、そして最後に両手全ての指から計十本の光線を出せるようになると、手を振り回すだけで、アルヴァディーンはただ避けることしか出来ない悪魔へと姿を変えた。
しかし命までは奪えなかった。止めをさせる瞬間が訪れたとき、俺は光線を引っ込めてしまったのだ。それは、俺が普通の人間である証でもあった。たとえ悪魔といえど、命を奪う瞬間に躊躇いが生じた。いまのところ魔族から直接被害を被ったわけではない。両親を人質に取られた、とか、大切な人の敵だったならそうはいかないだろうが。
そして隙を見たアルヴァディーンは、赤坂がやったように瓦礫の少ない場所へ跳び、黒い魔方陣を地面に浮かび上がらせた。例によって、魔法陣が消えたとき、アルヴァディーンの姿はなかった。
「これでよかったのか?」
俺はリエルに尋ねた。なんとなく、神と悪魔は相反する存在だと思ったからだ。であれば悪魔をみすみす見逃したのは、神にとって面白くない結果だったのではないか。もちろん神のご機嫌取りをするわけではないが。
俺の思考を読み取ったらしい。リエルは答えた。
「悪魔と相反する存在は人間のみ、したがって、わたしたちが彼らの争いの結末に口を挟むつもりはありません。それに安心しました。あなたが『力を得ると豹変して殺戮を楽しむ人間』ではなかったので」
「当たり前だ。俺は普通の人間だからな」
そして笑った。緊張状態から開放され、自然に出る笑いだった。
と、ここで重要なことを思い出す。
「学校に遅刻する!」
一体何分、いや何時間この空間にいただろうか。俺はポケットの中からスマートフォンを取り出し、時間を確認する。残念なことに、スマートフォンの液晶画面が映し出す時間が正しければ、もう一時限目の授業の最中だ。
「申し訳ありません。言い忘れていましたが、この『四次元半』で流れる時間と現実世界で流れる時間は相互関係にあります。つまり『四次元半』で過ごした時間分、現実世界の時間はあなたがいないままで過ぎていくのです。ですので『四次元半』に入る前には必ず、①時間に余裕はあるか、②『四次元半』にいる間誰も自分を訪ねてこないか、二点の確認をお勧めします」
「それ、もう一時間早く教えてくれない?」
言いたいだけ言うと、リエルは音もなく消えていなくなった。ぽつんと取り残された俺は、利き手である『右手』で不用意に扉を開けてはならないという深刻な問題にしばらく頭を抱え、暫定的な対策として、右の手の甲に黒いマジックで大きくバツ印を書いた。