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帰りのホームルームが終わると、大半の生徒が部活動タイムに入る。少数の生徒はだらだらと教室で過ごし、残りはさっさと帰宅する。当然俺は残りの連中なわけで、今日も四宮に声をかけて早々に帰路につきたかった。
「悪い! 俺今日歯医者なんだわ!」
別に四宮とは家が近いとか、小学校中学校からの旧友というわけではない。ただ、ひとつ違いの駅で同じ電車に乗り、一年生の時たまたまクラスが一緒になったというだけ。朝はお互い時間を合わせて登校しているわけではないが、スタート地点が同じ下校のときぐらい一緒に帰ろうぜ、という具合で、入学初日からのイベントだったりする。
もちろん今回のようにどちらかが用事で、残されたもう片方が1人で帰宅、というのパターンもあるので、四宮に軽くいやみを言って教室を出た。
ふと、なびく銀髪が目に入った。
赤坂は階段を下りるため、右に曲がって姿を消した。なぜだろうか、俺は足早に彼女の後を追った。天然のストーカー気質なのか、危ないな。
赤坂が右折してから五秒も経たないうちに俺も廊下を曲がったが、そこに赤坂の姿はなく、見慣れた階段を見下ろしているだけだった。急ぎ足で踊り場まで駆け下りるが、折り返し下の方にもその姿はない。
なにをやっているんだ、俺は。
まさか転校初日の女子生徒の後を追いかけていたなんて、両親が知ったらむせび泣くだろう。四宮が知ったらせせら笑うだろう。
冷静に考え始めると胸の奥から涌き出る羞恥心に、俺はどうしようもなく悶え、やれやれと首を振った。
そのまま何事もなかったように階段を下り始めようとしたその時だった。
「おわっ!」
襟をグイッと引っ張られ、壁に激しく叩きつけられた。
何だ、何だ! と混乱していると、視界に入ってきたのは、その赤く深い瞳で、まるでこちらの全てを見透かすような眼差しを向ける赤坂だった。あれ、さっきまでいなかったじゃないですか……。
「あまりわたしの周りをうろうろしないでくれるかしら」
怒っている、というのはなんとなく分かるが、声音からもそのような感情は感じられないため、とても不気味だった。怒っている人というのは常の表情と比べて、何かしらの変化があるものだと思っていたが、赤坂の場合眉をひそめたり、口を結んだり、頬をヒクつかせたりとかそういう変化は全くなく、真顔。まるで、ロボットと会話をしているような印象を受けた。
ふと、鼻先で鈍い光を発する物があった。
あまりにも近すぎるが為に認識するまでに時間がかかったが、それは持ち歩くだけでおまわりさんが飛んできて、パトカーでピーポーされる、刃渡り長めの包丁。
日本人はそれをひらがな三つで『かたな』という。
物騒な日本になったもんだ。しみじみ思う。ちょっと待って。
学校で、踊り場で、銀髪の転校生に、刀を向けられている。生まれてこのかた人に刃物を向けられた事がない凡人なため、どういう反応をすればいいのか分からない。きっと知恵袋の賢者たちでもそうそう答えられやしないだろう。笑えばいいのか? 俺は沼地のように淀み湿った笑みを浮かべた。
しばらく視線の交差が続く。というより、睨む蛇と睨まれる蛙だ。
結局こちらから何らかのアクションを起こすことは出来ず、赤坂がその冷たい視線をそらし、
「次はないわ」
と、セリフを残して立ち去るほうが早かった。
ちらりと見た彼女の手に刃物らしきものは握られていなかった。幻覚だったのだろうか。今日という日はいろいろなことが起こりすぎて、幻覚の一つや二つくらいあっておかしくはないだろう。
いっそ朝からの出来事が全て幻覚であればいいのに、俺は力なくその場に座り込んだ。
「災難でしたね」
はるか先まで向こう側が見えそうな、純度百パーセントの笑みを浮かべるリエルが足音も立てずに現れた。出てくるタイミングからして、恐らく身を隠していたのだろう。
「何だよお前、ずっと見てたのかよ」
「もちろん。おはようからお休みまで、そしてお休みからおはようまであなたを見守るのが僕の役目ですから」
気持ち悪いな。リエルのハンサム面と、命の危機に瀕していたついさっきまでの空気の差に、俺はため息を吐いた。
「見てたんなら助けろよ」
「とんでもない! おそらくお察しだろうとは思いますが彼女はひとつの物語の重要人物です。そんな人とあなたとのファーストコンタクト改めワーストコンタクト。このイベントで大なり小なり今後の彼女の行動に影響が出てくるでしょう。それを邪魔するなんて……、とんでもない!」
なんとまあ情熱的なコメントだこと。こいつを派遣した神様は人材を見極める才能があるな。いや、人事部のお方か? 神や天使が面接を行っているさまはどうにも浮かばないが。
だが、リエルのセリフで赤坂が何らかの物語に絡んでくる重要人物であることは確定した。下手をすれば彼女こそ選ばれし『主人公』の1人という可能性もある。
不用意に近づかない人物表に赤坂の名前を刻んでおこう。念のため委員長の名前も刻んでおこう。
「それで、俺は何をすればお前の親分は喜ぶんだ?」
それを聞いたリエルは宇宙人でも見たかのような表情で答えた。
「何をおっしゃるのですか! 神は他の6人とは違う力をあなたに授けた。今朝も言ったように、あなたは何をしてもいい。神が望んでいるのはあなたの行動全てなのだから!」
ここまで来ると何か宗教的な恐ろしさを感じる。最終的に他の6人もろとも鼠算の糧にされるんじゃないだろうか。
とにかく、これからの俺の方針は決まった。俺は平和を愛し、平凡に愛された男だ。これまで積み上げてきた信頼と実績を、神さまの観察会に付き合って崩すわけにはいかない。
「神が俺の行動全てを望んでるんなら、俺は何もしない。赤坂にも近づかないし、他の主人公とも接点を持たない。不用意に出歩かないし、目的不明の部活に勧誘されても入らないし、フラグは全て叩き折る。不良に絡まれてる女の子も助け、これはまあ、時と場合によるけど、とにかく文句は言わせないぜ。『何もしない』事が俺の行動なんだから」
一度リエルに背中をむけ、つらつらと『格好』いいセリフを吐き出し、嘲笑う顔で振り向くと、リエルの姿はどこにもなかった。
なんだろう。
リエルがこのセリフを聞いて消えたのか、聞く前に消えたのかは定かではないが、すっきりとした面持ちで、俺は校舎を後にした。