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銀行入口のシャッターが降りると、俺たちと外部との接触は絶たれた。銀行内は薄暗くなり、陰鬱さに一層拍車がかかる。行員は強盗の指示に従い、差し出されたボストンバッグに札束を放り入れ、余った強盗は俺たち、その様子を不安げに見る客の行動を銃で支配していた。
人質にとられた赤い髪の女性と目があった。うーん、何か引っ掛かるな。あの女性のあの髪色からして、まず間違いなく『登場人物』だとは思う。しかし俺は彼女と1ヶ月の間にすれ違った記憶がない。つまり『主人公』ではない。
女性は強盗により後ろ手に組まされ、こめかみに銃を突きつけられている……割には、恐怖とか諦めとか、状況に絶望したような様子はなかった。むしろ飄々としていて、見ているこちらが不安を煽られる。少なくとも、自分1人だけならここから無事抜け出すことが出来そうな余裕が見てとれる。
だいたい、こういうイベントは女の子と巻き込まれるのがお約束なんじゃねーの?
俺と四宮と津川(あと山本)。見事に男だけだ。
……だが、それでよかった。実際に巻き込まれてみて、この面子でよかったと本当に思う。この一幕に早沢は絶対に巻き込みたくない。赤坂ならむしろウェルカムだが。
これはイベントであってイベントでない。
今でこそこうして立っていることが出来るが、あの銃口から飛び出した弾丸に撃ち抜かれれば、俺の命なんてちり紙よりも軽く吹き飛んでしまう。魔族との戦闘が発生する『四次元半』より、『マスターキー』による加護のない現実世界の方が、命を失う可能性が高いのではないだろうか。……それとも、今この瞬間にも『マスターキー』の効果が発動しているのか。
「くそっ……」
呟いたのは津川だ。確かに俺たちの4人の中で、津川千尋は唯一『能力者』だ。実際は俺もそうなのだが、津川はそれを知るよしもない。自分だけがこの状況を打破できる、どうにかしないとと、そう責任を感じているのだろう。正直、俺は現実世界ではなにも出来ない。だから結局津川頼みになる。
『リベレート』が現実世界でどれだけ能力を発揮できるのか、それに期待するしかない。一番手っ取り早いのは、赤坂が修学旅行で見せた『催眠拍手』なる能力だが、あの場面で津川自身が行わなかったことから、津川はそれを出来ないと考えた方がよいだろう。
『四次元半』を利用して、外へと抜けるのはどうだ? さすがに強盗の目を欺いて全員を通すことは出来ない。あくまで脱出ではなく連絡として、赤坂緋月への接触の為にこの銀行を出るのだ。
問題はどうやって扉を開けるか、だが……。
「よーし、お前ら並んで座れ!」
強盗の1人が声を上げた。客へと順々に照準を合わせ、指示に従うよう促す。12人の客は1列に並んで、座り込んだ。俺は列から外れ、挙手をする。
「あの、トイレに行きたいんですけど」
目出し帽を被っていても分かるくらいに呆れ顔で、リーダーらしき強盗はため息をついた。
「おい、お前着いていってやれ。……下手な動きをしたらすぐ撃ち殺せ、いいな?」
命令された強盗は「ああ」と頷き、顎で俺を動かす。よし、計画通りだ。トイレへと至る間にも扉はいくつもある。まずはこの強盗の身動きを封じないと、ただ忽然と姿を消しただけでは、すぐに報告され残された客や人質の命まで危うい。
途中の扉を『右手』で開けた。『四次元半』であれば銃弾ごときで俺を傷付けることは出来ない。俺はくるりと向き直り、強盗と組み合った。
「なっ、てめっ……っ!」
しかし体格の差から、あっという間に地面に組み伏され、頭に銃を突きつけられてしまった。
「おいおい、なんのつもりか知らねえけど、死ぬ覚悟は出来てるってことだよな?」
目出し帽から見える目は赤く血走り、首にかけられた左手はギリギリと喉を絞める。
何故だ? 『マナ』が使えない……。 さっき確かに『右手』で扉を開けたはずなのに、ここは『四次元半』でなく現実世界のままだ。
考えられる要因は1つしかない。今この瞬間、既に『マスターキー』が発動しているのだ。それも、『四次元半』に入るより優先順位の高い『マスターキー』が。
強盗の、銃の引き金に掛けた指が動いた。銃弾は俺の右肩を撃ち抜き、床にめり込む。
声に鳴らない声が、傷口に響いた。流血は止まることを知らず、噴水のように四方を濡らした。
――は?
首を圧迫する男の腕。嗅ぎなれない匂い。胸に感じる重み。内股の解放感。
何より、目の前には一列に並んだ客たち。端の方には四宮と津川の姿がある。
きっと、『観測者』として選ばれる前なら叫び狂っていただろう。だが、今の俺は天使も悪魔も幽霊もこの目で確認してきたのだ。
いたって冷静に、今の状況を把握する。
これってもしかして、入れ替わってるー!?
俺は今、赤い髪の女性として強盗の人質になっている。
問題としては、この体の持ち主である赤い髪の女性の意識がどこにあるのか、銃で撃たれて倒れている俺を確認するまでは、『入れ替わり』だと断定は出来ない。
……そもそも俺の体は無事なのか? 薄れ行く意識の中でも、あの出血量は尋常じゃないと分かるほどだった。もしや死んだからこの体に『転生』した訳ではなかろうな。
俺は取り合えず、声を出してみた。
「あの、痛いんですけど……」
当然、俺の声ではない。高いながらも芯のある、女性の声だ。俺(女性)の手を後ろで組ませている強盗の手が僅かに緩む。
しかしだからといって、どうすることも出来ない。
さてどうしたものかと策を考えあぐねていると、視界の隅で何かが動いた。
……俺?
まさしく俺。もう驚きもしない。正確には女性(俺)か。改めて、入れ替わってるー!?
女性(俺)は銃を手に、俺(女性)へとアイコンタクトを送る。いや分からん分からん。身ぶり手振りも交えて何らかの指示を出しているようだが、それが何を意味しているのか、意味が伝達してこない。
俺は小さく首を振った。女性は大きく頷く。何でだよ。何が分かったの?
そして音もなく、一番近くにいる強盗の背後へと忍び寄り、不適に微笑んだ。
トンッ
く、首トン……。
床ドンや壁ドンの次に流行ると予想されている首トン。相手の首を後ろから手刀でトン(よい子は真似しないでね)し、意識を強制的にシャットアウトする、漫画なんかでよく見る1度は真似してみたい技だ。女性は次々と強盗たちの首をトンッしていく。
トンッ トンッ
トンッ トンッ
トンッ トンッ
トンッ トンッ
何度か勢い余って客にトンッしていた。
そろそろトンッがゲシュタルト崩壊しそうなところで、遂に残る強盗は1人だけとなった。……まさか俺を拘束しているこの強盗も、仲間がトンッで全滅しているなんて思いもしないだろうな。
女性は既に俺の視界にはいない。小さな足音と、四宮津川含む客たちの目線の動きから、その動向を察した。勝機ありだ。そう思った瞬間、強盗は俺を前に突き飛ばした。
「甘い!」
そして女性のトンッを、トンッで相殺する。銀行内の空気が震えた。互いに繰り出したトンッの威力が計り知れる。
「ふっ、まだま……おうっ、俺以外やられてる!? 貴様何者だ!?」
男は女性に問うた。つまり、『俺』は誰かを問うている。俺はどこにでもいる普通の高校生。ひょんなことから天使に出会った俺は、不思議な能力を与えられ、6人の主人公を探すために四苦八苦して――。
そうは答えないか。女性は無言のまま、トンッの連撃。強盗はそれに応えながら、隙をついてトンッをし返す。なんて激しいトン競り合いだ!
一進一退の攻防がこのまま続くかに思えたが、均衡はひょんなことから壊れてしまう。
「あっ……!」
どういうわけか、足元に都合よく落ちていたバナナの皮を踏み、女性は激しく転倒した。ほんとどういうわけだよ。強盗はしたりと、女性の腹部を踏みつける。痛いっ! 俺の体!
本来ならここで強盗へと飛びかかるべきなのだろうが、さっきの組み合いを見たあとで、互角に渡り合える気はしなかった。
強盗は銃口を女性に向ける。万策尽きたか。
「死ね」
引き金に指をかける。
……しかし指が、それから動くことはなかった。
そのままの体制で銃を落とし、強盗は両手を上げた。
「ふん、日本の警察は優秀だな」
俺の父は警察である。
しかし、父の仕事について知っていることといえばそれだけだ。
別に聞きもしなかったし、父も話そうとはしていなかった。何となく、危険を伴う任務に就いているんだとは思っていたが。
俺は父を尊敬している。父は俺にとって、昔から『力の象徴』だ。俺と母を守る父の背中は大きかった。なんて簡単な問題だったんだ。連行される強盗たちを見ながら、俺は改めて父の偉大さに気付いた。
知らない天井だ……。
目が覚めたとき、真っ先に目に映ったのは赤い髪の女性だった。
「目が覚めた?」
やはり俺はこの女性のことを知らない。だが少なくとも、この女性は俺のことを知っているようだ。そんな口ぶりだった。
「君のお父さんには随分、お世話になってるからね。もちろん、悪い意味で」
そう言うと、いつの日かの新聞を取り出した。
『怪盗レッドキャット現る!』
1面に大きく書かれたタイトルと、近くに掲載されている防犯カメラによって撮られた写真。ぼやけてはいるが、赤い髪の女性。このニュースなら知っている。某県の美術館で有名な絵画が盗まれた事件だ。盗まれた絵画がそもそも盗品だったことが判明したことで、世界的に注目される1件となった。
「あなたが……」
言いかけた俺の口を、女性の人差し指が押さえる。
「完全なプライベートであんな場面に巻き込まれるなんて、ほんと不幸よね。……どういう理屈かは知らないけど、あなたと私は体を共有しあった仲。これからも仲良くしていきましょうね」
仲良くなんてするか。俺は第三者に知らせるべく、ベッドから起き上がろうと体を動かした。その瞬間、右肩に激痛が走る。
「ちょっと、無理しないの。まだ傷が塞がってないんだから」
右肩を撃たれたことを思い出した。包帯で巻かれた箇所を抑えて喘いでいる間に、女性は病室の出口へと歩いた。
「また会いましょう」
痛みから来る電気信号が、俺の意識を途切れさせた。病室の扉が開かれ、しばらくして意識が戻ったとき、俺は1人だった。
幸い、銀行内にいた客たちに怪我はなく、強盗たちも無事全員確保された。唯一、客の中の1人、人質に取られた女性がすぐに姿を消してしまったことを除けば、今回の銀行強盗事件は滞りなく解決、ということになる。
本来俺の怪我はそう短期間で治る程度ではなかったが、銃痕は寝て起きたとき、既に黒ずんだ瘡蓋になっていた。まるで津川だな、なんて思っていたら、病室の隅から赤坂緋月がひょっこりと姿を現した。なんでも、『リベレート』の力を用いて非現実的な治療を行ったらしい(ちなみに治療を行ったのは津川)。感じる必要のない責任を感じているのだろう。取り合えず、津川のおかげで1月の入院生活を送らずに済みそうだ。
肩を撃たれた次の日には退院し、自室に戻った俺はすぐにリエルを呼び出した。5人目の『主人公』の名前を出すと、リエルは頷いて答えた。
「ええ、正解です。まさか実の父が『主人公』だなんて、思いもしなかったでしょう」
「まあな」
駆けつけた機動隊の中に父を見つけたわけではない。『力の象徴』という特徴、怪盗レッドキャットと知り合っている人物という2つのキーワードから、俺の父親を特定したのだ。……だか、恐らく父はあの現場にいた。何となく、そういう匂いがした。父が俺の前に姿を見せなかったのは、機動隊という仕事ゆえだ。だから俺も、決して父を探そうとはしなかった。
5人目の『主人公』は、命を懸けて国民を守る俺の尊敬する父親だった。
5人目の『主人公』までを特定し、残るは6人目ただ1人となった。しかしこれは『リーチ』でも『王手』でもない。和了ってるし王を取っている状態だ。俺は6人目の『主人公』を既に特定している。ちょうど3人目、ミケの1件を解決したときのことだ。
俺はリエルに、彼女の名前を告げようとした。これで終わりだ。これで俺は『観測者』でなくなり『マスターキー』をなくす。正真正銘、なんの加護も力もないただの人間になる。
やっとこれから、早沢との関係を始めることが出来る。
俺は口を開いた。しかしリエルの手のひらがそれを遮った。
「1つだけ、あなたが6人目の『主人公』の名を告げ、それが正解だった場合の説明をさせてください」
言葉の続きを促した。リエルの表情が僅かに陰る。
「私たちはあなたの全てをもとに戻します。私とあなたが出会うあの瞬間からの全てを、ね」
俺はしばらく、口を開けたまま呆然としていた。




