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夏休み前に入ると、きたる何かに備えるように、校内全体が浮き足立つ。3年生は受験や就活に向けての準備を始め、1年生は中学時代との違いを確かめるように、あるいは部活動のスケジュールに目を通し、隙間のなさに肩を落とす。そして2年生、手探りで歩くような不安要素も、将来へ向けての布石を打つ必要もない彼ら彼女らは、たった30日前後の日数に己の全てをつぎ込むように、予定を組む。もっとも、3年生に限らず将来について真剣に考えている人間は、彼ら彼女らが遊び呆けている間にも着々とその準備を進めているのだが。
修学旅行が終わってからというもの、俺と周りとの人間関係の変化には微々たるものから、誰が見ても分かるくらいに大きなものまであった。大きなものの代表と言えば、赤坂と津川だろうか。
結局、修学旅行中に津川グループの面々の体調が回復することはなく、津川は最終日まで俺たちと行動を共にした。それまで直接的な面識はなかった津川だが、以降は廊下ですれ違う度に一言二言交わすようになった。赤の他人から知人になったのだ。0から1への変化ほど大きいものはない。
赤坂にはあの1件以来、どうも一目置かれている……というか、一線を引かれているというか。とにかく、何らかの意思をはらんだ特別扱いを受けている。しかし赤坂がアクションを起こす、ということもなく、端から見れば俺と赤坂はいつも通り、クラスメイトでそれ以上でもそれ以下でもない関係だ。
あとは早沢か。
年頃の女の子はよく分からない。首里城で互いの気持ちを伝えあったあの瞬間、俺たちは『結ばれた』のだろうか。いや違う。あれは互いに気持ちを確認しあっただけだ。伝える、にしてはそっけなく、自分勝手で、自己完結的。お互いに同じ気持ちで、ああよかった、それで一旦おしまい。牽制みたいなものだ。あんなもの、俺は恋愛だとは認めない。
2人+αでの会話はいつもよりも弾むが、2人きりになったときの雰囲気ほど唾を飲むものはない。2人の間に話はほとんどない。別にうまが合わないとか、話しづらいわけじゃない。なんというか、話さなくてもいい時間が心地いいのだ。これが俺たちの本当の姿だと言える。誰かの前では仲のいいように取り繕うが、誰もいないとなるとその必要もなく、俺も早沢も、思うがままの愛情表現で存在を確かめあう。そこに言葉はいらない。視線と体の熱のみで、俺と早沢は語り合っていた。
だがそこから更に先へと進めないのは、俺たちの関係が『偽り』である可能性が残っているからだ。残る主人公を見つけ出し、『マスターキー』を失うことで、早沢は俺の本当の姿を見ることが出来る。そのときに、俺はもう1度、早沢へ想いを伝える。早沢の俺に対する気持ちが冷めていたなら、俺は彼女との関係が『偽り』だったのだと諦める。その覚悟は出来ている。もし早沢の気持ちが変わらないのなら……。
俺たちが『偽り』から『本物』へ、先へと進むのは、そのあとだ。
夏休みに入った週、高校付近の地域で中規模な花火大会が開催された。行くつもりはなかったが、早沢から誘われたので3日ぶりに外に出た。
すっかり通い慣れた早沢家への道。公園に咲いていたリナリアは花弁を萎ませ、あの鮮やかな紫色はもうない。
早沢宅のインターホンを鳴らすと、早沢はすぐに出てきた。栗色の髪をサイドで1つに結わえ、薄い桃色の浴衣に身を包んでいる。しばらく見とれていた。早沢がファッションショーのようにくるりと回り、微笑む。
「行こっか」
打ち合わせをしたように、ズレも迷いもなく手を繋ぐ。指を絡め合う。
それからしばらく歩くと、人込みの一部分へと混ざって消えた。
あのとき、修学旅行のあの日、早沢は俺のことを探していた。なにか早沢の方で用事でもあったのか、と尋ねると、早沢は耳を赤くした。
「あんたと同じことをしようと思ってたのよ」
花火が上がると同時に、早沢は目を閉じて俺を待った。確かに人々の視線は上を向いていて、俺たちのことなんて誰も見ていない。だからと言って、今します? 俺だって普通に花火を見て、普通に感動したいんだよ?
幸いこの場所は隠れスポットのようで、前方に2組のカップルがいるだけ。しかもこの距離なら顔もはっきりとは認識できない。
甘えるように1度目を開け、挑発するように閉じる。俺が軽く唇を合わせると、早沢はフフンと意地悪く笑った。
その不意を突くように、あるいはイタズラに対するお仕置きのように、また唇同士を合わせる。舌を突き出し早沢の上唇と下唇を押し開けると、彼女の口腔内に舌を這わせる。歯の一本一本を舐めるように、粘膜を唾液で浸すように、舌と舌が一緒になるぐらいに絡ませると、早沢は息を荒くして膝を震わせた。そこにさっきまでの小悪魔のような余裕はない。俺の肩に手を回すと、全体重を預け、耳も頬も赤くして、瞳には涙を溜めて、艶かしい声を上げた。粘液の混ざる音を出しながら、俺は早沢の背中に手を回す。そして抱き締めた。体の凹凸は俺の体に押し当てられ、平面に近付く。音も声も大きくなる。一際大きな花火が上がると、俺と早沢は唇を離した。舌同士を繋ぐ糸は、だらしなく口を開いた早沢の元へと戻っていった。
「はぁ……はぁ……。は、激し、すぎ……」
息も絶え絶えに、早沢は俺を睨み付ける。その表情が俺の脳内麻薬を分泌させ、また呆れるくらいに早沢の唇を貪った。
疲れた……。
昨日は花火大会だったのに、花火を見た記憶がない。早沢を家に送り届け、俺も自宅へ直行。自室に入るや否や、ベッドに飛び込み眠りについた。
次の日にも予定が入っていることを考えると、憂鬱だ。どうして予定を立てる段階ではあんなにもはしゃいでいたのに、いざ当日に近付くにつれて意気が消沈するのだろうか。長年の疑問を自由研究にしてまとめようか。
10時頃家を出た。向かった先は商店街近くの銀行入口。既に四宮と津川の両名は揃っており、残るは山本だけか。
「いやー、それにしても、初メンだな!」
四宮が津川の肩を叩く。
「ああ、誘ってくれて嬉しいよ。ちょうど見たい映画だったんだ」
何てことはない。ただいつもの4人で映画を見て、飯を食って、雑談しながら歩くいつも通りの光景を繰り広げる予定だ。
「んじゃ、山本が来る前に金下ろしてくるわ」
四宮はそう言うと、銀行へ入っていった。特にやることもないので、俺と津川もそれに続いた。
改めて考えると、きっとこのとき山本が遅れたのも、3人が銀行に入ったのも決められた運命だったのだろう。
四宮が出金を終わらせ、「よし出るか」と頷いた直後、怒号が銀行内に響いた。
「さっさと詰めろ!」
3つ隣の窓口、目出し帽を被った人間が4人。手には銃。内1人がカウンターに向かって銃口を向け、行員を脅していた。
「さもねぇと……」
男はカウンターに背を向け、一番近くにいた赤い髪でロングヘアーの女性を人質として連れ戻る。
銀行内には強盗が4人。客が13人。人質1人。
……これ、なんて『物語』?




