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いつになく憂鬱な朝だった。
友人と旅行に行った次の日や、夏休み明け初日と似た感覚だが、その比ではない。
砂浜での一幕が、ずっと脳裏に張り付いて離れない。
あのとき、俺は何か言うべきだった。立ち去ってはいけなかった。それが分かっているのに、俺には『マスターキー』という力があるのに、あの瞬間をもう一度やり直すことが出来ない現実に歯痒さは募る一方だ。
俺は早沢が好きだ。いつからかも分からない。昨日今日の話ではない。俺は早沢夕という1人の異性に恋をしていた。早沢が隣にいると落ち着くし、幸福感も得る。俺がプレゼントしたアザレアのペンダントを常に着けていてくれるところなんか、愛しくて仕方がない。本当なら今すぐ思いを伝えて、疲れるまで抱き締めていたい。
だが、俺には『マスターキー』がある。
思えば、俺が初めて早沢に出会ったシチュエーション自体、作られたものだと聞かされても納得できる。早沢が『四次元半』に迷い込んだことも、俺と早沢を逢い引きさせるような星倉の行動も、『マスターキー』がそうさせたと考えるのが1番しっくり来る。
俺は俺の思い通りに動く人形と、台本通りの恋愛劇を行っているにすぎないのだ。舞台の上で踊っているのは俺だけ。他の『登場人物』は上から糸で操られていて、意思も感情もない。
辛い。
『マスターキー』がある以上、俺の人生は偽りでしかない。
『観測者』でなくなった後も、それはずっと変わらない。
6月に修学旅行を控え、我が校の2学年は忙しなかった。やれグループ決めだ、やれ観光地の下調べだ、お前らが沖縄旅行に浮かれてる間にも、世界は魔族と戦い校内を幽霊が闊歩し汗まみれのおっさんがバカスカホームランを打っているというのに。
1時間授業をまるまる使用し、修学旅行のグループを決める。1グループ4人……、俺と四宮と山本と……男子の人数からして1人余るな。
俺たちの グループに 担任原崎が 加わった!
それにしても、女子たちがグループ決めで揉めに揉めている。男グループはというと、どっちにしたって夜は1つの部屋に集まってトランプなり恋バナなりに興じるのだからと、大して考えずに決めていた。しかし女子は……、女の子はどの年齢でも、そう上手くいかないようだ。
騒乱の中心にいるのは、委員長と赤坂。
委員長は、まぁ……分かるけど。なんでお前ら赤坂を取り合ってんの? 俺の知らない間に赤坂はお前らにとって必要不可欠な存在になってたの?
赤坂の要望により、委員長と同じグループになることは決定しているようで、残る2枠を全員で争っているのだ。
言っとくけど、赤坂さんの夜は千々寺のものだからね? お前ら愚民には一生手に入らないよ?
「すっげーな」
山本と四宮は目を合わせて、首を傾げながらその様を見ていた。まるで競りだ。より大声を出した奴が、赤坂と委員長との合いグループ権を手にするのだ。
「しかし、こうして見ると、このクラス本当レベルたけーな」
山本は四宮でなく俺に向けて言葉を放った。四宮には幼馴染がいるからか。
「ああ、赤坂ももっと性格がよけりゃもてまくりだろ」
実際、山本の言うとおりだ。このクラスには抽出的に高レベルのルックスを持つ生徒が集められているような気がする。それこそ、星倉や千々寺、猫井らと比べても遜色ない。中でも赤坂緋月はその浮世離れした銀髪も相まって、写真の中から出てきたような神秘性さえ感じる。本当、性格さえよければね。でも性格の矯正ってそう簡単なものでもないし、赤坂は今のままでいいと思うよ。暴力的でない赤坂は赤坂ではない。
「そうそう、委員長もだけど、田村とか植木とか反町とか……。なんて恵まれたクラスなんだ! ありがたや~」
誰だよ誰だよ誰だよ。クラス替えからもうすぐ2ヶ月が経過するというのに、俺の記憶力は悲惨だ。
山本は神に祈るように手を擦り合わせた。果たしてお前が誰に祈ってるのか、教えてやりたい。
「んじゃ、この中で付き合うなら誰がいい?」
唐突に、修学旅行中の雰囲気へ持ち込みやがった。もう半月待てなかったのか? そしてやはり四宮ではなく俺への質問だ。
……しかしそれは酷な質問だ。俺には何も答えることが出来ない。
誤魔化すように、質問で返す。
「山本は誰を選ぶんだ」
「ん? あぁ、あれ? 言ってなかったっけ? ○組の梅原さんに告白して、付き合ってるって」
初耳だ。全てはこの幸せ報告を行うためのブラフだったようだ。死ね。
山本の肩を殴り付け、鬱憤を晴らした。死ね。
「もしお前らにそのときが来たら俺に相談しろよ! 告白マスターが親身になって答えてやるから!」
もし、ね。
はいはいと相槌を打った。内心、そのときが来たらどれだけいいかと胸を痛めた。
待ち遠しくもあり、遠ざけたい気持ちもあった。半月の経過の間、『観測者』の問題も、俺と早沢にできた蟠りも解決には至っていなかった。
しかし早沢と俺は連絡先を交換した日から、本当に他愛のない内容だがメッセージのやり取りだけは続けていた。『おはよう』『おやすみ』そんな内容のないメッセージが、あくまでも蟠りで済まさせていたのかもしれない。もしくは、関係の改善を先延ばしにさせていたのかもしれない。
今朝目が覚めたとき、俺は真っ先に携帯電話を見た。早沢からのメッセージが一件、液晶画面に表示されていた。
『今日は思い出をつくってね』
この一文には気遣いと、穏やかな拒否が籠められている、そう感じた。それも早沢が俺に拒否をさせている。『修学旅行の時くらい、私に気を使わないで』そう暗に言っている気がした。気を使っているわけがない。俺は早沢とのやり取りが楽しくて、だから続けていたのに。俺が気付いていないだけで、2人の溝は修復不可能なレベルまで広がっていたのかもしれない。なにが蟠りだ。割れた皿は元には戻らない。割ったのは俺だろうが。
結局返信の言葉は思い付かず、ぽいと携帯電話を床に放った。




