22
猫井凛子は俺たちを順々に見やり、最終的な視線の終着点に、俺を選んだ。
「なんですか? 『不貞男爵』先輩まで。わたしに何か用ですか?」
ん? 『不貞男爵』? 俺は教室を見回すが、『不貞男爵』なる人物は存在しない。
ま、まさか! 俺のこと~っ!?
後輩にもこんな態度を取られ、先輩としての威厳はないに等しい。まったく、どこのツインテールの影響を受けたんだか。もしくはツインテールが猫井の影響を受けたのか。
猫井はジトリとした目で、心底面倒くさそうに口を開いた。
「それで、お2人はどうしてここに?」
当然といえば当然だが、猫井の『お2人』にミケは含まれていない。委員長にも見えて猫井にも見えてしまうと、『霊が見える』という能力の希少性が損なわれ、主人公としての地位が危ぶまれ……おっと、そもそも俺は主人公を辞めたくて奮闘してるんだった。危ない危ない。
「ご、ごめんね。探し物を手伝って貰ってたんだ」
委員長がそう言って手を合わせる。さすがに交流のない委員長に軽口は叩けないようで、いえ別に……、とそっぽを向いた。俺も交流なかったけどね。
僅かな沈黙の後、
『わたし、海鮮丼が食べたいです!』
突然ミケが言葉を発し、俺と委員長は目を合わせる。どうやら飽きが限界に来たらしい。反応しては駄目だ、猫井にミケが見えてない以上、反応してしまっては委員長共々見えざる何かと会話をする電波少年(少女)として認定されてしまう。
するとどうだ? 俺は『不貞男爵』で『電波』で『変態仮面』の『東郷剛太郎』になってしまう。何1つとして俺ではない。
反応しないことこそ正解だったが、何かしら取り繕おうと考えたのか。委員長は手を広げ、俺と猫井に向かって言った。
「じゃ、じゃあそろそろご飯にしない? お腹ぺこぺこだよー」
ミケの言葉に引っ張られてるじゃないですか。突然見知らぬ先輩2人から食事に誘われる猫井の身にもなってくださいよ。
そもそもその広げた手の範囲内に俺を入れないでほしい。「何か買ってあげるから」とは、てっきり露店の商品なのかと思っていたが、海鮮丼ともなると確実に店舗内じゃないか。猫井は断るだろうが、もし何かの冗談で彼女が了承した暁には、3人(+ミケ)でテーブル席を囲む姿が想像できる。まさに『不貞男爵』だ。
「ね? ね? 行かない? わたしいい店知ってるんだ!」
「すみません。わたしお金ないので」
「わ、わたしが出すよ? 先輩だもん!」
「すみません。わたし魚苦手なので」
やや声を荒げて言う。
猫井なのに魚が苦手? なんて思った諸君。実は猫は本来魚を食べないのだ。ただし漁業が盛んな場所に住む猫はその限りではない。(諸説あり)
猫井の表情を見るに、本当に行きたくないらしい。取り合えず一安心だ。
「委員長、俺たちもそろそろ帰らないと……」
時刻はまだ18時だが、俺と委員長は帰りの電車の都合もある。既に仕事終わりのサラリーマンラッシュに巻き込まれるのは必至だが、まだピークは避けることができる。
「そ、そだね……」
とぼとぼ教室から出る委員長に続き、俺、荷物を纏めた猫沢。最後に「ご飯ご飯」と自作の歌を歌いながら出てきたミケが、俺と委員長に鋭い視線を送る猫井など気にも止めず、陽気に扉を閉めた。これが終わったら委員長と2人で行くといい。
校門までの道を、猫井と委員長の3人(+ミケ)で歩いた。といっても、猫井の後ろを勝手に着いていっただけなのだが。
振り返り、着いてくるなと睨まれるが、行く先が同じなのだから仕方あるまい。
校門を過ぎると俺と委員長は右に、猫井は左に。早歩きで颯爽と去っていくが、委員長が気を付けてね、と声をかけると、振り向いて小さく会釈をした。
結局、スーパーの駐車場に停まっていたたこ焼きの移動販売車にて、たこ焼きを人数分買って帰った。美味しかった。ミケの分は俺持ちだった。たこ焼きに岩塩でも練り込んでやろうか……。
帰宅後、テレビを点けたままで携帯電話を操作する俺の部屋を、うーんうーんと唸りながら飛び回る霊がいた。仕方ないので、親切な俺はこう聞いてあげた。
「藻塩と抹茶塩があるけど、どっちが徐霊に効果的なんだ?」
『無理徐霊はやめて下さい!』
目をくわっと見開き叫ぶと、つらつらと語り始めた。
『聞いてくださいよ~。わたしあの黒い髪の女の子に会ったことがある気がするんですよ~』
な~にぃ~?やっちまったなぁ!!
と茶化したいのはやまやまだったが、この霊を徐霊するにあたって重要そうな話なので、おとなしく聞くことにした。
『それにあの教室……。他の教室とは違って、懐かしく感じたような……、気のせいかもしれないですけど』
確かにここまで容姿が似た者同士が、なんの関係もなくただの偶然だとは思えない。俺はふと、ミケに初めて出会った夜、初めに目撃した廊下を歩く影を思い出した。
あれはミケだとばかり思っていたが、よくよく考えれば衣服が違う。ミケは着物を着ているが、あの影は明らかにスカートのある、恐らく制服を着ていた。
念のためにミケにも問う。あの夜の移動ルートについて。しかしやはり、ミケの答えからあの影はミケでないと確証を得た。
もしあれが猫井だったとして(体格的にも当てはまる)、では何のためにあの時間、学校にいたのか。
果たして、気分は乗らないが猫井と接触を試みるしかないな。気分は乗らない。だが幽霊が見えるという非日常がずっと続くよりは幾分かましに思えた。気分は乗らない。
次の日。
駅前で、電車から降りた俺を待っていたのは、見知らぬ中年男性だった。
鉢巻き姿にビニール地の青いエプロン、身長は俺よりも高く、横幅も広い。無精髭を生やした、強面の中年男性だった。
「よっ、坊主! 日曜はよろしくな!」
はて、日曜? なにかあったかしら。日曜というワードと、目の前の強面男性の関連性……。
「やっ、おはよ」
男性の陰からぬっと出てきたのはポニーテール。なるほど、この男性は星倉のお父上だったか。
そのことを問うと、男性は大きく頷いた。
「○○商店街で魚屋をやっている。 是非ひいきにしてくれよな!」
確か○○商店街といえば、俺の住む街から電車で2本のところにある、比較的活気のある商店街だ。
家から近ければそれも考えたが、電車を挟むとなるとそうはいかない。夕食にと新鮮な魚類を購入して、残業疲れのサラリーマンで賑わう電車内にそれを持ち込む度胸が俺にはない。
取り合えず適当に相づちをうつと、改めて2人を見比べる。よく見ると親父さんも髪が青っぽい。てことは委員長の両親もどちらかがピンクなのか……。お父さんの方だったらどうしよう。
しばらく雑談に興じた後、星倉は父親に別れを告げると、
「前の話の続きなんだけど……」
しまった、捕まってしまった。お義父さんに助けを求めるが、既に駅の駐車場へと向かっている。
星倉の執拗な勧誘に、俺は何とか耐え忍んだ。
放課後になると、例の教室を訪ねた。誰もいない。そこで猫井が文芸部員だったことを思い出す。昨日は18時前には帰ったよな。だとすると、部活が終わってからその時間までの間に、この教室を訪れる可能性が高い。
どこかで時間を潰すか……、と教室を出た俺を出迎えたのは、栗色の髪の女子生徒だった。
人の通りが少ない部室棟の、階段の踊り場ともなればもはや誰の通った痕跡もなく、秘密の談合にうってつけの場所だった。もっとも、秘密にしたいのは会話の内容ではなく、この組み合わせで会話をしているということだが。猫井があの教室に来るとして、俺と早沢の会話風景を見られるのはなんとなく憚られた。別に実害はないのだろうけど。
「体調は? よくなったか?」
マスクをしているあたり、まだ万全とは言えないだろう。いわば社交辞令みたいなものだ。対して早沢もそれに社交辞令で返す。
「うん。おかげさまで」
それから、早沢はぽつぽつと話し始める。
熱も引き、登校初日の今日、俺にお礼がしたくて来たらしい。部活動は休むが、1度顔を出して部室から出たときにちょうど俺の姿を確認したそうだ。
早沢から頭を下げられると、俺も頭を下げた。どさくさに紛れて部屋に入ったことだ。普段男友達の部屋にはノックもなしに入るせいか、まったく気を使ってなかったことを謝った。
「う、うん……。出来れば、もっときれいな部屋を見せたかった、かな……」
そう言うと、早沢は上目使いにこちらを見つめた。大丈夫、四宮の部屋より100倍きれいだ!
しかし冷静に振り返ると、あの部屋の雰囲気は異常だったな……。まるでラブコメディの一幕だった。あれか? 非日常的なイベントが、2人の距離を急接近させたのか?
だが俺は素直に喜べない。異性とのフラグはすべて『マスターキー』の影響ではないか、そう考えているからだ。早沢や星倉との関係は『観測者』に選ばれた後から始まった。果たして『マスターキー』の影響を受けた交遊関係が、本物の交遊関係だとは思いたくなかった。
俺の行動原理はそこに行き着く。普通でありたい、異常に巻き込まれたくない、というのはもちろんだが、俺に力を与える『マスターキー』という存在が、俺のすべてを否定している。『観測者』になったあの日から、すべてが俺の都合のいいように進んでいる気がして、そしてそれで得た関係や経験などは所詮、『偽り』に過ぎないのではないか。
だからこそ、俺は1日でも早い『観測者』の辞退を望むのだ。
これから母親の車で病院に行くらしい。同乗を誘われたが丁重に断ると、早沢と別れた。適当に時間を潰した後で向かうのは、猫井のもとだ。
教室には人影、扉を開けると猫井凛子が俺を睨み付ける。そうか……、早沢に協力してもらうという手もあったな。猫井の悩み相談という形で。しかし病人は放課後、早急に帰宅すべきだ。病人にはその権利がある。
狂犬ならぬ狂猫のごとき顔で、猫井は噛みつくように口を開いた。
「なんですか? なにかいやらしいことでも企んでるんですか?」
「いや、猫井が悩んでるって聞いてさ。先輩に話してごらん? 楽になるぜ?」
そう言い胸をトン、と叩くと、猫井は舌打ちをして荷物を纏め始めた。仕方がない……、最低な手を使ってしまうか、深呼吸の後、俺は吐き出すように言葉を出した。
「あまり過去に囚われすぎるなよ」
その瞬間、猫井の目が大きく見開き、唸るように捲し立てた。
「なにも知らないあんたには関係ない! この『童貞仮面』!」
言い切り、教室を飛び出す。
ど、ど、ど、童貞ちゃうわ! まだ『不貞男爵』『変態仮面』のほうがマシだし。不貞と童貞って相反してるし。
それにしてもここ最近、俺の評判が滝のように下がっていく。さっきの一言で猫井からの評価はマイナスだ。柄にもなく自分を犠牲にするのは、本当に自分のためだけなのだろうか。俺は俺の脳みそと話がしたい。




