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幽霊がいるか、と問われると、俺はしばらく悩んでそれを否定する。単純に見たことがないからだ。他人の恐怖話に出てくる存在、おどろおどろしい曰くつきの場所に住み着き、カメラを回していると何らかのアクションを起こし映りこんできたり、カメラマンや見物人を驚かして楽しむ、お茶目さんという印象。実際にこの目で見て、この体で恐怖を体験した後でならきっとその質問に肯で答えるだろうが、今のところはいないと思っている。出来ればこれからもずっと、そう思っていたい。
千々寺ショックから週末をはさんで今日、俺は今、星倉七美と一緒に登校している。もちろん話を合わせて……、とかそんなカップルチックなことはしていない。家の扉を開け往路につくと、前方10メートルほど前に星倉の背中を確認した。まだ気付かれていない……。その場から微動だにせず、徐々に彼女との距離が開くのを待った。あと少しだ……、あと少しで星倉が道の角を曲がり完全に見えなくなるところまでいったのだが、タイミングよく俺の後方で車のクラクション音が響き、星倉は後ろを振り向いた。俺の姿を見つけるなり、わざわざ道を戻って来たのだ。
逃げ出そうか……、しかし星倉は陸上部だ。すぐに追いつかれることは明白だった。朝から走る気にもなれなかったので、諦めて、星倉にあえなく捕獲された。
会話の内容といえば、文芸部のこと、星倉と早沢が土曜日に図書館で勉強会を開いたこと、日曜には商店街野球チームの練習の手伝いをしたこと。話題を提供するのは星倉ばかりだった。そりゃそうだ。俺が話せることといえば、『四次元半』のことやリエルのこと。最近では、星倉から貰った仮面をつけて、不良に絡まれていた千々寺を助けたこと(赤坂が)ぐらいか。だがそんな非日常的話題を出せるはずもなく、それらを除けば俺以上に空っぽな人間もそういないだろう。
この土日は特にそうだ。『四次元半』に入り浸って、ずっと『マナ』を使う練習をしていた。リエルが言っていた通り、複雑な技を出そうとしてもすぐにうまくはいかなかった。だが10時間もひたすら岩に向けて『デス○ーム』を撃ち続けると、自然と『マナ』の流れから体運び、果てには『マナ』の濃度までを調節できるようになり、日曜の晩には空気中に散布した『マナ』を誘爆させて、半径1キロ余りを瓦礫広場に変えるまでなった。俺TUEEEEE!
電車から降りてしばらく歩くと、星倉は、そういえば……、と話を切り出した。
「今週の金曜、何の日か覚えてる?」
全く覚えがない。先週の金曜なら13日の金曜日。カレンダーを見てそわそわしていたが、過ぎてしまえばただの金曜日だった。
星倉はため息をつく。
「夕の誕生日でしょ! 来てくれるって約束したじゃない」
約束……、しました? カーニバル調の変態仮面を頂戴したところまでは覚えているが、行くと言った覚えはない。曖昧に返事をしたことがまずかったか。それに早沢本人にも直接断ったしな。だいたい星倉と早沢の間で情報の交換はなかったのか? もしくは俺が早沢の誘いを断ったことを知ったうえで、俺が来る体の話をしているのか。星倉七美、恐るべし。
首を5往復ぐらい振って拒否したにもかかわらず、星倉は一向に引く気配がない。むしろどんな手を使ってでも俺を了承させてみせるとヒートアップした結果、ある案を出した。
「金曜日のパーティーに来るか、日曜日にある野球の試合に参加するか、どちらかを選んで!」
どうやら俺の週末の予定は決まったらしい。そうなると、中学生の頃友人から貰ったグローブが物置にあったはずだ。帰ったら探してみよう。
余りにも間髪を入れない返答に、星倉は珍しくあっけに取られていた。まさか俺が野球を選ぶとは思ってなかったようだ。だって嫌じゃん、同年代の女の子とパーティーとか恥ずかしいもん。千々寺の様子を見る限り、女の子100%で開催されそうだし。女子限定。だし。
結局千々寺との関係は改善されず、学年が違う猫井とはすれ違いもしない。それならば1周りも2周りも離れたおじさん連中と汗にまみれた方がまだましだ。
俺だって本当は『観測者』とか抜きでパーティーに参加して、擬似ハーレムを経験したいさ。
星倉が俺を丸め込む前に、学校へ到着した。
「ま、また話そうね」
と星倉は笑った。しばらく出歩くときは周囲を警戒する必要があるな。
放課後ともなれば、部活動に精を出す星倉を警戒する必要もなく、無事帰宅。
夕食を終え入浴まで済ませた後で、項垂れた。明日が提出期限の配布物を、教室の机に忘れてしまったからだ。アンケートだとか行事参加の可否だったら明日登校してから書けばいいのだが、それは保護者のサイン、印鑑を必要とするもので、要するに学校まで戻って取りに行かないといけない。
帰宅してすぐ気付いていれば、ここまで頭を悩ませなかっただろう。19時以降は警備員が校門前に配置され、誰の出入りも認められない。
だが俺には『四次元半』がある。警備員の監視を掻い潜るぐらい造作もないことだ。
19時30分頃に学校へ着くと、俺は人気のない廊下を走った。誰もいないはずの校内で電気を点けるわけにもいかず、かといって『四次元半』は電気が通ってないので、携帯電話の青白い光を頼りに校内を移動する。時間に余裕がないわけではなく、夜の学校という慣れない環境が嫌いなのだ。学校に限らず、閉園後のテーマパーク、上映直後の映画館など、『騒から黙』への差が大きい場所は、どこか不気味で落ち着かない。べ、別に幽霊が怖いとか、そんなんじゃないからね!
やはりシンとした教室に入り、引き出しを探る。奥のほうに皺が入ったそれを見つけると、俺は即座に出口を目指した。その瞬間だった。
足音。
すりガラスに映る人影。
ゆっくりと廊下を歩くそれは、本校舎の奥、部室棟を目指して進んでいく。
思わず息を飲んだ。
それは女子生徒の形をしていた。肩にかかる髪、翻るスカート。
月明かりに浮かぶぼんやりとしたシルエットだけが、視界を横切り、消えた。
しばらく俺は、呆然と教室に立ち尽くしていた。きっと俺の他に忘れ物をした生徒がいたのだろう、そう思いたかったが、19時以降に校内を歩く生徒など存在するわけがない。プリントを持つ手は分かりやすく震えている。
幽霊だ。
リエルは言っていた。この世界には幽霊も妖怪も昔から存在している、と。『観測者』になった今だから言える。それらが存在していて、なんらおかしいことはない。
タッタッタッタッ…………。
何かが廊下を走る音が聞こえる。さっきの影が向かった先からだ。俺は息を殺して、足音が過ぎ去るのを待った。足音は徐々に大きくなる。
すりガラスに影が写った。
影は扉の前で立ち止まると、ゆっくりと扉を開いた。
『見つけた』
さようなら、俺の意識――。
21時頃、両親からの着信で俺は目覚めた。相変わらずの常闇を携帯電話の光で照らすと、ボウッと浮かび上がったのは人の顔だった。
「――――っっ!!」
息が詰まり、虚空へ飛んでいきそうになる意識を何とか捕まえる。心臓の高鳴りは、第三者にも聞こえるぐらいの音量だった。
もう一度、顔を照らした。それは眩しそうに目を細めると、口を開いた。
『眩しいですって!』
猫井凛子……、のようにも見えるが、何となく違う気もする。そもそも猫井とは直接話したこともないため、顔の詳細を思い出せない。青白いライトに照らされた病的に白い肌。大きく、切れ長の目。肩の辺りまで伸びた黒い髪は驚くほど美しい。白を基調にした着物もあって、まるで1つの絵画のようだった。
俺は案外落ち着いていた。きっと彼女は『幽霊』だ。そう前提してみると、1度見たホラー映画のように何てことはない。悪魔もいるのだから幽霊もいる。むしろ彼女が人間だとすると、更に狂気だ。霊でなく人間が、こんな時間に校舎で何をするというのか。
「えっと、君は人間じゃないよね?」
『はい!わたしは霊、何となく学校をさ迷っているかわいそうな霊です!』
そう言うと、彼女はフワフワと浮いて見せた。ワイヤーも強力扇風機もない、種も仕掛けもなかった。随分とポップで軽い霊もいたもんだ。さてはこの霊も何らかの『物語』に関わっているに違いない。こうしてはっきりとその姿を捉えることが出来るのも、『マスターキー』のお陰だろう。
「それで、俺に何をしてほしいの?」
こういう『敵意のない霊』は、生前の心残りを解決してやることで成仏するのがお約束だ。塩でもかけて強制成仏という手もあるが、『霊がいる』という事実を前にして、さすがにやろうとは思わなかった。怨霊になって出られても困るし。
『うーん、確かに幽霊になる前、やり残したことがあったと思うんですけど……。忘れちゃいました!』
つまり記憶喪失パターンか……、面倒だ。
『昼でもよく校内を散歩してるんですけど、わたしが見える人、触れることができる人は初めてです!』
そう言うと、霊は俺の手を握った。冷たっ! 最近の霊は日光を浴びても平気なのか。ヴァンパイア然り、どんどん弱点が無くなっていくな。
「昼も出歩けるなら、続きは明日でもいいか? そろそろ帰らないと親がうるさいんだ」
そう言い立ち上がった俺の腕を、霊の手が掴んだ。冷たっ! 離せと鋭い視線を送ると、しくしくと着物の袖で涙を拭う素振りを見せる。
『わたし、かわいそうな霊なので、今晩の宿を探してるんですよ』
瞳を潤ませ、俺の手に細い指を絡ませて俺を見つめる。いや学校に出るんだから学校に泊まれよ……。そもそも幽霊って寝るの? 食事は? 性欲は? 便意は催しますか?
しかし結局この暗闇で話してても埒が明かないと判断した俺は、押し入れで寝るという条件で霊を連れ帰ることにした。異性を部屋に入れるのは初めてだ。果たして霊をカウントしてもよいのかは定かではないが。




