未来人の実験台にされた
魔物討伐のため、廃墟になった洋館に飛び込んだ俺は、10メートルほど先に<ラスボス>と書かれた部屋の扉があることに気づいた。
「なんだ、いきなり最終ステージか。張り合いがないぜ」と肩を竦めていると突然、床から無数の魔物が湧いてきて一瞬にして俺を取り囲んだ。
一匹ずつ現れるのなら未だしも、一斉に現れて取り囲んでくるとは予想しなかった。
数で勝負というわけだ。
いくら魔物が勇者にやられる確率が高いとは言え、それに対抗する奴らの作戦にしては反則級である。
(ヤバい! 絶体絶命のピンチだ!)
歴戦の勇者であっても、この包囲から抜けるのは無理だろう。
この窮地を如何に乗り切るか考えあぐねていた時、入り口の方から声が聞こえてきた。
「マモル!」
女勇者ジュリだ。
(おっと、助けに来てくれた!)
声の方を振り向いた。
しかし、魔物の肩越しに覗いても、彼女の姿は見えない。
「おーい! 俺はここだぞぉ! 敵さんは、わんさかいるから気をつけろ!」
「マ・モ・ル!」
「おおよ!」
彼女の声はするけど、まだ姿が見えない。
焦りが募り、剣を握る手が汗ばむ。
「おいおい、どこだよ!」
『剣を振り回しながら、魔物の輪の中へ助けに入ってくる女勇者の勇姿と決めポーズ』
『俺とジュリは互いに背中を預けて魔物に斬りかかる』
そんな絵になる一シーンを頭に描いていたものの、何も起こらない。
魔物は彼女の声が聞こえないのか、さっきからこちらを向いたままだし、それより肝心の女勇者が現れないのだ。
(おいおい……何処だよ……)
とその時、一段と大きな声がした。
「マーモールー! 起きてー!」
(何!? こんな状況で『起きて』だと!?)
これには耳を疑った。
今、魔物と対峙しているのに寝ているわけがない。
なのに、彼女は『起きて!』と言う。
その一言に困惑していると、急に魔物の大群も扉も暗闇に飲まれ、目の前に光が差し込んできた。
(ここはどこだ?)
光の中で、何か黒い物やら肌色の物やらが動いている。
やがて、ぼんやりとした視界が徐々にハッキリとしてきて、モヤモヤした色の正体が見えてきた。
(ん? もしかして……その顔はジュリ? 今頃登場??)
視認出来たのは、ジュリはジュリでも女勇者の姿ではなく、黒いセーラー服姿のジュリだった。
彼女は三つ編みの先端を指で弄りながらニヤけている。
魔物や勇者の世界にセーラー服とは、おかしな組み合わせだ。
虚構と現実。
この世界の区別が付かない時期も昔はあったが、今の俺はちょっと残念だけれども区別が付く。
あの頃が懐かしい、なんて振り返る齢になってしまった。
なので、虚構と現実を見た以上、ここで遅蒔きながら現実世界へ引き戻されたと認めざるを得なくなる。
「なんだ、……夢かよ」
深い溜息をついた。特に『夢かよ』に力を込めて。
「何がっかりしているの? マモルの睡眠学習の時間、てかホームルーム終わったよ。帰ろうよ」
ジュリは、悪戯っぽく笑い、俺の痺れた額と両腕を摩ってくる。
俺は君農茂マモル。高校二年生。
さっきからジュリと言っているのは突猪ジュリ。
幼稚園時代からの幼馴染みで同級生。
ずっと同じ学校で、時々同じクラス。
高校に入ると、高一、高二とも同じクラスだ。
人前で平気で俺と腕を組んだり、こんな風に自然に触ってきたりするが、俺のカノジョではない。
しかし、周りはそうは思っておらず、完全にカノジョ扱いになっている。
そうして付いたあだ名は<マモルの虫除け>。
その名の通り、周りの女生徒が誰も俺に寄りつかない。
おかげで、実は小学校の時からそうなのだが、ジュリ以外の女の子とどう接して良いのか分からない状態になっているのである。
「今日はどんな夢? イケメンの見る夢だから、ハーレム?」
彼女は、そう言ってフフッと笑う。
「ラスボスを前にしてお前に見放された夢。孤独な勇者は辛いよ」
「学ラン着たぼっち勇者?」
そう言われてみれば、夢の中で勇者の俺は学ラン姿だった。
彼女はなぜ分かったのだろう。
「ぼっち言うな! それより、ケンジは?」
俺は立ち上がり、席を立つ同級生達の間から首を伸ばした。
教室の入り口付近の席にいるはずのケンジを探すためだ。
長身のケンジの頭は他の生徒の頭を一つ抜き出ていたので、すぐに分かった。
「はいはい。続きは二人でゲーセンってわけね。その前に、アイスおごりなさいよ」
彼女は向き直った俺を見て、人差し指で俺のまだ痺れている額をぐいっと押す。
「高二にもなって、まだおねだりか」
「駅前のパーラーにある春限定の桜もちアイスがいいなぁ」
「話を聞け!」
俺達は帰宅組。
クラブ活動のため部室へと急ぐ同級生達の間を縫うようにして教室を出て、廊下をダラダラと歩くのはいつものことだ。
この時間帯のゲーセンは空いているので急ぐことはないし、帰宅組がバタバタと廊下を走って帰るという目立った行動をするのも気が引ける。
「サッカー、やってんじゃん」
2階の空いている窓からジュリが外を覗き込んで言う。
明らかに俺に対しての発言だ。
彼女の横に並ぶと、彼女はあるポジションの動きを熱い視線で追っている。
おそらく、視線の先は俺の交代要員だろう。
あの時のこと、コーチから補欠宣告を受けて目の前が真っ暗になったことをまた思い出してしまった。
急に気分が悪くなったので、吐き捨てるように言う。
「レギュラー外されたから、もう顔出さねえし!」
ジュリは俺の物真似をする。
「補欠なんてクソ食らえー!」
「それ俺の台詞」
この台詞は昨日も言ったなと思いつつも、繰り返した。
「まだ続けていればよかったと言いたい?」
「うーん……」
彼女は下を向く。
「面倒臭がり屋の性格は、いいことないよ」
俺は彼女に背を向けて呟いた。
「面倒臭がり屋は時と場合による」
早くこの会話から逃げたい気持ちで一杯だった。
そこで、ケンジに逃げ場を求める。
「それより、なんでケンジは部活やらないんだ?」
ケンジは、長身で肩幅もありバスケットボールか柔道の選手かという体格。
しかし、その体格からは想像できないほど気が弱い。
彼はボサボサの頭をかきながら蚊が鳴くような声で言う。
「自信ないし……」
「格ゲーやらせたらお前は最強なのに」
「そう?」
「ああ。……しっかし、お前がゲームやっている時の前のめりの姿、体格と似合わないよな。筋肉がもったいない」
そう冷やかすと、彼は苦笑いをする。
「格ゲーは、体格関係ないし……」
すると、ジュリが俺達二人の間に肩をグイッと突き出して割り込んでくる。
「はいはい、格ゲーは後。アイスが先よ」
ここで試しに、彼女の目の前へ見えない練り餌を垂らしてみた。
「駄目。お前もゲーセン付き合え。縫いぐるみ取ってやるから」
彼女は目を見開く。餌に食いついたらしい。
「じゃ、あのピンクのパジャマを取ってくれたら許す!」
速攻で快諾された。いや、条件を付けられたと言うのが正しい。
(まあ一応、魔物に取り囲まれた悪夢から助けてくれたし)
そこで、学ラン勇者よろしく胸を叩いた。
「俺に任せろ!」
それから俺達は、お互いにいろいろ冗談を言い合いながら昇降口を出た。
学校からゲーセンのある商店街までの間は、梨園などの果樹園が広がっている。
季節ではないので、梨狩りの観光客もいないし静かである。
見慣れた立て看板。
たまに通る車。
たまにすれ違う老人。
再び訪れた静けさ。
俺達の足音。
まだ咲いている桜の木からこぼれ落ちる花びら。
時折、頬を撫でる風。
その風につられて、俺は後ろを振り返る。
俺達が通う花道丘高校は部活を奨励している学校ということもあって、帰宅組は希なため、この時間に道を歩いている生徒の姿はない。
とその時、ヒューッと風が吹いた。
ゾクッと何かの予感がした。
(とんでもないことが起こる……)
側にいる二人を感じない。募る孤独感。
「俺このまま、異世界に行ったりして……」
何故かそんな言葉を口にした。
右横で歩いていたジュリは、俺の脇腹に拳を突きつけて笑う。
「ぼっち勇者の夢の続き? まだ夕方だよ!」
また現実に引き戻された。
「ぼっち言うな!」
俺も笑った。
とその時、前を歩いていたケンジが急に立ち止まる。
急には止まれないのでケンジの背中にぶつかり、しこたま鼻を打った。
ケンジは、蚊が鳴くような声を振るわせながら言う。
「なんか光った……」
「どこ!?」
鼻をさする俺とジュリはハモった。
ケンジの震える右手が指さす先を見ると、100メートルほど向こうにある果樹園の駐車場付近にうずくまっている黒い人影が見えた。
でも、光は見当たらない。
「光ってないじゃん」
また俺とジュリはハモった。
ケンジが震える声で言う。
「光ったら、あいつが現れた……」
「マジ!?」
今度は俺が先に叫んだ。
黒い人影は動かない。
「本当に人だよな」
近づこうとすると、後ろから肩をつかまれた。
俺の後ろに回り込んだジュリだ。
「待ちなよ。きっと、やばいよ」と震える声で言う。
その声が聞こえたはずがないのだが、人影がひょいと立ち上がり、こちらを見たように思った。
とその時、人影はフッと消えた。
「消えた! 確かに、やばいかも」
俺は、ジュリの方に振り返って答えた。
すると、ジュリが「わぁ!」と叫ぶ。
俺の顔に驚いたんじゃないよな、と思いながら駐車場の方へ振り返ると、目の前に全身黒タイツの男が立っていた。
「うわぁ!」
お化け屋敷やホラー映画くらいでは驚かない俺も、さすがに驚いた。
黒い人影が瞬間移動したに違いない。
あそこにいたのは、今目の前にいる全身黒タイツの男だったのだ。
男は、全身で露出しているのは顔の部分だけ。
指先まで真っ黒だ。
ペンシルで描いたようなキリッとした眉。細くて垂れ目。高い鼻。つり上がった口元。薄い唇。
ちょっと化粧をしたらピエロが似合うかも知れない顔だ。
男は、愉快でたまらないという顔をしながら口を開いた。
「私、未来人よ。ウフゥ!」
倍速テープのように早口だ。
(未来人。しかもオネエ)
笑いのツボを押されたが、恐怖のあまり固まっていて声も出ず、笑いたくても笑えなかった。
その未来人はケンジに顔を近づけた。
「違う!」
俺の肩越しにジュリを覗き込んだ。
「これも違う!」
そして、俺を見た。
ニーッと薄気味悪く笑うと、「ビンゴ~!」と叫んだ。
こちらはまだ固まったまま声も出ない。
「はいは~い。今から実験。ちょっと、これを指にはめてネ~」
未来人は俺の左手中指に筒のように太い指輪をはめた。
あまりの素早さというのもあるが、体が固まっていたので抵抗できなかった。
されるがままでは悔しいが、どうにも体が動かない。
「は~い。次は、アクシュ~」
未来人はいつの間にか右手にタブレットのような装置を持っていて、左手で握手を求めて来た。
釣られたのか、催眠術に掛かっているのか、俺はこれにも抵抗なく握手をしてしまった。
と突然、周囲が眩しい光に包まれ、目を開けていられなくなった。
音も聞こえなくなった。
何が起きたのかまったく分からなかった。
◆◆
マモルが未来人と握手をした途端、彼の周囲が閃光に包まれた。
数秒で光は消えたが、見ると彼も消えていた。
正確に言うと、彼の着ていた衣服がそこに抜け殻のように落ちていて、体は消えていた。
ジュリもケンジも呆然と立っていると、未来人は倍速テープのような早口で自分のことを話し始めた。
彼の話によると、彼は200年後の世界から来た研究者で、並行世界の住人を交換する装置を開発したらしい。
たとえば、マモルと並行世界にいるマモルとが交換できるというのだ。
この装置が過去の人間にも使えるか実験するため、未来人から見て200年前のこの世界に来たらしい。
その未来人がウインクをして、ジュリとケンジに言う。
「あんた達、数学得意? 実はネ、複素3次元をある軸で切り取ると複素平面が現れるんだけど~、それって4次元空間なノ。いろんなところを切り取ってできた4次元空間の間を自由に行き来できるのが、この装置。あの指輪とセットになっているのヨ」
数学と聞いただけで虫ずが走るジュリとケンジは、意味不明なので「ハァ!?」と聞き返す。
未来人は、溜息混じりに肩を竦める。
「まあ、本当は違う理屈で交換するだけど~。あんた達が分かりそうな、たとえ話にしてみたのに、分からないノ? この時代の人が分かる言葉を使っても駄目だったのかしら~」
ここで、ようやく正気を取り戻したジュリが「何すんだよ! マモルを返せ!」と未来人に殴りかかった。
彼女は一応空手を習っているので、多少は手加減したらしいが、殴られた未来人はヘナヘナと倒れ込み、タブレットのような装置を地面へ落としてしまった。
「オオ、こわ~! 野蛮人ネ!」
未来人は彼女を睨み付けると、立ち上がって汚れた全身タイツを両手でパタパタとはたきながら、「マモルって子? そこにいるわよ」と梨園の一角を指さす。
「並行世界の子だけどネ」
彼が指さす先を見ると、全裸になった男が腹を抱えるようにうずくまっていた。
彼女は「マモル!」と叫んで駆け出しそうになったが、『並行世界の子だけどネ』の一言で立ち止まった。
「何、その並行世界の子って?」
「分からない~? 交換されたノ。マモルって子が」
「交換してどうすんのよ!」
「大丈夫ヨ」
未来人はニヤッと笑い、「とにかく実験成功~! じゃ、もう一度交換して、元に戻すわネ」と言って、右手を見る。
しかし、あるはずの装置がない。
「どこ~! ……あった」
彼は慌てて、地面に転がった装置を拾い上げると、急に青い顔になった。
「石にぶつかってるし! これ、衝撃に弱いのヨ! 壊れたらどうしてくれるノ!?」
衝撃に弱いという割に拳で装置を叩き、カチャカチャ触っていた彼だったが、しばらくするとガックリと肩を落とした。
「駄目、壊れたわヨ……。あの子、並行世界から元に戻せないじゃないノ~!」
「えええええええええっ!!」
ジュリとケンジはハモった。
◆◆