レッドと形見の赤い布
アイアス・・・。
聞き取った者がおうむ返しにそう呟き、それはたちまち左右後方へと広がっていった。
「今、アイアスって言ったか。」
「ああ、確かにそう聞こえた。」
「だが若すぎる。」
「あのお兄ちゃん、アイアスなの?」
エミリオとギルのそばでも、そんな声々がしている。
ギルは、「なるほど・・・。」と、小声でつぶやいた。
レッドと初めて会ったあの日、彼はベテランのアイアスの旅仲間だと聞いた。それを思い出したのである。あまりの若さに思いもよらなかったが、連れというより後輩だったわけか。あの時はまだ紋章は無かったから、アイアスの二次試験中だったんだな。どおりで強いわけだ・・・と、ギルは胸の内で納得した。 ※1
「アイアンギルス・・・。」
相変わらずの分かり辛い驚きようで、エミリオはその正式名を口にした。
「だから隊長だったの。」シャナイアが言った。 「やっぱり聞いてないのね。だからあの時も、初め、私たちの不信感を買ったのよ。これほど名誉なことはないのに、へんに照れ屋さんなんだから。」
「照れ屋だって?」
ギルが意外という声できき返すと、シャナイアはうなずいた。
「ええ、その秘密をバラしたのは私なの。故意にしたわけじゃないんだけど、川であの子が顔を洗ってる時にたまたま。それで私〝あなたアイアスなの⁉〟って思わず大声で叫んじゃって。その時のレッドのあわてようったら、真っ赤になっちゃって、可愛らしいったらなかったわ。」 ※2
ギルはこの時、レッドが彼女に子供扱いされる訳を悟ったのだった。
一方のカイルは、見紛いようもなく露になったその紋章と、レッドの鋭い切れ長の瞳とを、ただただ交互に見つめるばかりである。
少し強い風が吹いていた。
レッドは無言で立ち上がり、背中を向けた。すると、どこを見ても熱い視線をひたすら注いでくる人、人、人の顔。頻繁に通り過ぎるそんな夜風が、レッドの前髪をひらひらと泳がせていた。今や全てに点灯されている照明ランプや、かがり火のおかげで、形までは定かでなくても額に刺青があることは、前列にいる見える人には何となく分かる。
だがレッドは、もはや潔い気持ちで顔を上げていた。
その真の勇者らしい精悍なたたずまいは、人々に、アイアスから連想されるあらゆる敬意の言葉を思わせた。
伝説の英雄、あるいは司令塔を輩出してきた超一流の養成機関、アイアンギルスへの登竜門を見事くぐり抜けた当時十七歳のレッドだったが、およそ半年後、はれて資格をとってみれば、待っていたのはあからさまに注目してくる、通りすがる人々の仰天した顔だった。それは単に、レッドがアイアスというだけでなく、彼が二十歳にも満たない少年だったからである。事実、レッドはアイアンギルス史上最年少合格者だ。
しかしレッドは、行く先々で出くわす予想以上のこの大袈裟な反応に、そのうち落ち着かなくなってしまった。それで、得意げに堂々と歩くどころか、時にはさりげなく額に手を当てて、本来誇るべき紋章を隠そうとしたのである。
そんなふうに小さくなってそわそわしているレッドに、その時一緒にいたテリーはすぐに気付いた。
テリーは呆れたようにほほ笑むと、「気になるか?」とレッドにきいた。
そして、レッドが、「見世物みたいだ。」と悲しそうに答えているそのうちに、ベルトに結び付けていた赤い布を解いて、額に結んでやったのである。
それが、今はカイルの右の腿を縛っている布だ。
「アイアスってなに。」
リューイが問うた。
「ええっ!」カイルは興奮してわめいた。「数少ない大陸最強の戦士たちのことだよ! 滅多に会えない無敵の戦士だよ!」
「なんか・・・凄そうだな。」
「お前ほどじゃないさ。」
レッドは肩越しにリューイを見た。
「で、なんで額に? そんなことしたら隠れちまうだろ。その・・・せっかくの凄い印が。」
「あ・・・そっか・・・隠してたんだ。」と、カイル。
「なんで。」
「周り見てみなよ、こうなるのが嫌だったんだよ、きっと。」
リューイは首をめぐらした。なるほど、周りから注目されているし、何やら騒然としているようだ。
「そうなんだ・・・知らなかった。」
そうリューイはつぶやいて、レッドを見た。
だろうな・・・と、レッドは声にせずひとりごちた。だからリューイには堂々と見せていたのである。
そのまま二人の会話を聞いていたレッドは、視線を逸らして、下を向いた。
その横顔がひどく悲痛になったことに、リューイは気付いた。リューイはどうしたのかと思い、まじまじと見ていたが、胸が締め付けられるような感じがした。
「だが今は・・・それだけじゃない。」と、レッドは視線を落としたまま言った。「その布は、俺が尊敬している人の形見なんだ。だからいつも身につけていた。」
そして、戒めでもあった。彼の死に報いるための・・・。
レッドの脳裏に、辛い過去が鮮烈な映像となってよみがえった。たまらず目を閉じたレッドは、また二人に背中を向けた。だがそれは消えることなく、瞼の裏にも、死の淵でうっすらとほほ笑んだテリーを見た。レッドは、次いで耳の底から聞こえてきた声に、唇を噛み締めた。
お前は、俺を超える・・・。
超えなければならなかった。それは約束となり、贈られたその言葉に頷きながら、レッドは早くこの場で気を取り直そうとした。
だがそれでも、リューイとカイルは顔を見合った。訳を話したレッドの声が、途中、震えたように聞こえたから。実際、うな垂れているその背中はまだ悲しげで、今にも嗚咽が聞こえてきそうだ。急に弱々しくなったレッドの肩に、リューイはそっと手をかけたいという衝動に駆られた。
だが、かける言葉としては、何を言えばいいのか分からなかった。
※1 『アルタクティスzero』― 「外伝4 運命のヘルクトロイ」
※2 『アルタクティスzero』― 「外伝3 レトラビアの傭兵」