アルバドル帝国の弓職人
「そこのお兄さん、弓には興味ないかい。」
背後で男の声がした。もう間違いない・・・聞き覚えのある声だ。だが無視することができずに、ギルは仕方なく振り向いた。
すると男は、その顔を目の当たりにするや否や、一瞬言葉を失い呆然とした。ギルにとっては案の定という反応である。
「驚いたね、あんたアルバドル帝国の皇太子様にそっくりだよ。」
男はギルの顔だけでなく全身を眺め回して、ため息をつきながら言った。
「歳の頃といい、背丈といい、体格までうり二つだよ。信じられない。」
「よく知っているのか。俺は見たこともないが。」
ギルはそう言いながらも、あまり目を合わさないようにしている自分に気付いた。
「いやあ、これは自慢ですがね、実は私その国の者でして、お城に何度か弓を献上にあがったことがあるんですよ。今や大陸屈指の強国に成長して、改築された城館はもう見事のひと言。」
「そいつは凄いな。」
ギルは肩をすくう思いで、あくまで庶民を気取った。
「まあ結局は、皇帝陛下や、大将たちのお眼鏡にかなえば、褒美をたっぷりといただけるわけですがね。私はこう見えても、実際にこれらの弓を作っている職人ですから、腕には自信があるんです。それで毎度、特に選りすぐったやつを持参するんですが、皇子はさすがに名手だけあって、いい目をされておられる。中でも最高傑作のものを必ずお選びになるんですよ。あんたさん、その眼の色までそっくりだよ。」
男がそう言って瞳を覗きこんできたので、ギルはあわてて手元にあったものを指さした。
この眼 ―― 稀有な青紫の瞳 ―― はまずい・・・。
「これは・・・。」
そこで咄嗟に指を向けた武器が、ギルは見たこともない珍しい形であることに気付いた。
「これは・・・どうやって使うんだ?」
それは弓にしてはずいぶん小型で、縦ではなく横にして構えるという機械仕掛けの最新兵器。
「ああ、機械弓(クロスボウ)ですね。それはこう矢をひっかけて、ここの安全装置を外し、それからこのレバーを引くだけで飛ぶようになってるんです。安全装置は子供の悪戯防止ですが、構える前にうっかりということもありますので、連続して使う以外はできるだけセットしてくださいね。」
男は専用の矢をその弓に仕掛けてみせ、事細かく説明すると、一度外した安全装置を元に戻した。
「扱いが怖いな・・・けど、上手いことできてるんだな。」
「そいつは優れもんですよ。東はだいぶ落ち着いてきたので導入がやや遅れましたが、エドリース ―― 激戦の地 ―― ではもうかなりの需要があるとか。この辺りでも、ハンターたちの間では人気ですよ。」
「それで、この弓も見せたのかい? その・・・アルバドルの皇帝や将軍たちに。」
ギルは気になって、ついそんな質問をしていた。
「ええ。試作品ができたと同時に。」
「それで反応は?」
「好評でしたよ。すでに契約も成立して、今、工房は大量生産の真っ最中です。大忙しですよ。」
「そうか・・・。」
ギルは、母国が常に強くあって欲しい気持ちと、平和への祈りとが絡みあい、複雑な面持ちで瞳をかげらせた。
「国を守る準備だけは・・・怠るわけにはいかないからな。」
「そういえば・・・その時、皇子様いなかったなあ・・・。そういう時には必ず同席するお方だと思ってたけど。」
じっと見つめてくる男のその視線にギクリとして、ギルは、「あ、ほら今にも買ってくれそうなお客がきてるよ。俺はもう少し考えさせてくれ。」と、別人らしく言った。
「どうぞ、ごゆっくり。」
男は愛想よく返事をすると、その客の対応に回った。
「いらっしゃい。お客さん、かなり使えそうですねえ。競技に出るんですかい?」
ギルは、矢が仕掛けられたままになっている、先ほどの弓を手に取った。実際にそうしてみるとたちまち興味が湧いてきて、ギルはいろんな方向にそれを構えては、少年のように微笑んでいた。
だがその表情は、構えた先にふと人だかりを見つけるなり、真顔に戻った。一本で佇むトチノキの下・・・そこに、何やら小さな人だかりができている。
弓を手にしたまま、ギルは好奇心で近付いて行った。
すると、そうする間にも見て取れたことが二つ。集まっているのは男ばかりであることと、その理由である。一目瞭然だった。男たちが取り囲んでいるのは一人の踊り子で、亜麻色の長い髪がよく似合う美女なのである。目の醒めるような美女だ。
ギルは思わず立ち止まり、目をぱちくりさせた。心の中で、何かが弾けたような気がした。
ギルには、旅に出るにあたって、その理由のほかに一つ期待していたことがある。それは、理想の女性とめぐり合うこと。そして面食いになれば、彼女の容貌は文句なしにタイプだ。だがそれ以上に、気の強そうなところがひときわ魅力的に映った。分かり易いやきもちを焼いてくれそうな感じがいいと思った。なにしろギルが求めている理想の恋人とは、自分のいいなりにならず、時には喧嘩ができる、素直に愛情を見せてくれる、そんな可愛い女性なのである。
なぜ気が強そうだ・・・と思ったかは、その彼女が実際に今、目の前でぎゃあぎゃあと怒り散らしているからだ。
そんな様子のおかしさに気付くと、ギルは小走りに駆けだした。