その美女は・・・
長身のその男性は、馬から降りてすぐさまあとに続こうとした騎士たちに、軽く手をあげてみせた。来なくていい・・・と、その仕草一つでそう言ったのだ。
三人とも貴族の服装をしている。それがエミリオとセシリアであり、その少年が二人の子供であることは誰もがすぐに見て取れた。
セシリアと息子を促して仲間たちが待つ方へと歩いてきたエミリオは、そこでまず、ギルと目を見合った。
何年も顔を合わせておらず、今では身分の全く違う二人だったが、ギルは対等な言葉遣いでエミリオにレッドのことを話し、従者たちの前ではわざと威厳あふれる口ぶりで話すエミリオも、この時は、かつて仲間たちに向けていたのと変わらない少しくだけた柔和な口調で、ギルと二言、三言言葉を交わした。
あまり詳しいことを聞かされていなかったエミリオの息子は、まるで自分に語りかけるように彼らと話をしている父を見て、それをなぜかと思い首をひねっていた。だがすぐに、父譲りの頭の良さと清い心で、彼らは父と対等なのだと理解した。
それで少年は、どう見ても自分よりも下級であると思われる彼らの前でも躊躇いもなくへりくだり、エオルアと名乗って高貴な口調で完璧な挨拶をした。
柔らかいブロンドの長髪と、そして瑠璃色の瞳のその少年は、ギルとシャナイアの娘のラターシャと同じほどだったが、妙に落ち着いた雰囲気のある大人びた子で、驚くほど美しく整った顔立ちをしている。
エオルアは二つの墓石を交互に見て、父の顔を見上げた。
エミリオは、墓穴から二本の剣が見えている方に手のひらを向ける。
「父上・・・どなたのものでございますか。」
エオルアは、そこにあるだけで、なぜか敬服させられる力を放っている、その剣を見つめながら問うた。
「かつて、共に旅をした仲間のものだよ。そして・・・私が知る中で、最も偉大な戦士。」
エミリオは、この剣にはどんな物語が秘められているのだろう・・・と考えていた息子に、それに答えるかのように教えた。
「仲間・・・ですか。」
エオルアは、舌に馴染まない新鮮な言葉だと思った。
「喜びも悲しみも分かち合える、己を犠牲にしてでも守りたいもの・・・それが仲間だ。」
「己を犠牲にしてでも・・・私には、想像もつきません。」
「考えてすることではない。心が、体が反応するのだ。失いたくないと。」
エミリオの言葉は、それを言った本人を含め、あの苛酷で様々な宿命の中でまさにそうして友情を培い、強い絆で結ばれた男たちにはたまらなく辛いものだった。
「では父上は・・・今・・・。」と、エオルアは声を詰まらせて、そっと父の様子をうかがい見た。
見覚えのあるレッドの剣を見つめていたエミリオは、息子が何を言おうとしたのかを悟って目を伏せる。
「また会えると・・・信じていた。」
ギルやリューイ、そしてカイル・・・仲間たちの顔が一斉に歪んだ。
ひどく重苦しい静寂が訪れ、しばらくは、そのまま誰もが口を開く気力もなく項垂れていた。
本当なら、イヴは、底知れない悲しみの沼からまだとても這い上がれる精神状態などではなかった。男の友情も特別なものだが、イヴにはその比ではない深い愛情がある。レッドを好きになってからずっと、呆れるほど一途だったそれは、この先も永遠に変わることはない。互いにそうだった。乗り越えたものもあり、育んできたものもある。こうなる最後を覚悟してはいても、完全に割り切ることなどできなかった。
だが、ここは自分が進めなければ・・・とイヴは胸中で自身を叱り、辛うじて気持ちを切り替えた。
「皆・・・来てくれてありがとう。」
イヴはやっと言った。
仲間たちはそっと微笑を返し、無言でうなずきかけた。
やがてレッドの遺品は丁寧に埋められていき、そして二つの墓の上に、それぞれが用意してきた花が手向けられる。
ギルやエミリオが我が子を自分の前へと引き寄せ、続いてほかの者も弧を描くように肩を並べて立った。
そこで彼らは、誰からともなく顔を見合う。
思いは同じだった。
かつて運命の出会いによって繋がった仲間は十人。
一人足りない・・・。
レッドのことを誰よりも愛しているのはイヴだが、誰よりも慕い、いつも付きまとっていた少女が。
イヴはもちろん、トルクメイ公国にもレッドの訃報を送っていた。ローガン公爵も、彼には友のような気持ちを抱いている。そのため、何かの手違いで届いていないというよりは、ショックのあまり足を向けることができないのではと思われた。
辺りはもう暗くなりつつあり、ロザナリア王家の馬車にはランプが灯っていた。
彼らは整列した。
そして黙祷を捧げようと目を伏せた・・・その時。
ロザナリア王家の馬車が来たのとはまた別の方角から、急ぎ足な車輪の音が響いてきたのだ。
みなは一斉に振り返った。
するとやはり、お供を引き連れた一台のそれがやってくる。
それはロザナリア王家の馬車の隣に停車した・・・いや、完全に止まる前にいきなりドアがバタンと開いて、かと思うと、中から慌ただしく一人の女性が駆け下りてきたのである。
淡いピンク色のドレスを着た、年頃の美女だ。健康的な小麦色の肌で、ポニーテールにして束ねている長い髪は艶やかな焦げ茶色。そして、くりっとした大きな小豆色の瞳・・・間違いない。
だが、それが誰であるかはすぐに分かったものの、誰もが記憶とあまりにも見違えることから驚いて、ただ絶句した。
やがて脇目も振らず真っ直ぐにやってきたその美女は、誰もが唖然と見つめている間をすり抜けて、遺体のないレッドの墓の上に倒れ込んだ。そして子供のようにワアワアと声を上げて号泣しだしたのである。
だが、うるさく泣いて喚けば必ずかまってくれた彼はもう、この大陸のどこにもいない・・・。
虚しさに気付いて急に声を落とし、やや呆然となったその美女は、レッドの名前が刻まれた墓石にしがみついた。あの頃の彼は、泣いてこうすれば、参ったなというように抱き上げ優しくしてくれたのである。
「応えてよ・・・レッド。」
震える声で、彼女は墓石に囁いた。
「ミーア・・・。」
イヴはその場に泣き崩れた。
そっと抱き寄せてくれたカイルの胸を借りて、イヴも声を上げながら涙を流した。見ると、カイルの頬も濡れている。レッドとは戦友として、喧嘩友達として思い出深いシャナイアもまた、両手で顔を覆っている。そして、同じく喧嘩ばかりしていた相棒のリューイは歯を食いしばって堂々と涙を見せ、その隣にいるメイリンは下を向いて嗚咽を漏らしていた。セシリアは、お上品に口を覆ってさめざめと泣いている。その肩に手を回したエミリオと、同様に妻の肩を抱いてやったギルの瞳からも涙が零れた。
レドリー・カーフェイ。
精悍なその険しい顔つきとは裏腹な内面が人を惹き付ける、不思議な魅力の持ち主だった。驚異的な剣の使い手で、少年の頃から、苛酷すぎる幾多のさだめにも決して屈することなく、見事に正義を貫いてみせた男だった。
そうして次々と涙を流しだした彼らの目にこの時見えていたのは、かつて共に旅をした思い出の中に鮮明に映し出される、そのかけがえの無い一人の男の、まだ若々しい様々な表情。
やがて、悲しみに暮れる彼らを慰め癒そうとするかのように、夜の精霊たちが音もなく舞い下りてきて、星々が瞬きだした。
聖なるエヴァロンの森は、彼らをそのままに、徐々に帳を下ろし始めた。