牧場のある日
青々とした大草原のただ中に、大きな牧場があった。
広大な範囲に木の柵が張り巡らされているその中で、筋骨たくましい駿馬がのたりのたりと草を食んでいる。色鮮やかな快晴の青空に、ぽっかりと浮かぶ白い雲。時折すうっと吹き抜けていく夏の終わりの青くさい風。それはまさに、彼がこれまで何度も思い描いたのどかな風景であり、切に望んだ理想的な環境だった。
そしてこの日は、そこを煌びやかな一行が訪れていた。
肘まで捲り上げた袖から伸びているよく日焼けした腕が、いかにも気の強そうな一頭の黒馬の首をなで回している。肉付きと身体のバランスが見事な、惚れ惚れするような美しい馬だ。
汚れたズボンと土まみれの長靴を履き、色褪せたシャツの合わせ目から、汗に光るたくましい胸板を覗かせているその男、ギルの腰や背中に剣は見当たらない。代わりに、倉庫などの鍵の束と手ぬぐいがベルトからぶら下がっている。
「大将の馬にするなら、こいつなんてもってこいだ。少々荒くれ者だが、手懐ければ従順に言うことを聞いてくれるぞ。なんたって、リアフォースの息子だからな。」
誇らしげな笑顔を向けてくるギルを、眩しそうに見つめていたディオマルクは、馬の脇腹辺りに視線を移して満足そうにうなずいた。
「これは立派な毛艶と体格だな。いただこう。」
「ここでは一番のヤツだ。手放すのは惜しいが、ぜひともこうして報いたい。それに、こいつは俺からの祝いだ。このあいだ戴冠式を迎えたんだろう、国王陛下。」
「どこでそれを?」
「情報局で記事を見た。もう町へ行くこともそうなくなったがな。」
「そうか・・・。」
ディオマルクは、次に首を巡らして柵の中を眺め回した。
「そこそこ増えたな。育てるのも大変だろう。」
「おかげで働き手を雇えるようにもなったから、上手くやってる。だが、軍馬を買いに来るとは・・・そういう兆しでもあるのか。」
「いや、エドリースがあのようになってからは、この大陸も全体的にすっかり落ち着いたが・・・だからといって軍を無くすわけにもいかぬ。今の平和が永遠に続けばよいと切に願いながらも、確かなものなど何もない人の世では、国を守るための準備だけは怠ることはできぬのだ。」
ディオマルクは悲哀めいた口ぶりで答えた。
国王としての責務を負い、それを立派に自覚しているこの幼馴染みが、ギルにはずいぶん遠い存在に見えた。それでも言葉づかいや態度を改める気にはなれなかった。もし改めようものならかえって叱られるだろうし、親友であり続けるために、親友として、あえてそうすべきだと思ったからだ。
「そうだな。えっとじゃあ、あと二頭だったな。それなら・・・。」
ギルがそう言ってほかの馬に目を向けようとした、その時。二人は共に、いきなり目に入ってきたものにびっくりして、あっと口を開ける。
赤い三角屋根から暖炉の煙突が突き出している一軒家。それが見える方角から、よちよち歩きの幼子が、裸足のまま手をふらふらさせて近付いてくるのである。
「パパー・・・パパー・・・。」
ギルはやにわにディオマルクの前から離れると、あわててその子を抱き上げに行った。
そして戻ってきた時には、ギルの胸の前に一歳半を過ぎたくらいの可愛らしい男の子が。
「商談中だぞ、ラルク。パパの邪魔しちゃダメじゃないか。」
そう叱りつけながらも、ギルはその子のふっくらした頬にキスをした。
亜麻色の少し癖のついた髪で、瞳は珍しい青紫色。幼いながらずいぶんと目鼻立ちの整ったその子は、ディオマルクを見てニコニコと愛想のいい笑顔を振り撒いている。
「そうか、一人はいてもいい頃だな。母親に似て、たいした美少年であるな。」と、ディオマルクも見つめ返しながら破顔した。
そのわざと皮肉めいたセリフを聞くと、ギルはこれに付き合うよりもやれやれと思い、ただ一言だけ返した。
「相変わらずだな。」と。
そこへお次は、二人の耳に女性のただならない喚き声。ギルにとっては聞き慣れた、そして、ディオマルクには懐かしい声である。
長いスカートにエプロン姿で、家事がしやすいように髪を一つに束ねているその美女は、構わず大声を上げながら あわただしく走り寄ってくる。
シャナイアだ。
「あなた、ちょっと大変なの!ついにやったのよ!」
ギルは顔に手をやり、その隣でディオマルクは愉快そうな笑い声を漏らした。
すると、みるみる近付いてくるシャナイアの表情はだんだんと変化していったが、最後は口に手を当てて、あからさまに驚いた顔に。
「まあ、王子様!来てくれたのね、嬉しい!
二人のもとにたどり着くなり、シャナイアは遠慮なくそう歓声を響かせた。
「元気そうでなによりだ。その美貌も健在であるな。」
「相変わらずね。」
「シャナイア、頼むよ。大事な話の途中なんだ。それに、ディオマルクも今は国王陛下だぞ。それと、ラルクから目を放さないでくれ。」
呆れたため息をつきながら、ギルは一家の主として父親らしくそう言った。
ところが、シャナイアは全く悪びれる様子もなく、何かワクワクしているせいで、やけに上等と見える封筒をひらひらさせながら手渡してきたのである。
「ごめんなさい、でもこれを見たら怒る気もなくなっちゃうわよ。」
見るからに特別な封書を、なぜ主人より先に開封しちゃってるんだ? と、少しは立てられたい願望を密かに漏らしつつ受け取り、確認すると・・・。
差し出し元は、サウスエドリースにある国家、ロザナリア王室。
ラルクを片腕に抱いたまま、ギルは気が急くのをおさえて手紙を引っ張り出した。中にある便箋などもずいぶんと質が良い。
食い入るようにそれを凝視するギル。
なんとそれは、セシリア王女と、王室騎士団長 エミリオ・フォードの婚儀への招待状だったのである。
さらに、エミリオの直筆でこうも書かれてあった。
《君の偽名を使わせてもらっているよ。陛下より、セシリアの友人である英雄達にぜひ会いたいとのこと。君達に再会できるのを、セシリアと共に心より楽しみにしている。》
「王室騎士団の団長だって !? 」
ギルは仰天して大声を上げた。
何事かとディオマルクも覗き込んで来て、驚きのため息をついたあと笑みを浮かべる。
「エミリオ・・・あいつ・・・。」
手紙を見つめたまま、ギルは呆然としている。
「認められたのよ、あの二人。結婚するわ!」
はちきれんばかりの笑顔で喜ぶシャナイアは、そんな夫の腕から横取りしたラルクにそう言った。