元気でな!
「レッド!」
あわててリューイやカイルが呼び止めようとした。
だが、レッドを立ち止まらせることはできなかった。レッドは、歩調を緩めることも振り返ることもなく、そのままさっさと退室してしまったのである。
ミーアがいきなり足元を蹴った。すぐにあとを追おうと。
だがその前に、父ローガンの腕が素早く伸びていた。父にサッと腕をつかまれて我に返ったミーアは、それを無理に振りほどくことなく足を止める。例え幼くても、レッドのことをよく知っている者になら分かるからだ。無駄だと。
それでも幼さゆえ、じっと我慢もできなかった。
「レッド、やだっ、行っちゃ・・・っ!レッド、レッドォッ!」
何度も何度も狂ったようにそう繰り返すミーアの声が、悲鳴のように部屋中に響き渡った。
「閣下、我々も行きます。どうかお許しを。」
エミリオはとても見ていられなくなり、仲間の誰よりもいち早く進み出ると言った。こんなふうに衝動的に動くなど珍しいことだ。
ローガンがうなずくと、彼らは一斉にミーアを見た。そしてその少女・・・旅の仲間に、心からの『さよなら』の笑顔を向けたのである。
すると、ミーアがぴたりと黙った。
一行はそんなミーアと長く見つめ合うこともなく、そろって一礼したあと、すぐにレッドを追いかけて行った。
だが、部屋を出る直前。
不意に足を止めたリューイは、無言で去っていく仲間たちをただ見送るしかないミーアを振り返った。
「ミーア、楽しかったよ。元気でな!」
それは、仲間の誰もが伝えたかった言葉。どんな人物の前でも同じ態度でいられるリューイは、それを代表して言ったのである。
リューイは、そのあとニコッと笑った。それから頭上で手を一振りして、姿を消した。
彼らが去ってしまうと、まだそこに呆然と目を向けたまま佇んでいるミーアの大きな瞳は、こみあげる涙でたちまちいっぱいになった。
急に静まり返った広間は、あまりにも切ない・・・。
娘の心境を察してそれを身に沁みるほど感じながら、ローガンは彼らが出て行った扉をただじっと見つめて考えていた。
彼らが娘に対してどう接してくれていたのか。何をどう教え導き、そして、どこでどんな思い出を作ってやってくれたのか。だだをこねることも、故郷を思い出して寂しがることも多々あっただろう。その時、どんな態度で、どんな言葉をかけてやってくれたのか・・・。
やがてローガンは、つい視線をそのままに呟いていた。
「彼らは、お前をどれほど愛してくれただろう・・・。」と。
ミーアの双眸から、涙がどっと溢れ出した。
エルーラがおろおろと両手を差し伸べ、ミーアは母に抱き寄せられて、その腕の中で泣きわめいた。親である公爵と公爵夫人が見たこともない姿で、なりふりかまわず激しく、声を限りに気が済むまで思い切り泣いていた。それは、この少女の喉がかれて、振り絞っても掠れた声しか出せなくなるまで続いた。
するとローガンの目に、彼らと共にいた時のミーアの笑顔がどうであったかなどが、ふと想像でありながら鮮明に浮かんだ。
そこではミーアは大口を開けて、普通の子供と同じように、遠慮ない元気いっぱいの笑顔を振り撒いていた。広々とした緑の草原や川の浅瀬で、きゃっきゃと楽しそうな笑い声を上げてはしゃいでいた。
そして、そばには、目を細めてその姿を見守る彼らがいる・・・。
ミーアの痛ましいほどの悲しみように、ローガンは、彼らがこの愛娘をどれほど大切にし、そしてどれほどの愛情を注いでくれたかを悟ることができたのだった。
速足で歩き続けるレッドの目には、困ったことにミーアの姿ばかりが見えていた。
愛嬌たっぷりに抱っこをせがむ顔や、偉そうに添い寝の相手をご指名してくる憎めない姿。怒った時やすねた時の可愛らしいふくれっ面や、緩みきった頬にぽかんと口を開けたままで眠りこける天使のような寝顔・・・。それらが忙しなく入れ替わり、浮かんでは消えていく。
自分の名前を繰り返し叫んでいたミーアの声を、背中で聞いていた。あの胸を切り裂かれるような声が、いつまでも耳の底にこびりついて放れない。呼ばれても、もうそばへ駆け寄ってやることはできない。その必要もない。あいつきっと・・・今頃、泣きわめいているだろう。お嬢様らしくお上品にではなく、ありのまま素直に、まためちゃくちゃに泣きじゃくっているだろう。
けじめのつけようが無くなり、その場の考えだけで自分勝手なことをしてしまった。最後に楽しい時間を一緒に過ごして、笑顔でさよならできたかもしれないのに・・・俺は・・・。
あんな別れ方・・・すべきだったろうか。
ふと涙が零れた。
驚いて立ち止まったレッドは、呆然となった。
思わず涙を流したのは一瞬だったが、そこで背後から肩に手を置かれて反射的に振り向いてしまった。
すぐ後ろにいたリューイは、レッドの潤んだ瞳と頬の濡れた痕に気付いて、かけようとした言葉を思わず呑み込んだのだった。