運命の旅の終点
モルドドゥーロ大公国を離れた一行は、南東へと馬車の旅を続けて、ようやく・・・とうとう、最後の目的地にたどり着いた。
そこでさよならしようと決めた場所・・・それは、トルクメイ公国。
早朝に到着したため、ミーアは故郷へ帰ってきたことにも気付かずに、馬車の中でまだぐっすりと眠りこけている。
ガタゴトと揺れる振動で、ミーアがふと目を覚ました。そして、開いた車体の後部から外に寝ぼけ眼を向けるや、パッと夢から覚めたような顔になる。
確かに見覚えのある様々なものが、代わる代わる目の前に現れてくるのだから。
見覚えのある鐘楼、見覚えのある橋、あの店・・・知ってる・・・。
四つん這いになったミーアは、荷台の後ろぎりぎりまで移動して、通り過ぎていく外の景色をよくよく眺めた。
「あれ・・・ここって・・・もしかして。」
「ミーア、あなたが本当にいるべき場所よ。」
動揺してそう呟いたミーアの背中に、シャナイアの優しい声がかけられた。
勢いよく振り返ったミーアは、その時、前方に決定的なものを見て唖然となる。
赤いドーム屋根の城・・・あれは、ブランダウア城。
ここは、トルクメイ公国 一一 。
たちまち悟った・・・二年前に、捨てたはずの故郷へ帰ってきたのだと。
「え、 何で !? 何で帰って来るの !? 」
馬車が路肩に寄っていき、停車した。
そしてミーアは、御者台にいるレッドが手綱を置いて立ち上がり、振り向いて、荷台へと移動してくるとあわてて走り寄っていく。
「ミーア、冒険はもう終わったんだ。」と、レッドは言った。そして、ヒドくうろたえた顔で見上げてくるミーアとしっかりと向き合い、言い聞かせるような声で続ける。
「今のお前なら、人の痛みや苦しみを分かってやれるし、皆の気持ちを大切にできる。だから、これからは 一一 」
「レッドは? どこかへ行っちゃうのっ? やだよっ! 皆そばにいてくれなきゃ、やだっ!」
「ミーア・・・俺たちだって、お前を帰したあとすぐに別れる。俺たちはもう、皆で一緒にいる必要が無くなったから、次はそれぞれのことをしに行くんだ。それがお前にとっては、ここで本来の生活に戻ることだ。ここは・・・お前の国だから。」
ミーアはうつむいて、べそをかいたまま口を利かなくなってしまった・・・。
「ミーア・・・。」
優しくミーアの頭に手をやろうとするレッド。
ところがミーアは思い切りそれを振り払った。そして、あっ・・・ と思った一瞬、レッドの脇をすり抜けて馬車から飛び降り、ビュンと逃げ出してしまったのである。らしくないことに、反応が遅れるとは完全に油断した。
「ミーアッ!」
レッドはすぐさま追いかけたが、ミーアが入って行った路地へ曲がろうとすると、もう少女の姿は忽然と消えていた・・・。
困ったな・・・という顔で後を追うのを止めたレッドは、そこにため息を残しただけで背中を返すと、ひとまず仲間たちのところへ戻った。
エミリオとギルも、それぞれ愛馬から降りていた。
ほかの者たちもすぐに馬車から出て来て成り行きを見守っていたが、レッドがその路地を曲がることなく佇んだのが分かると、沈痛な顔をそろえてレッドの様子をうかがった。
「どうする、レッド。」
リューイが言った。
「探すよ・・・もちろん。」
「手分けするか。」と、ギル。
「いや、俺が見つけて必ず説得する。あいつも少しは成長したはずなんだがな。けど参ったなあ・・・あいつ、めちゃくちゃすばしっこいんだ。」
「私たちは・・・先に城へ向かっていた方がいいかい。」
エミリオが言った。
「ああ、正門の辺りで待っていてくれ。すぐに行くよ。」
走りだしながら手を軽くひと振りして答えたレッドは、やれやれと呟いて、先ほど曲がりかけた路地裏ではなく、別の脇道へと入って行った。
砂浜のヤシの木陰でうずくまっているミーアを、レッドはしばらくして見つけることができた。
あてもなく歩き回って、偶然に発見したわけではなかった。
ミーアは眠っていたので覚えていないが、そこはレッドとミーアが初めて出会った場所。そしてこの砂浜は、よく冒険ごっこなどの幼稚なことに付き合わされた二人の遊び場でもあった。
忍び足で近付いたレッドは、そばに立ち止って海を眺めた。潮風が切ないと感じ、今、同じ思い出がよみがえっているのだろうな・・・と察して、余計に悲しくなるそんな話をあえてしなかった。
やがてそっと腰を落としたレッドは、そろそろと両手を伸ばして、背後からミーアの小さな背中をぎゅっと抱きしめた。
ミーアは膝を抱いて丸くなったまま、しょんぼりと下を向いて、レッドの顔を見ようともしない。
レッドは深々とため息をついた。
「なあミーア・・・何がそんなに悲しいんだ。」
「だって・・・だって・・・。」
「俺たちとはいられなくなっても、お前は一人じゃないだろ。お前には、お前のことを愛してくれるたくさんの人がいるじゃないか。お父さんやお母さん、それに、世話をしてくれていた侍女たち。みんなに、やっとただいまって言えるんだ。お前の元気な姿を見たら、きっとみんな大喜びするぞ。みんながどんなにお前に会いたがっていたか、考えたことはあるか。お前だって、そうだったはずだ。いいか、お前には将来、たくさんの人の力になれる可能性があるんだ。お前は・・・公女様なんだから。」
ミーアは返事をせず、そのあともしばらく黙ったままだった。
レッドもそれ以上言い募ることもなく、ただミーアの小さな体を抱きしめていた。そして、この少女が自分で気持ちの整理をつけ、立ち直ることができるようになるのを待った。
以前は我儘で、強引に自分のしたいことを通す少女だった。だが今は違う。もうそれができるはずだと、レッドは信じた。
やがて、ミーアが何か言葉を口にした。
よく聞き取れずレッドが優しくきき返すと、ミーアはもう少しはっきりと声を上げて言った。
「カイルみたいに?」と。
レッドは安心したような笑みを浮かべる。
実際、ミーアは将来、近隣国へと嫁いでいくことになるかもしれないし、この小さな国の歴史や襲爵の在り方などは、レッドにはよく分からない・・・が、そんな難しい話は無しにして、レッドは分かりやすくこんな言葉を送った。
「ミーア、約束してくれ。俺が次にこの国へ来た時も、ここが平和な楽園のままであると。」
お別れを言われた気がしたミーアは、やにわに振り向いてレッドの腰にしがみついた。そして、寂しさのあまり感情を剥き出しにしてワアワアと泣いた。
それをただ受け止めて、今はありのままか弱い両腕で懸命につかまえておこうとしてくるミーアの頭を、レッドは何度も繰り返し撫でてやっていた。
精神的にもひと回り成長したとはいえ、公爵令嬢であるとはいえ、聞き分けるにはまだまだ未熟な心と、腕ずくで引き止めるなどとうていできはしない小さな体。それを丸ごと抱き込んだレッドの胸に、幼くて純粋で真っ直ぐな悲しみが、痛いほど伝わってくる。
その衝撃に、レッド自身もまたやられそうになるのをじっと堪えた。こんなふうに触れ合い、慰めてやれるのもこれが最後だろう・・・。