プロポーズ
その日の夕暮れ時、ギルは自分の前にシャナイアを乗せて、リアフォースを海岸の方へと歩かせていた。ギルは、ついにこの時がやってきたと緊張して無口になっていたが、シャナイアの方はギルの想いとは反することで、ずっと黙り込んでいた。背中を向けているため、みるみる浮かない顔になっていくのを我慢できないでいることには、幸い気付かれなかった。
なぜシャナイアがそう沈み込んでいるかは・・・もう、一緒にいる必要が無くなったからだ。
ギルがアルバドル帝国とエルファラム帝国の連合軍を結成させようと言いだした時、シャナイアはこう思ったのである。
国にやり残してきたことがあり未練もある彼は、様々な経験を重ねたこの旅の中できっと自身を高めることができ、その夢を叶える自信をつけることができたため、最終的には皇太子に戻る道を選んだのだと。そして、彼の生死の問題や帝位継承問題は、彼が戻るだけできっと、どうにでもやり直しがきくのだろうと。
シャナイアは確かに王都ダルアバスの会場で、レッドが「二人には新しい生活が待っている。」と、戦友たちに話していたのを聞いてはいた。しかしこの戦争で、かつての英雄そのものの姿で戦っていたギルを見て、この流れのままに皇子に戻る可能性も大いにあるとますます予感し、少しも気が休まることなどなかったのである。
やがて森を抜けると、色鮮やかな美しい夕日が、水平線に届きそうになっているのを見ることができた。
演出は文句無しとうなずいてリアフォースから飛び降りたギルは、紳士らしくシャナイアに手を差し伸べ、馬の背から下ろしてやった。
二人は肩を並べて、輝く夕日と赤い海の波頭を眺めた。
そうしながら、慎重に口を切るタイミングを見計らっていたギル。
そしてある時。
「シャナイア・・・あの・・・。」
ところが、シャナイアの方はとうとう別れを告げられると思い、ギルに顔を向けることができずに下を向いたのである。
「あのさ・・・こっち・・・向いてくれるか。」
「ごめん・・・できない。」
「なんで?」
「だって・・・ごめんなさい。言いたいことがあるなら、このまま聞かせて。」
ギルはため息をつくと、仕方なくそのまま続けることにした。少しでもムードを良くしようと努め、シャナイアの肩に優しく手を回した。
「あの夜のことだけど・・・。」
一方、謝られるとしか思えず、シャナイアは泣きそうになった。自分にとっては特別な夜だったが、彼にとっては所詮、豪華な宮殿内において、これまで相手をしてきたであろう高貴な令嬢たちとのそれと、たいして変わりはしないのだろうし。
「分かってる。いいの・・・気にしないで。」
「へ?」
何だか妙だぞ・・・と思い、ギルは今になって、シャナイアが勘違いをしていることにようやく気付いた。
それで、ギルは呆れてムッとなった。
「分かってない。」
そのなぜか不機嫌な声に、シャナイアも腹が立ってしまった。
「分かってるわよ。」
「いいや、絶対に分かってない。」と、ギルも同じ口調で負けじと切り返した。
なぜそういい切れるのかも分からなければ、勝手に怒りだした意味も分からないと、シャナイアはますますムカついてハッと息を飲み込んだ。
「何よ、どうして怒るのよっ。」
「君が、いつまでも俺のことを対等に見てくれないからだ。あの夜だって、それで俺を怒らせただろう。」
「なんなの、あの夜って、そんなことを言いたかったの !? 」
「はあっ !? んなわけないだろうっ。俺が言いたかったのは、あの夜・・・」
ギルはそこで、ぐっと押し黙った。今こんなタイミングで一世一代のあのセリフを口にするには、あまりにも間が悪すぎる。しかし勢いで途中まで言ってしまったので、つい喧嘩腰の口ぶりのまま続けてしまった。
「あの夜、俺はやっと見つけたんだ。だけど、俺は精一杯の愛をこめて君を抱いたつもりだったが・・・ちっとも伝わってなかったとはな。」
「あなたこそ、ワケ分かんないじゃない!どういう前置き考えてきたのよ!」
「もういい、日を改める。」
ギルはくるりと背を返し、歩きだしながら、帰ろう・・・と促す意味を込めてぶっきらぼうに手を差し伸べた。
だがシャナイアはその手を取ることなく、なおもいきり立って喚き続けた。
「一体、何なのよ!わざわざ改めることでもないでしょっ!お気使いなく、さっさと今、さようならって言えば !? 」
「ほんとにバカだな。それともわざとか。」
「そうよ、あなたが何を考えてるのか分からないからよ!国ではあなたは亡くなったことになってたみたいだけど、この一件で ――」
シャナイアは、慌てて口を押さえた。
ギルの表情が俄かに強張り、そしてシャナイアは、それをまた違う意味にとってしまった・・・すると。
「なんだ、知ってたのか。」
思わぬその言葉に、シャナイアも口から手を下ろして問い返していた。
「知ってたの・・・?」
目を見合ったまま、互いに黙り込む二人。
やがて、先に口を開いたのはギルの方だった。
「サロイで記事を見つけてな。」
「そう・・・。私は、エルファラムで偶然・・・。」
「なるほど・・・それであの時、君はおかしくなってたわけか。わざわざ俺のことを気使って。」
やれやれと息を吐き出しながら、ギルは笑みを零した。
ギルは、そんな彼女の優しさに間違いないと思い、しかもやっとのことで喚き散らすのを止めてくれたことから、日を改めるのを撤回することにしたのである。
ギルは気を取り直すと、真顔で一歩、シャナイアに迫った。
ただでさえ見惚れるほど端整な顔に、真剣な眼差し・・・ズルい・・・とシャナイアは思った。そもそも、別れを告げられても頷くつもりでいたけれど、圧倒されてほんとに何も言えなくな ――。
「これからも一緒にいてくれないか。俺と・・・。」
シャナイアは目を大きくして、ギルの顔をまじまじと見上げた。
よし・・・とばかりに、ギルはこのチャンスを逃すまいと気を引き締める。
「俺と・・・一生。」
言い聞かせるように少しずつ贈られる愛の言葉に、シャナイアは驚きのあまり声も出ない。
そんなシャナイアの瞳を、ギルは真っ直ぐに捉え続けた。
そして、ようやく。
「結婚してください。」
飾らずに、ありったけの想いを声に託した。
ところが・・・そのプロポーズを受けても、シャナイアは微動だにせず佇んだままだ。
これはどうしたことだ・・・と、ギルが調子を狂わされたように見つめているうち、シャナイアの右の瞳からひと滴の涙が。
嬉し涙と確信するや、ギルはホッと吐息をついた。
己惚れてよいほど愛されている自信があった中でプロポーズをしたギルは、実は断られる心配など微塵もしていなかった。だから、どうもその濡れた頬を拭くことも考えられないでいる彼女に手を伸ばし、優しく抱き寄せて、涙があふれだしたその顔を胸にうずめてやりたい思いでいっぱいだった・・・が、順序が違う。
一つ重要なことを先にしてもらわないと・・・。
どうにも動くことができずにいる、そんなギルが思い描いていた予定では、彼女を抱き締めるのはそのあとの幸せの絶頂であるはずだった。
それで、ギルは言った。
「返事は?」
すると、シャナイアはうつむいて両手で顔を覆い、わっと泣きだしてしまったのである。
だがそうしながら、ひとつ、コクリと頷いたのだった。
できれば「はい。」と言葉にして欲しかったと思うギルの両手が、ぐいとシャナイアを引き寄せる。安堵と、そして幸せに満たされゆく表情で。
「いちおう確認するけど、俺の妻になってくれるんだよな?」
ぎゅっと抱きしめてくれるギルの腕の中で、シャナイアはまた無言のまま首を縦に動かした。
「まったく・・・台無しじゃないか。俺はずっと、この時を楽しみにしていたんだぞ。」
「だって・・・ずっと不安・・・だったから。」
何度も髪を撫でてもらいながら、シャナイアもやっとそう答えた。
「ずっとそばにいると誓う。例え大陸が滅び、あの世で引き離されようと君のもとへ行くから・・・。だから、もう不安になるな。だいたい・・・」
ほんとにバカだなと、最後にギルは呆れてひと言。
「もう・・・みんな帰ったろ。」
アルバドル帝国軍はギルを置いて、とっくに帰国の途に就いているのである。