冥界が開かれる
城壁や塔の上での戦いは、もはや地上と変わらないものになっていた。目の前には敵がうじゃうじゃと群がり、すでに弓兵はみな剣に持ち換えて戦っていた。
辺りに飛び散る敵の血は、まるで墨汁のようだった。剣身を走る黒い血。ドサリと倒れこんで傷口からドクドクと垂れ流しているそれも、もはや人間のものではなかった。
哀れ、体の芯から呪われている・・・。こうなっては、彼らを救ってやれる方法はただ一つ・・・殺してやること。もう、それしかないと思われた。
刃広の大剣を握り締めていながら、ギルはそれをただの細剣のごとく軽々と操って、向かいくる敵を一刀両断のもとに斬殺した。驚異的な俊敏さで常に相手よりも先にしかけ、時には横殴りに剣を一閃させて二体を同時に切り裂いている。
「扉を死守しろ!」
ギルはそう命令しながら、急いで塔の出入口を順番に回り始めた。
そのうちに、ギルは仲間たちを見つけた。そこでは、シャナイアやほかの女戦士と、リューイも鉄棒を豪快に振り回して奮闘し、ジェラールも、ディオマルクでさえも必死で剣を振るっていた。敵の目の回るようながむしゃらな猛攻に、恐怖を覚える暇すらない様子である。
それらは歯を剥き出してさかんに唸り声を上げながら、ようやく餌にありつけた飢えた野獣さながらの形相で突進してくる。しぶとい執着心をもろに剥き出し、無我夢中でしきりに腕やら武器を振り回すのだ。
「こいつら・・・!」
リューイは、それらあらゆる角度から襲いくる敵を、うっとうしいと言わんばかりに鉄棒の両端で手当たり次第になぎ払い、乱打をくれてやっていた。次いで、まだ這い上がろうとしてくる敵に殺人的な蹴りを入れては、容赦なく城壁外の地面へ葬った。不意を突く抜群の瞬発力、それに柔軟で予測不可能なその身ごなしは、もはや獣と化している体をもってしても、そう簡単に捕まえられるものではない。
だが突然、そのリューイが動きを止めた。
敵の誰も彼もが、ぴたりと動き回るのを止めたからだ。示し合わせたように、全ての敵がである。無論、城塞の外にいるそれらも全て。
だが、正気を取り戻したわけではなかった。それどころか、敵の軍勢は一斉に赤黒い空を見上げて吼えたけり始めたのである。
「なんだ・・・。」
そう呟いて、リューイも上空に目を向けた。
群雲の毒々しい血の色が、空の渦の中心に吸い込まれるようにして引いていく・・・。しかし雲は晴れることなく、ただ不気味なその色だけが天上に飲み込まれていったかのようだった。さらに、雲はそれにつれてもとの灰色ではなく・・・不安と恐怖を煽る色、闇の黒と、気味の悪い紫色に変わっていたのである。その雲の中を頻繁に走る雷光。邪悪な死者がうろつく冥界とはきっとこうだろうという空を、命ある者たちは思わず絶望にかられて見上げていた。
腹に響く轟音とけたたましい雷鳴が轟き渡り、迸り落ちる稲妻が鮮明に浮かび上がった。魔物と成り果てた者たちの獣じみた遠吠えは止まず、真っ直ぐ立ってはいられないほどの強い風が吹き始め、いよいよ嵐が訪れた・・・。
ついにヴェルロードスの大門は壊れ、小門も突破された。そして防衛部隊とやり合うよりも城館の入口に気付いた敵が扉を破り、一人また一人と館内へ踏み込んで行った。
その気配に気付いていたテオとカイルは、部屋の出入口を前にして呪術の態勢に入っている。カイルは立て膝の姿勢で座り、テオは立ったままである。
テオもカイルも唸るように呪文を唱え、ただちに攻撃を仕掛けられるよう精霊を呼び寄せている。
その姿に影響されてか、驚いたことには負傷兵たちが次々と身を起こし始めた。彼らは勇敢にもイヴやメイリン、それにセシリアとミーアを守ろうと、本来もう戦えないほど傷ついた体で、軍人魂のもとに再び武器をとって立ち上がったのだ。
騒々しい足音が響いてくる。
やがて姿を現した敵は、血迷った荒々しい目つきで歯を剥き出しよだれを垂らしていた。
恐ろしさのあまりメイリンもセシリアもむしろ声を失い、ただ顔を背けた。
だがその敵の兵士は、間もなく一瞬で倒れた。
どこから現れたのか、光の刃がその兵士の体を斜めに切断していたのだ。やったのはテオである。さすがのテオは、強い光の精霊たちが作るその刃をいくつも同時に操って、二体、三体と次々と確実に倒していく。狙われれば抵抗する術も、悲鳴を上げる間すらもない。
一方、カイルが操る闇の精霊の攻撃は対照的で、敵はあっという間に、つま先や指先から繁殖した黒いカビのようなものに全身を飲み込まれたかと思うと、その数秒後にはバッタリと前のめり倒れて息絶えるというものだった。こちらは聞くに堪えない絶叫を上げるので、ゾッとするような攻撃だ。
だが幸い、ここでの戦闘は長引くものではなかった。
負傷兵たちがそのおぞましい敵と再び剣を交え合うこともなく、ドカドカと踏み込んでくるそれらは突然足を止めたかと思うと、サッと引いて外へ飛び出して行ったのである。
そして間もなく、外から大勢の獣じみた不気味な遠吠えが聞こえだし、そこへ身もすくむ雷鳴、そして風の唸り声にも取り巻かれた。
テオとカイルは、壁掛けランプの明かりが急速に鮮やかになりゆく室内で、互いに顔を見合わせる。
「え・・・なに。」
「これは・・・。」
セシリアやメイリン、そしてイヴも恐怖に強張る顔を見合い、ミーアが、そばにいるセシリアの腰にしがみついた。
セシリアはミーアを抱き寄せてやりながら窓に目を向け、その向こうの暗がりを見つめて、彼のことを思いながら一心に祈りを捧げた。